第二章 KGB高官の伯父
伯父は、私の唯一の友人であり、私を真実理解してくれる唯一の男だった。わたしは女には興味がなかった。むしろ嫌悪感さえ懐き、女の尻を追い回す奴には無性に腹が立ったものだ。
最大限学び取るという私の決心は、脅威的暗記力に大きく支えられた。一冊の本を注意深く読めば、もったいぶった表現で書かれているところさえ暗唱することができた。だが、特に大事な部分だけを記憶する才能があった。
ずば抜けた知性によって、私は、価値のある考えだけを保持し、どんな優れた教授でも批判する方法を心得た。
「党」の基盤である無神論への傾倒が私の情熱をそそり、それは留まるところを知らなかった。六年に及ぶ熱心な勉強を終えてから、伯父は、ある晩私を事務所に呼び寄せた。それまでは、彼とは家でしか話したことはない。
その日、私は予想していた通り、伯父が国家警察の幹部であることを知った。彼は、私を動揺させる(と彼が信じる)重大な提案をした。
「これから、軍事的国際的な無神論を実行するために、おまえを送り出す。おまえは、あらゆる宗教、特によく組織化されているカトリック教会と戦わなければならない。そのために、おまえは神学校に入り、ローマ・カトリック教会の司祭になるのだ。」
沈黙が私にできる唯一の答えだった。その間、私は無関心さを装っていたが、内心喜びに浸っていた。伯父は、満足し、その気持ちを隠そうとはしなかった。彼は静かに話し続けた。
「神学校に入るため、おまえはポーランドへ帰り、義理の親と和解し、それから司教に身を委ねなければならない。」
このときばかりは反発を覚えた。伯父と関わって以来、はじめて自分を抑制できなくなってきた。彼は、それを見て満足し、むしろ楽しんでいるようにさえ見えた。
「だから、大理石になり切っていないというんだ」
この言葉が私の気持ちを一掃煽った。私は冷ややかに答えた。
「自分は何が起ころうとも変わりません。自分のままです」
伯父はくつろいだ様子に見え、楽しんでいるようでもあった。まるで、私の仕事も未来も(したがって党のそれも)、この日の決断とは関係ないかのようである。
彼はこう付け加えた。
「大理石は美しい。それは秘密諜報員にならんとする者が昔から使ってきたものだ。だが、ここでは、義理の親に最大の愛情を見せることが必要なのだ」
私は臆病になり、哀れっぽくたずねた。
「六年間も神学校に行ってですか。」
彼は罪を非難するかのような厳しい口調になった。
「そうだと言ったら、どう答える気だ」
彼は、こう付け加えた。
「秘密諜報員は冷血でなければならない。心を持たず、何物も愛さず、自分自身さえ愛してはならない。彼は “党” の所有物なのだ。党は、予告もなく、生きたまま彼を呑み込む。このことをよく覚えておけ。われわれは、おまえがどこにいようとおまえを見張っている。おまえが厚かましくなれば即座に除く。よく理解しろ。自分の過失でなくとも、おまえの身が危険になったとしてもわれわれに頼ってはならない。おまえは除かれるのだ」
私は答えた。
「よく分かっています。ですが、私は彼らに感じている憎しみを、あなたから隠したことはありません。」
「憎しみは、レーニンに倣い、神への憎しみ以外、われわれの仕事に入らせてはならない」と彼は答えた。
「われわれは、おまえを母国、ポーランドの本物の司教に受け入れさせねばならない。だが、その国で宗教研究をさせるのが、われわれの意図ではない。それどころか、おまえは大西洋の向こうの国に送られるだろう。だが、これは極秘だ。その命令を受けたら、おまえは驚いた振りをする。われわれは、ドイツを支配しているあの馬鹿者のために、ヨーロッパ戦争にびくびくさせられている。そこで、どこか別の国、例えばカナダでおまえに勉強をさせるほうがいいだろう。理由は他にもある。ヨーロッパの神学校は、アメリカよりも厳格だからな」
私は、わずかに抵抗の姿勢を見せたが、すぐに見破られた。伯父は話し続けた。
「おまえがまる六年間、こもりっきりで、厳しい勉学に耐えたことはよく分かっているが、それは問題ではない。世界で何が起こっているかをおまえに学ばせる必要があるのだ。世界にその信仰を捨てさせるよう、世界に向かって話せるほうが良い。まったく怪しまれずに若者たちを神学校に送っても、彼らを取られてしまえば、何の意味があろうか。いいか、おまえは、死に至るまで司祭であり続けるのだ。信心深く純潔な司祭として振舞うのだ。いずれにしろ、私はおまえを知っている。おまえは頭のいい男だ」
すると、伯父は私のするべき特殊任務について、幾つかの指示を与えた。私はこの任務に自分の命を賭けるのだ。
私は、神学校に入るやいなや、自分に教え込まれたものを、全て打ち壊す方法を見つけることになっていた。だが、そうするためには、注意深く、知的に、すなわち感情をいっさい交えずに、教会史を研究しなくてはならない。
特に、迫害が殉教しか結果しないという事実を見失ってはならない。これがため、カトリックはクリスチャンの生みの親のように宣伝されている。そこで、殉教者は一切出してはならない。どの宗教も恐怖に根ざしていることを、けっして忘れてはならない。先祖伝来の恐怖心だ。すべて宗教は恐怖心から生まれるのである。したがって、恐怖心を超えれば、宗教をも超えるのだ。
だが、それだけでは十分ではない。伯父は言った。
「おまえにかかっているのだ。正しい方法を発見することは。」
私は喜びに酔った。伯父は、さらにこう付け足した。
「おまえは、世界に広めたいと思うスローガンを、それを選んだ理由を説明しながら、毎週、ごく簡潔に私に報告するのだ。一定のときが経過したら、おまえはネットワークと共に直接行動に移る。おまえには命令を遂行する部下が、十人与えられる。彼ら十人は、それぞれ、任務遂行のための部下を十人持つ。
おまえの指令に直接従う十人は、おまえを知ることは決してない。私を通してでなければ、おまえに連絡を取ることはできない。だから、おまえが告発される恐れはまったくない。
われわれはすでに、カトリックが植え付けられているすべての国々に、多くの司祭を送り込んでいるが、おまえたちは互いに知り合うことはない。司教も一人いる。おまえは彼と接触するかもしれないが、そうなるかどうかは、おまえの昇進にかかっている。
われわれはどこにでもスパイを送り込んでいる。彼らは世界中の新聞に目を光らせている。おまえには、定期的にその要約を送ることになるだろう。
おまえ自身の考えが、いつ人々の心に入ったかを知るのは簡単だ。おまえの考えがよければ、どこかの馬鹿な作家が、さも自分の考えであるかのように、それを発表するだろう。
作家ほど自惚れの強い奴らはいない。われわれにはこういう作家が必要なのだ。彼らを訓練する必要はない。彼らは、頼まずとも、知らぬうちにわれわれのために働いてくれるのだ。」
私は、戦争が勃発した場合、どのようにして接触を図ればいいいいのか、と彼に聞いた。
彼はすべてを予見していた。適切なときに、私は自由主義諸国から手紙を受け取るだろう。私に当てられた極秘暗号名「AA1025」が打たれているので、手紙が本物であることはすぐに分かる。「AA」とは「アンチ・アポストル」(偽司祭)の略である。
このとき、私の任務が一〇二五番目なのだろうかと思ったが、この推理があたっていることを知り、私は驚きのあまり声をあげた。
「私以前に、この任務に就いた司祭や神学生が、一〇二四人もいるというのですか!」
「その通りだ」と彼は冷静に言った。私は、落胆はしなかったが、自尊心を傷つけられた。この一〇二四人を殺してやりたいと思ったが、「こんなに多くの人間が本当に必要なのですか」とだけ言った。
伯父は、笑っているだけである。私は、自分の気持ちを隠していることができなくなった。
「これ以上人員を増やしたら、良い仕事を達成することはできないと思いますよ。」
だが、彼は私の好奇心を満たそうとはしなかった。私は、少なくとも彼らの何人かと接触できるかどうかを知りたかったのだが、一人も知ることはないと伯父は言った。
まったく理解できない言葉だ。
「いったい、互いに散り散りになって、協力も競争もできない状態で、どうしていい仕事ができるでしょうか。」
「協力について言えば」と彼は答えた。「それは心配するな。私たちがそれを確実にする。上の階級にある者にしか、その動きは分からないようになっているのだ。競争について言えば、党を愛する気持ちにかかっている。」
これ以上話す言葉がなかった。自分がトップに立つときまで、党は無神論において価値ある何物も実現できないと本当に言えるだろうか。だが、私はそれを信じた。
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