第十六章 第二ヴァチカン会議の秘密
私は、偽使徒の情熱を倍にして、「黒髪」に返事を出した。子供じみた戦いも終わりに近づいた頃に、沢山の攻撃計画を立案し、これらが三〇年で完璧に実現されると考えた。一九七四年は、無神普遍教会の記念すべき創設年になるだろう。
超自然に対する憎しみが、私に天才を与えてくれたばかりか、二重の仕事に信じ難い力を与えてくれた。自分は神学を研究していたので、好成績を修めることが重要だった。実際、自分が何でも一番だったことに狂喜した。そして、真の信者を守らぬ神など最初から存在していなかったのだと確信するようになった。
「超自然」という語が、人に子供騙しの作り話を信じ込ませ、幕の内側を見させないようにしているのだ。私は、この悪い劇場を取り壊すことを決意し、不自然で、説明できないものをみな新約聖書から削る作業を仲間に託した。
この仕事は非常に有益だ。注釈者の言葉を真に受ければ、自分が神であると、キリスト自らが信じていたことになる。だが、彼の実際の言葉と、弟子たちが追加したそれとを区別するのは不可能だ。したがって、常識に当てはまらぬことは、みな削除しなければならない。
前にも書いたが、一番大事なことは、子供の問題に取り組むことだ。子供の柔軟な心に強い感化を及ぼすことが不可欠だ。私は、揺るぎ無い確信をもって、自由についての指令を出した。自分で歩き喋れるようになるや否や、どの子供にも自由を与えなければならないという指令だ。
大人が子供を日曜日毎にミサに無理やり連れて行くというのは、全く恥ずべきことである。同意を得ることなく、子供をカテキズム勉強会に入れるのも、同じほど恥ずべきことだ。外で遊びたい時にも聖体拝領を受けなければならないと子供が思い込むのも、そこに原因がある。
生まれた途端に受ける幼児洗礼についてはいうまでもない。これこそスキャンダルの元凶であろう。私は、子供に向けた力強い情報キャンペーンを張るよう指令した。
従順な偽善的クリスチャンになれと言われたときに、世界のどの子供たちも否定の言葉を語れなければならない。
数え切れぬ子供たちが、喜びに満ちて、「私はクリスチャンではない。神を信じない。古く役立たずな親のように愚かではない」と堂々言える日がきたら、どんなに素晴らしいことか。
一方で、私は、どうしても「黒髪」に会いたくて仕方がなかったが、予想もしないときに、念願が適うことになった。
ある提案を受けてほしいとの親切な招待が、彼女の方から来たのだ。
太陽の眩しいある土曜日に、「黒髪」が待つアトリエに走った。「黒髪が待っている」、この気持ちが分かる者がいようか。
「黒髪」は、完全に私のものになっていた。誰もそれを見られないよう彼女の髪を切ってやりたいと思ったほどだ。髪を切ってやりたい! 何たる犯罪的な思いを自分は懐いているのだろう。
ひとつ要求があると私に告げたときにも、彼女はまったく優しく、愛情に溢れていた。私は身震いを起こしたほどだ。
だが、彼女が求めたのは、きれいと言われる私の両手を描くことだけだった。可愛い考えだが、女というのはまったく理解し難い生物だ。
私はその日の午後中、我慢しながらポーズをとっていた。天使なら --- そんなものがいたとすれば --- さぞ私を羨んだことだろう。私のこの手をだ。
スケッチは床の上で次々手早く画かれた。私は陶酔の境地に浸っていた。それは完全な幸せと呼ぶべきものだ、そう私は思った…少なくとも、今までの人生であれほどの幸せを感じた瞬間はない。
誰も信じてはくれないだろうが、この間の私たちの結合は、つまらぬ体の結合にこれほどの幸せがつくりだせるだろうかと思うほど、それほどに強く、完全なものだった。時間が止まったような気分だった。
スケッチが終わると、私の可愛い敵は、この手はきっと素晴らしいことをするでしょうといった。私は真実戸惑った。自分の両手は、本当は、死と殺人の臭いを放っているからだ。
その日、彼女は、私が髪の毛を弄ぶことを許してくれた。私は色々な髪結いを試した。髪を解き、丸め、それからもう二度と見られないかのように、つらい犠牲のためにそれを用意しているかのように、丁寧にブラシをかけた。
この日に、なぜこれほどまで奇妙な感覚を覚えたのだろう。本当に不思議な日だった。どこからこんな奇妙な感覚が来たのか、今でも分からない。
私たちは悲劇的な辛さのなかで別れをした。「次の土曜日に会いましょう」、「次の土曜日に」、ふたりが同時にそう言った。まるで、この希望が預言書に書かれているかのように、あたかも別れの唯一の理由がそこにあるかのように、すべての壁を早く乗り越えたいと思っているかのように… 壁を乗り越えるのだ!!! 
ところが、私は、土曜日に黙想会を開始することをすっかり忘れ去っていた。二、三日中に修道会入りすることになっていた。
それで、私は短い手紙を「黒髪」に書き、上手な嘘をつくりださなければならなかった。ローマにもうすぐ行く、一緒についてきて欲しいと率直に書き加えたかった。だが、この六年間神学院で耐え忍んだより、もっと悪い隷属に自分が入ろうとしている、私の中の何もかもがそう訴えているというのに、率直な言い方などできるわけがない。
私は、ローマで永遠の都の歯車にとらえられるのだ。自分はとらえられても、機械を壊す、修復不可能なほどにそれを壊すに違いない砂利になるのだ、と言い聞かせて自分を慰めた。
こうして、私は、最後の儀式、私を永遠に司祭に定める儀式に準備するために、黙想週間を開始した。私は永遠など信じてはいなかったので、この考えに悩まされはしなかった。それは歯医者で治療を受けるのと同じで、通らなければならない悪い瞬間なのだ。
大事なのは信仰をもつということだ。そして、私の信仰は彼らのそれにふさわしかった。これはどういう意味か。私の信仰は彼らのそれに優っていたということだ。それは恐怖心にみちた子供じみた信仰ではない。ジャーナリストたちがいうように、大いなる日がついに到来した。
聖堂に入ったときに、私は完全に謙遜な人間になり切っていた。隠れたプライドとより高い目標に支えられていれば、徳を装うなど簡単なことだ。
私は頭を垂れて、厳粛さのなかで静かに進んだ。
そのときに、押し殺したような叫びと悲鳴、動揺が、左の方から聞こえてきた。普通はここで目を上げてはならない。だが、私は良心(彼らが私のためにつくりあげたそれのこと)に背いて目を上げた。
気絶した娘を抱え上げる若者たちの姿がそこにあった。彼女のベールは床に落ち、長い黒髪は、ばらばらに乱れて聖堂の床を引きずった。この光景から視線をそらして周囲を見回すと、かつての私書箱役の教授が、私を睨みつけているのに気がついた。
いったいここで何をしているのだろう。この男が「黒髪」を聖堂に入れたのだろうか。視線を交した瞬間に、この男に狂気じみた勝利の表情を見て取った。
私は真相を突き止め、誰がこんなふざけたことをしたにせよ、たっぷり落とし前をつけると自分に約束した。このようなわけで、その日は悲しみの中で過ごした。
誰からどんな疑いをもたれようとも、私は気にしなかった。これ以上敬虔を装うことも、自分の将来の聖性を預言する、甘い声を聞きたいとも思わなかった。
幸いなことに、あの学生が私に挨拶しにきた。私の唯一の友だ。起こったことを手短かに話して、彼に調査を依頼した。真相を突き止め、張本人を殺してやりたかった、声を大にして叫びたかった。自分を守り、彼女を守るため、特に彼女を守るために。だが、もはや後の祭だった、遅すぎたのだ。
自分からすべてを彼女に話す勇気さえあったら、彼女は黙って苦しみを甘受し、私を密かに愛することを受け入れていたかもしれない。 
翌日、私はアメリカへの渡航に備えていた。この国で、もっとも重要なプロテスタントの教派を訪れ、彼らを管理する方法を探り出すのだ。その時までは、プロテスタント世界に深く根を下ろしている大事な信仰の要素を、無視せざるを得なかった。だが、ローマでの研究を続行する前に、この問題の側面を熟知しておくことが、どうしても必要なのだ。
出発直前になって、学生がニュースをもって駆け寄ってきた。この知らせに苦しみのどん底に突き落とされた。「黒髪」がカルメル修道女会に入ったのだ。しかも、私のためにである。彼女は、もはや私のために、どんな小さな恋人の歓びをももつことはない。むしろ死んでくれたらいいと思った。
いずれにせよ、私は全世界の修道会、特に観想修道会を門戸開放させるのだと自分に誓った。私は鉄格子に反対するかなり力強いキャンペーンを張り、頭の弱い修道女たちを通して、教皇にも嘆願書を送り付けた。
鉄格子はもともと、親に無理強いされて修道会に叩き込まれた娘たちが、逃亡しないようにとの配慮から設置されたものだ。それを修道女たちに思い出させてやった。逃亡と、それから手紙の交換を防ぐためのものだったので、格子は二重にされた上、木戸によってさらに強化されたのだ。
私は、この聖なる牢獄の記憶をすべて取っ払うために、できる限りのことをした。とりわけ、これら聖別された処女たちの名誉の気持ちを刺激した。誰にでも開かれている家の中で自由に修道生活をするという願いを刺激するためだ。
後に、還俗するよう彼女たちを説き伏せることによって、さらに大きな前進を見た。世界は彼女たちを必要としているのだ。それから、特別な服装によって自分たちの正体をさらさなければ、もっと善いことができるのだと彼女たちを説き伏せた。
この問題については、羨ましいほど豊富な語彙を使って本を全巻書くだけの頭をもつ著者たちがいた。私も、修道女たちの頭を剃る習慣に猛反対して戦った。私は彼女たちが病院で手術を受けるときに恥をかくと訴えた。こんな昔の慣習のために、若い召し出しが愚かしくも失われているのだと主張した。
また、夏に大きな重荷になり、冬に寒さを効果的に凌げない古い修道服をも攻撃した。私はすべての規律と教会法を、男によって慎重に改正するのが望ましいと提起した。男が寛容を示せば、女は大胆になりだす傾向がある。
だが、自分の仕事の大きな拡大を見つめたときに、私は全体から見ればごく小さなものではあったが、静かなる抵抗に躓いた…穏健で、かなり秘密めいたカルメル修道会から、返事が一通も来なかったのだ。
一方には世俗があり、他方にこの牢獄がある。私は世俗に対しては指令者だったが、後者においては囚人だった。私の仕事はこんなことに影響を受けたりはしなかった。
とはいえ、「黒髪」の犠牲の無意味さを思ったときには怒りが爆発しそうになった。何という空しい犠牲だろう!
私の仕事が着々と進行していた頃に、公会議が開催されるとの噂が、私の情熱をいっそう煽った。私は、教皇の指示によって幾つか文書が用意されつつあることを知った。
私は明確な役割を果たせることを上に確信させた。それで最高のポストをあてがわれた。すべてが私にかかっていた。財源は文字通り無尽蔵にあった。
私は、あとで優れた仕事を果たすことになる、左翼の評論と多くのジャーナリストに金をばら播いた。希望はすべて、会議文書の変更にかかっていた。私は進歩的で大胆な神学者たちを通してこれをすでに提起していた。
私は野心が彼らを導くと考えた。野心は最強の駆動力だ。私は、公式文書、つまり教皇が指示した文書のコピーをすべて入手した。
ところが、これらは私にとって大変動、まったくの災いだったのだ。自分の言葉に慎重にならざるを得なくなった。公会議終了からだいぶ経った今でさえ寒気を感じる。
これらの文書が編纂されて広く普及されれば、自分のやってきたことはみな、あるいはそのほとんどが、無と化してしまうのだ。
最後に、私の情熱と、特に無尽蔵に使える金の力によって、モダニストの文書 --- 我ながら何たる臆病なモダニストかと思う --- を会議に持ち込んだ。公文書と、図々しくも差し替えるためである。この手先の早業が、会議全体を、いまだ立ち直れぬほどの仰天した空気で満たした。今後も立ち直れまい。図々しさが常に勝つ証拠だ。
だが、私はまったく満足できなかった。この会議は私が希望通りのものではなかったのだ。われわれは第三ヴァチカン会議を待たなければならない。そこでこそ、完全勝利を見込めるだろう。
第二ヴァチカンについていえば、そこで何が起きたかいまだ理解できずにいる。われわれの刷新の試みが効力を発揮するその瞬間に、何か目に見えぬ悪魔が入り込み、すべてを邪魔したかのようだった。本当に不可解で腹立たしい出来事だった。
だが、幸いにも、このとき以来巧妙な方法を心得て、あらゆる種類の痛快な刷新をわれわれは立ち上げてきた。「会議の精神」の名の下に行うということだ。
この「会議の精神」という表現が、以来、私の切り札になった。自分にとっては、これはトランプ遊びと変わりはしない。だが、私が釘と金槌をもって臨めるのは、第三ヴァチカン会議しかない。神を十字架に釘づけにするためではない。神を棺桶に打ち込むためだ。
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