第八章 黒髪の女
神学校生活二年目の終わりに、私は今後も続けて行けるのかどうかを真剣に自分に問いかけていた。
意志力だけでは十分ではなく、憎しみだけで生きていくには若すぎた。それでも、この憎しみが膨れあがっていくのを私は見た。
最初は神に向けられていたこの憎しみは、回りの全員に拡大した。私が全員をどれほど憎んでいるかさえ、彼らには分からなかった。
よく彼らに耐えることができたと今でも思う。私は、本当に孤独な人間なのだ。社交性は、自分には無用だったとしても、人間的な暖かさという僅かな安らぎさえ、青年時代にはなかった。
実際、毎土曜日に通うあの聖歌の教授しか、私にはいなかった。彼とは、ある面では言葉を交わさずとも理解し合えたが、彼には私の広範囲な使命の現実性がまったく理解できてはいなかった。
だが、彼の家にいると、真実くつろげるのが救いだった。彼がいなかったら、私は抵抗する力さえ持てなかったかもしれない。
この手記が出版されないのは幸いだ。仲間にとっていい見本にはなるまい。
私は、世間の行事に招かれるようにとの指令も受けていた。どこからどうやってくるのか分からないが、指令は私の元に来たため、従わざるを得なかった。
私は、伯父に手紙を書くときにも、このようなつまらぬ任務の価値について、あえて尋ねようともしなかった。
私がこの種のことを不愉快に思うと知っていたのだろう。彼は、世間を知っておくのもためになると最初から言っていた。
それは認めるが、役に立つような発見は一度もしたことがない。
ある晩、私は、特別豪華な大レセプションに顔を出していた。ある若い娘の横顔に視線を移した。突然、彼女の周囲が全て消え、自分の感覚さえ失せた。彼女は、長い首をして、ピサの斜塔よりもほっそりとし、かき乱したくなるような豊かな黒髪をもち、わがままそうな横顔と同時に、子供っぽさも残っていた。
息を呑んで彼女を見た。彼女は私を見なかったが、まるで二人しかいないような感覚に陥った。私は顔を盗み見しようと、大声を出し、こちらを振り向かせようとしたが、彼女は振り向かなかった。
どれくらいの時間陶酔に浸っていたか分からない。
だが、その時に、見知らぬ若者から声をかけられたのだ。彼はすべてを呑み込んでいた。
「Xさんにご紹介しましょうか」と言ってきたからだ。
彼は私の名を知っていたが、私を大学生と誤解していた。このような社交の場で、私を神学生と思う人間は一人もいない。
それから少しして、この若者は「黒髪」に私を紹介した。(彼女の名前は書くまい。)
私は、呼吸法のおかげで落ち着きを取り戻していた。自分は完全に別の人間になっていた。一瞬の間にだ。その晩中、私は自分に何事が起きたのか、理解しようと努めた。この新しい気持ちを楽しむことで余りに忙しかった。
私は、少しの時間「黒髪」と話をした。だが、彼女の気を引くことはできなかった。彼女を独り占めにして、誰も知らない小さな家に移し、そこで自分を待つと約束させたい、そんな気持ちで頭が一杯だった。
彼女は困らせるような真剣なまなざしで人を見る、黒い大きな瞳を持っていた。
彼女がダンスに誘われた時には、私を彼女から引き離した男を殺さないよう、手を背後で固く握り締めていた。ダンスは悪魔的な発明だ。他の男とダンスしている妻に我慢していられる男の気が知れない。
ワルツを踊る彼女を見た。ドレスも素晴らしかったが、彼女のしなった首に、私の目は恍惚となった。それは処刑人の斧に差し出されているかのように見えた。
この娘が残酷な死にかたをする運命にあると、なぜ自分が思い込んだのかは分からない。この感覚が、彼女を全員から引き離したいという気持ちをいっそう強めた。
こんなアホどもの中で、いったい彼女は何をしているのだろう。彼女はどんな仕事をしているのだろう。
自分だけを待っていてくれるよう、何としても彼女を説得しなければならない。この目的を遂げるためなら、何でもしようと思った。彼女は私のものだ。それだけだ。
だが、彼女は老いた夫婦と一緒だった。どうしたら、また会えるだろうか。
彼女は、私には全く注目してはいなかった。最後に一瞥しただけである。この一瞥は何を意味しているのだろう。またお会いできますかという意味だろうか。そうかもしれない。
いずれにせよ、私は彼女の考えをこれ以上案じるのはやめることにした。
自分のものだと結論したからには、彼女の気持ちをこちらに向けさせるだけだ。同意しないかもしれないが、試すだけの価値はある。
わたしは彼女の名前しか知らなかったので、彼女を探す仕事を聖歌の教授に託した。
彼はこの仕事をとても面白がった。彼は私にこう言った。
「おまえも人間だったということだ」
私のどこが非人間的だと彼が思っていたのかは分からないが、この言葉には当惑させられたが、釈明しようとしなかった。
調べには時間がかかったが、私は自分を落ちつかせようと、何倍もの情熱を仕事に向けた。
この頃、私は、カトリックをプロテスタントに受け入れられるようにするための計画を、市場に打ち上げることで大忙しだった。
カトリックは、プロテスタントが母教会の囲いに戻ってくると期待しすぎた。彼らはその傲慢さを無くすべき時に来ていたのだ。
慈善事業がそれを彼らに義務付けた。慈善事業がうまくいかなくても大丈夫だ。
私は、ラテン語ミサの廃止、聖職者の着衣、像、絵、蝋燭、祈祷台の廃止(彼らが跪かずにすむため)を、同じ響きで何度となく繰り返されるよう、確信をもって予言した。
それから、十字の印を禁止する活発な宣伝活動にも着手した。このしるしは、ローマカトリックとギリシャ正教でしか行なわれていない。
十字の印と跪きは、みな滑稽な習慣だ。
私はまた(一九四〇年代だった)、祭壇がなくなって裸の机に替えられること、キリストが神ではなく人と見なされるため、十字架もなくなると予言した。
ミサはただの会食に過ぎない。誰もが、未信者さえ招かれるようになると主張した。
そして、次の予言に行きついた。現代人のための洗礼は、滑稽な魔術と化している。全浸礼であろうとなかろうと、洗礼は、大人の宗教のために廃止しなければならない。
私は、教皇を排除するための効果的手段を発見しようとしたが、そうする可能性を発見できなかった。
「汝はペトロなり。この岩の上にわれは教会を立てん。地獄の門もそれに勝つことあたわず」というキリストの言葉が、狂信的ローマの発明なのだと言わない限り、教皇はいつまでも力を持ち続けるだろう。
だが、どうしてそれを証明できるだろうか。可能だと言うだけでは不充分だ。私は、教皇を必ずや愚者と思わせることに成功できると期待して、自分を慰めた。
大切なことは、彼が何か新しいことを始めるたびに、難しすぎて従えないような古い習慣を復活させる時にも、反対声明を出すことだった。
それだけではなく、離婚者の再婚、一夫多妻、避妊、安楽死、同性愛など、プロテスタントの、たとえ一つの教派でも許可されているものは、すべてカトリックの間で正式に許可されなければならない。
世界教会は、すべての宗教、未信者の哲学者さえ受け入れなければならないため、キリスト教諸教会は個々の所有権を放棄しなければならないのである。
そこで、私はおおがかりな粛清を行うよう要請した。
見えざる神を拝む狂信的心も精神も、容赦なく除く必要がある。
無視した奴らもいるが(その名前は言うまい)、ジェスチャーの力、感覚に訴えかける力を、私は見逃しはしなかった。注意深く観察すれば、私が、厳しい宗教の中から、愛を感じさせるものをみな覆い隠したことが分かるはずだ。
それを厳しいものにしておくのも大事な仕掛けなのだ。この狂気の神が、つまるところ、人間の発明したものに過ぎないということを、仄めかしているのだ。自分の一人子を十字架にかけるために送るほど残酷な神であるということだ。だが、私は、自分の憎しみが著作の中に現れぬよう、細心の注意を払った。
これらの指令書と予言に大喜びしていたときに、わが聖歌教授が電話をしてきた。彼女を見つけたというのだ。しかも、その晩に開かれるコンサートに私を招待してきた。そこで彼女に会えるだろうということだった。
幸いにも、私は外出許可を得ることができた。私は歌が上手なことでも知られていたし、教会は音楽家に対しては寛容だ。私は彼女に再会した。前以上に美しかった。本当に、本当に、美しく、私は気がおかしくなりそうになった。
彼女は、翌土曜日に、わが聖歌教授の家で開かれる茶会に出ることを、すすんで承諾した。
私は、大学センターに住んでいるふりをした。
声楽の教授は、アキレスの名前をもっていたので、アキレス伯父と自分を呼ぶように言った。そうすることによって、家族を持っていると思わせるつもりなのだろう、そう私は理解した。
だが、この件については有り難いとは思わなかった。私が真剣に結婚を考えるよう希望していることが、彼の態度から読み取れたからだ。
どうして、彼はこんな馬鹿げた考えを持てるのだろう。それは、私が召し出しに相応しくない、と彼が感じている印なのだ。だが、彼は、私が社会主義者としての召し出しにどれほどの力と真剣さを傾けているか、まったく知らずにいるのだ。
だが、そのことを考えているうちに、この無理解が自分の偽装の力を証明するものであり、逆に好都合であることが分かってきた。真実偉大な人間であるには、平凡で、馬鹿にさえ見せかけていることが肝要だ。人前で自分を見せびらかす人間は、実際に弓を引く者ではないのである。
「黒髪」は、アキレス伯父の家を満喫している様子だった。
私は、自分のスラブ人としての魅力をたっぷり披露した。それは誰から教わったものでもない、本能的なものである。自分がそれに大きな誇りを持っていることを伝えなければならなかった。
夢の女性は、その日は、簡素な青いドレスを着て、首には飾りを一つだけつけていた。「不思議のメダイ」と呼ばれる、聖母の大きなメダルだ。
この飾りに目が引き戻されるたびに、自分が非難されているような感覚を覚えた。私は、できればそれを彼女の首からひきちぎり、窓から放り投げてやりたいと思った。
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ
inserted by FC2 system