#187 - MANY  VS.  ALL [1] 
主が「そして多くの人のために」と付け加えられた時、ユダヤ人と非ユダヤ人の中から選ばれる残りの人達のことを意味しておられました。それ故、当然ながら、「全ての人のために」とは言われませんでした。そこではただ主の御受難の実について語られていたからです。そして、選ばれる人々にとっては、主の御受難だけが救いの実をもたらすからです。そしてこれは、使徒の「キリストは多くの人々の罪を除くために一度だけ御自分を捧げられた」〔ヘブライ 9:26〕という言葉の、また、聖ヨハネの福音書の中の主の「私は彼らのために祈ります。この世のためではなく、あなたが私にお与えくださった人々のために祈ります」〔ヨハネ 17:9〕という御言葉の趣旨です。
トレント公会議のカテキズム、第二部、第四章、問24
〔トレント公会議のカテキズムは英語で Internet Archive で読めます〕
「多くの」が常により適切です
私の子供たち。あなた方の宗教の教義が、あなた方の宗教のドグマが、あなた方に与えられてきました。そしてあなた方は、あなた方自身と私の御子の教会を破壊することなしには、それを変えることはできません。
私の御子は人類のために十字架上で死にました──彼は全ての人のために死にました。しかし、罪から回心しない限り、全ての人が〔天国に〕入るというわけにはいきません。私の子供たち。「多くの」という言葉の方が常により適切です。永遠の生命の王国に、〔今までも〕全ての人が入ったわけではありませんし、〔これからも〕全ての人が入るわけではありません。〔既に〕多くの人が地獄に落ち、永遠に滅ぼされています。
1978年5月27日 聖母
全ての者が入るわけではない
わが子らよ。天国は全ての人々のために創られた、しかし全ての人々が入るわけではない。信仰(Faith)は受け入れられなければならない。多くの人々が入るだろう、しかし、現在の試練、そして間もなくあなた方に振りかかることになる試練や懲罰の中で、ただ僅かの人々だけが救われるだろう。
1975年12月6日 イエズス
騙されてはなりません
私の子供たち。偽教師たちの教えに騙されてはなりません。彼らは「全ての人が王国に入る、何故なら、イエズスはあなた方のために自らを生贄としたのだから」と言います [2] 。あなた方の神の王国は全ての人々のために創られました。しかし、全ての人が入るわけではありません。天国はあります。煉獄もあります。そして、悲しいことに、地獄もあります。永遠の滅びの場所です。羊は山羊から離されます。小麦はもみ殻から離されます。
1976年6月5日 聖母
私の死
あなた方は、私を自分の主として受け入れない限り、暗闇に落ちることを免れない。私は光を運び、あなた方の神として、その光をあなた方の上に投げかける。誰も、自らの内なる合意と意志なしには、深き淵に陥らない。しかし、わが子らよ、私はまことにあなた方に言う、あなた方の世界での私の苦しみと死は、天国の門を開いた。しかし、全ての者が入るわけではない。信じ且つ掟を受け入れない限りは、全ての者が入るというわけにはいかない。
1976年8月21日 イエズス
ただ「多くの」人だけが用意ができています
私の子供たち。聖三位における聖父は、私が神と人間との間の仲介者(Mediatrix)としてあなた方のところに来ることを、深く御思慮なさいました。私もまた、人間の自然本性を持った一人の母親として地上に生きたので、あなた方の弱点のことがよく分かります、あなた方の苦境のことがよく分かるのです。しかし、あなた方は祈りと犠牲をもってすれば、それらを乗り越えられます。あなた方もまた、救われることを試み、また求めるなら、回復されることができるのです。永遠の聖父は、地上の全ての生き物をお創りになりました。そして、善き父として、愛する父として、彼は全てのものが救われることを望んでおられます。しかし、私の子、そして子どもたち、それは悲しい真実です。彼は全てのものが救われることをお望みですが、ただ僅かのものしか救われないでしょう。
彼は死にました。私の御子。彼は心と体における拷問のような死を死にました──全ての人のためにです。しかし、ただ「多くの」人だけが用意ができています。そして、ただ「多くの」人だけが呼ばれるでしょう。
1978年5月30日 聖母
ただ「多くの」者だけがそれを選んできた
わが子よ。王国に居る者たちの心の内なる〔嘆きの〕苦悶は、決して言葉で表わすことができない。
あなた方の世界は、心の深い暗闇の中に落ち込んでしまっている。深き淵が広く開き、そして多くの霊魂が永遠の滅びの中に落ち続けている。あなた方は自由意志を持ったものとして生まれ、自分自身の選択を行なうだろう。天国の王国は全ての人々のために創られた。しかし、ただ「多くの者たち」だけが、それを選んできた。天国の王国は、功しと恵みを通して得られねばならない。あなた方は既にその方法を与えられている。わが御母は、あなた方の間に仲介者(Mediatrix)として送られた。彼女の言葉を軽んじてはならない。
1974年12月28日 イエズス
誤り
あなた方はヒューマニズムとモダニズムの基準を持ち込むことによって私の御子の教会を危うくしてはなりません。あなた方はサタンにドアを開いてきたのです。
全ての人が天国の王国に入るという誤った考えによって動かされてはなりません。私の子供たち。ただ「多くの」人達だけが天国の王国に入るのです。──掟に従うならば。
1975年9月13日 聖母
不満な者が変化を求める
全ての人が聖父の被造物であり(is)、また聖父の被造物であった(was)のです。しかし、全ての人が、あるいは全ての人々が、聖父の王国に入るわけではありません! ただ僅かの者だけが、最終的な数の中に数えられます。あなた方は全員、チャンスを与えられます。そして、あなた方はそれを拒絶することもできるし、聖父と共に生きる永遠の生命をあなた方に勝ち取らせるためにあなた方に与えられる恵みと道を受け入れこともできます──あるいは、深い淵での永遠の滅びを!
あなた方は、私の御子の敵たちと交わることによって私の御子の家を、教会を破壊してはなりません! あなた方は基準を引き下げることによっては敵を回心させることはできないでしょう。あなた方の模範が確固とした信頼の源でなければなりません
変化! 基礎が時の試練に耐えて来ているというのに、変化にどんな必要性がありますか? 変化を求めているのは、不満を抱えた、強欲な、貪欲な人間です。彼は人間を神のところに連れて行くために変えるのですか? いいえ! 彼は人間を神から奪うために、そしてそれをルシファーに与えるために変えるのです!
サタンはそこに居たのです、その大きな公会議の場に聞き耳を立てながら居たのです [3] 。彼はあらゆる動きを待っていました、そして自分のエージェントたちをあなた方の間に置いたのです! あなた方の道を認め、再建しなさい。あなた方は欺かれて来たのです。あなた方は間違った道の上に居ます。いますぐ引き返しなさい、そうしなければ、あなた方は自己破壊の種を蒔くことになるでしょう!
あなた方の聖父の御手があなた方の上に振り下ろされる前に、あなた方はどれだけ多くの警告を受けることでしょう? 日付に関しては、私は全人類に与えることはしません──ごく僅かの者を除いては。望みさえすれば惜しみなく与えられる恵みを受け入れる全ての人は、不意に捕えられることはないでしょう。そのような人は自分を準備するでしょう。地上の全ての人類が、自分の死に備えなければなりません。
1974年8月14日 聖母
天国は全ての者のために創られた、しかし...
天国の王国は全ての者のために創られた、しかし、自分の盲目性を脱いで悔い改めない限り、全ての者がそこに入るというわけにはいかない。多くの者は与えられた恵みを放り投げてしまっている。彼らは最終的な落下について盲目である。彼らは自分たちの生命はエンドレスだと信じるように誤導されてきた。あなた方は髪の毛一本一本に至るまで数えられている。あなた方の人生は一瞬一瞬に至るまで量られている。
1971年9月14日、イエズス
(以下、省略)
管理人注
[1] 多くの人が既に知っているように、第二バチカン公会議以降、世界の多くの言語において(幸い日本語は例外だった)、ひと頃まで、ミサ典礼文の中、次のような誤訳が為されていた。御血の奉献の箇所。
これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血である。
これはわたしの血の杯、あなたがたと全ての人のために流されて罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血である。
[2] 私が常に危惧するのは、多くの真面目な人達には「言葉」というものをあまりに生硬に受け取る傾向があるということである。この箇所も、もし言葉の表面を受け取るならば、「一体どんな聖職者が『全ての人が天国に入る』などと断言しているのか」と反論することが可能である。そして確かに、誰の目にも全く明らかにそのような “断言” 以外の何ものでもないような言説を取っている聖職者はまず「いない」と言っていいだろう。しかし、言葉というものをそう生硬に捉えるべきでない。すなわち、いわゆる “曖昧な言葉” というものが私達の信仰心に及ぼし得る悪影響、というものに敏感でなければならない。大切なのは “字面” ではなく “現実” である。そのような意味では、「全ての人が天国に入る」に限りなく近い言説が近年の聖職者の言説の中に多く見られるというのは本当である(参照)。聖母はそのようなニュアンスで仰っている。
[3] ここも同様である。私達は言葉のニュアンスというものを知らなければならない。すなわち、聖母のこのお言葉を見て、「この聖母は第二バチカン公会議の全てを否定している! この聖母は第二バチカン公会議の全てが悪魔の翼に覆われていたと言っている!」などという、あまりに単純な反応をしてはならない。そうではなく、聖母はいわゆる「混入」のことを仰っている。「第二バチカン公会議の全ての要素が悪魔製だ」などとは仰っていない。しかしまた、「それはうっすらと煙が入った程度の混入だった」とも仰っていない。「教会を “自己破壊” に導くであろうような深刻な混入である」と仰っている。ここにおける言葉のニュアンスはそれである。
2011/12/31
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