条件的であるということ
人類に下される全ての罰は、人々の反応に応じた条件的なものです。
- 1979年12月25日、聖母
†
その不思議な写真[Jacinta 1972]
[2] は、人類に下される懲罰の日付に関して天の御父がお与えになったものです。全ては人類の反応に応じて条件的であることでしょう。
- 1978年11月25日、聖母
†
これを理解しなさい、わが子らよ。天国からの全ての指令はあなた方の反応に応じた条件的なものなのです。
- 1976年8月21日、聖母
†
全ての警告は人類の反応に応じた条件的なものである。
- 1976年8月14日、イエズス
†
警告の中で与えられる指令の全ては、人類に応じた条件的なものである。
- 1976年7月24日、イエズス
†
わが子らよ。全ての預言、全ての警告は、条件的なものであったのです。人間の反応に応じた条件的なものでした。
- 1976年6月24日、聖母
†
あなた方は、天から与えられたこれらの警告の全てが人間の反応に応じた条件的なものであることを理解しなければならない。
- 1977年5月18日、イエズス
†
全ての警告は条件的なものとして与えられたのである。
- 1976年4月10日、イエズス
†
ヴェロニカ: 今、辺り全てがとても暗くなってきました。そして今、聖母像の真上の空に大きなクエスチョン・マークが形作られています。大きなクエスチョン・マークです。奇妙な感じです。それはまるで、何かが未決定の状態にあるかのようです。それは起こるのか、起こらないのか... それは条件次第です、大きなクエスチョン・マークです。天において何かが未定です。何かとても...とても壊滅的なもの。そして、私達は問われています、「あなた方はこれを望みますか?」と。
福いなるお母様、私達は執行猶予を受けようとしているのでしょうか?
聖母はお辞儀をされました。彼女はお答えになりません。今、聖母はご自身の唇に触れておられます。
聖母: あなたは続けなければなりません、わが子よ。償いの祈りを続けなければなりません。
- 1977年2月1日
†
ヴェロニカ: イエズスがおっしゃっておられます。「あなた方の世界で犯されている冒涜と罪のために永遠の御父に対して償いと犠牲が捧げられない限り」... イエズスがおっしゃっておられます、「私は “捧げられない限り” と言う。というのは、全ての罰は人間の反応に応じた条件的なものだからである。しかし、その時は(捧げられない時は)多くの艱難が人類の上に送られるであろう」
- 1976年4月8日
†
ヴェロニカ: おそらく私達は... 来ようとしている警告と大懲罰を喰い止めることができます。全ては条件的です。
- 1973年10月6日
†
「警告」は間もなく人類の上に来るであろう。わが子よ、あなたは私に “それを止めることはできるか?” と尋ねる。ただ祈りと犠牲だけによって、それは喰い止められるだろう。しかし、時は既に過ぎているのである... それ故、それは “止められるか?” という質問の対象になるべき事柄ではない。何故なら、わが子らよ、それは既に来つつあるからである。それ故、それはそうならないための祈りの対象であるべきである。
- 1988年10月1日、イエズス
†
わが子よ、これ[金融恐慌]は止めることができるであろうか? もし私達の思いが時間内に人々によって受け止められるのであれば、何事も止められ得るのである。
- 1988年10月1日、イエズス
†
私達はあなた方に、これらの惨事から離れている道を教えてきました。そしてその道は、ただ祈りと回心と償いとによってのみ導かれるのです。
- 1989年3月18日、聖母