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3. 天国の命ずるところ
ユダ
1975年10月29日
  1. 聖体拝領台が回復されなければならない。(何度か繰り返して言う)俺はこれを喜んで言っているわけではない。婦人が俺を強制する。婦人が。[1]
ルシファー
1975年10月4日
  1. 司教達は教皇に従わなければならない。
  2. 教会では跪かなければならない。(何度か繰り返して言う)俺は強制されて言っている。
  3. それ(聖体)は誰も配布してはならない。平信徒はそれを配布してはならない。
  4. それは手の中に与えられてはならない。
  5. それ(聖体)が授けられる時には跪かなければならない。俺は彼女に代って言っている。
  6. 命じられて言う。古いもの(古いカテキズム)が回復されなければならない。オランダのカテキズムは学校で教えられてはならない。ナザレ人が俺にこのように言えと命じている。
1975年10月10日
  1. 上に代って言う。司祭は結婚してはならない。
  2. 修道女は修道服を着なければならない。
  3. ロザリオが家庭内でも唱えられなければならない。
  4. オランダの司教達は背教者である。彼らは教皇に不忠実になった。
  5. 教皇に対して従順でなければならない。
  6. 司祭は俺が存在することを説教しなければならない。人々に対して意識的にそうしなければならない。
  7. 彼らはそれ(ストラ)を着用しなければならない。
  8. 司祭は司祭であることが直ぐに分かる〔見て取れる〕ようでなければならない。
  9. 人々は告解に行かなければならない。しかし俺達にとってラッキーなことに、今やほとんど誰も、この下らないものに行かない。
  10. カトリックの教義はストレートに告げられなければならない。
  11. そうだ、司祭は俺が存在することを言わなければならない。さもなくば、人々は皆、下の我々のところに来ることになる。婦人はいつも俺を強制する。人々を救いたいからだ。しかし、全てが彼女の思い通りに行くわけではない。何故なら、祈りが十分でないからだ。
  12. 司祭候補生達は祈らなければならない。そして自身の神学校で養成されなければならない。他の大学で教えられてはならない。
  13. 教義が捏造されるなら最悪である。司教達はローマに目を向けなければならない。[2]
フライシュマン
1975年10月14日
  1. 人々は病気になった時、司祭のもとに行かなければならない。高位の婦人に代って言っている!
ルシファー
1975年10月28日
  1. 彼の花嫁 [3] のために聖霊にもっと祈らなければならない。高位の婦人に代って言う。懲罰が近づいているから、あまりに多くの者達が俺達のところに来ることのないように、お前達はたくさん祈らなければならない。ロザリオを祈れ!
1975年10月27日
  1. 手による聖体拝領は廃止されなければならない。それは俺がしたことだ。司教は、もし以前にそれを許可していたなら、禁止しなければならない。
ネロ
1975年10月10日
  1. そうだ、お前達はファチマのメッセージに従わなければならない!
  2. 回勅『フマネ・ヴィテ』は不可欠である! 『フマネ・ヴィテ』の全部が!
  3. もしこれら(ファチマ・メッセージとフマネ・ヴィテ)が顧みられなければ、新たな懲罰が来るだろう。お前達は皆死ぬだろう。それは非常に悲惨なものになるだろう。ここヨーロッパにおいて [4] 
  4. それ(ロザリオ)が祈られなければならない。さもなくば、終りだ!
ルシファー
1975年10月13日
  1. 教会においては民主主義は必ずしも最良ではない。何故なら、それは従順ということの価値を低めるからだ。小教区委員会などというのも最良ではない。司祭は命令しなければならない。司祭は自らの良心に従って行動しなければならない。そしてとりわけ、彼らは司祭服を着て活動しなければならない。
  2. 人は守護の天使にもっと祈らなければならない。何故なら、現在、地獄のパワーが極めて大きくなっているからだ。
  3. 人々は、自分を支えてくれるようにと、守護の天使に懇願しなければならない。
1975年10月15日
  1. 聖水が家庭内に回復されなければならない。十字架も家庭内に回復されなければならない。
  2. 司祭ははたから見てすぐに司祭と分かるようでなければならない。もし彼らがそれ(司祭服)を着て活動するなら、俺達は群れ〔信者達〕に対してそれほど大きな力は持たないだろう。
1975年10月17日
  1. それ(聖母)に代って言う。聖なる五つの御傷が特別に崇敬されなければならない。
1975年10月22日
  1. 聖顔が崇敬されなければならない。ナザレ人がこれを言っている。何故なら、聖顔は人々によってひどく傷つけられているからだ。それ故、それは崇敬されなければならない。
  2. 聖顔のメダイは崇敬されなければならない。これを言うようにと命じているのは、天国と地獄の上に力を持つ者である。
  3. シスター・ファウスティナに与えられた彼の顔がある絵は広められなければならない。(「慈悲深き救い主」の御絵のこと)
  1. その絵のあるところでは、我々 [5] の傷に対して、その絵を通じて大いなる恵みが与えられる。これを言えと命じているのは彼自身である。ナザレ人と彼の母親である。
  2. 司祭達は彼の顔を崇敬しなければならない。彼はこれを切に望んでいる。全ての司祭と全ての人々は、彼の顔を崇敬しなければならない。
  3. 聖ヨゼフに祈ることは重要である。いや、むしろ最重要である!
フライシュマン
1975年10月24日
  1. 司祭は結婚してはならない。彼は永遠に司祭である。そして、このことは修道会にいる者にとっても同様である。彼らは自身の召命に忠実なままでなければならない。今日、多くの者が不忠実になっている。
  2. 司祭はまた、聖体の秘跡ともっと親しく結ばれるようにならなければならない。
ルシファー
1975年10月24日
  1. お前達はもっと説教しなければならない! 天に代って言う! お前達は人々が神なき世界の危険性にもっと気づくように、彼らの注意を引かなければならない。人々は、彼らがその中に平和を見出すべき彼〔イエズス〕を捨てている。
管理人注
[1]  悪魔/悪霊達が「俺はこれを天国に強制されて言っている。好きで言っているのではない」と強調すればするほど、そこにいわゆる “胡散臭さ” を感じる人も多いのでしょう。「その強調はつまり、司祭に “信じさせたい” のかも知れない」と。つまり「彼の “悪しき企み” において、それを強調したいのかも知れない」と。
しかし、そうではない可能性もあると思います。私は、マラカイ・マーチン神父の『悪魔の人質』でしたか、ある悪霊がこのようなことを言っているのを読んだことがあります。 「エクソシズムの時に下手なことをしゃべると、あとでルシファーからこっぴどく責められる」と。ルシファーは、自分だってエクソシズムで口を割らせられるくせに、部下の悪霊にはそのように辛く当たるらしいのです(笑) それで、悪霊は、横で聞いているであろうルシファーや他の悪霊達への “言い訳” として、「喜んで言っているわけではない」と何度も強調したくなるのではないでしょうか。(可能性として。)
そしてまた、勿論、天国から文字通りそれを強調するようにと命じられている可能性もあります。
(私自身は「可能性」と考えているわけではないけれども。)
[2] 「ローマが教義を捏造するかも知れないので、司教達はそれを監視しなければならない」という意味と、「司教達はローマに忠実であるべくローマに聞かなければならない」という意味の二つが考えられるように思われるが、ここは後者だろう。
悪魔は別の日に同様の発言をしていて、編者はそれを聖書のエキュメニカルな改訳と結びつけている(参照)。それに従えば、前者の「ローマが教義を捏造するかも知れないので…」という意味になるようにも思えるが、悪霊達はふだん圧倒的に「司教達」を馬鹿にしているので、この解釈はやはり不自然である。
従って、悪霊はこの時「ローマ」という言葉を、聖書の悪しき改訳に自らも若干関わっていたであろう(少なくともそれに “ある種の承認” を与えていたであろう)当時の「バチカン」(の “一隅”)の事を言ったのではなく、要するに「聖伝」と同義の意味で言ったのだろう。
そして、パウロ六世教皇様、当時教皇であられたこのお方は、残念なことに、信仰について正しい目を持った多くの人達から疑われることになったけれども、実はそれ(正しき信仰)を内面に保持しておられたのである。(いつも、ではなくても。完全に、ではなくても。)
[3]  言わずもがなだが、教会のことだろう。
[4]  英訳者である司祭は、ここに「特に especially」という言葉を付け加えている。「特に、ここヨーロッパにおいて」
[5] 『他界からの警告』でのヴェルディ・ガランデュー(参照)と同じく、元司祭である彼は、今の彼の立場からすれば「お前達」と言うのが自然なところを、「我々」と言ったりする。おそらく生前の意識がどこかに残っているのだろう。
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