第七箇条「かしこより生ける人と死せる人とをさばかんために来たりたもう」では何を教えていますか。
使徒信経の第七箇条では、世の終りに偉大な権能と栄光をもってイエズス・キリストが天より下り、すべての人間の善悪を裁き、それぞれに報いをお与えになることを教えています。
人はみな、死後すぐに、私審判においてイエズス・キリストの裁きを受けるのに、なぜもう一度公審判で裁きを受けなければなりませんか。
人がみな公審判において裁かれるのは、
1. |
神の栄光のため、 |
2. |
イエズス・キリストの栄光のため、 |
3. |
聖人たちの栄光のため、 |
4. |
悪人たちのこらしめのため、 |
5. |
そして、最後に、肉身も霊魂と共に報いを受けるため |
なのです。
公審判において神の栄光はどのように現われますか。
この世では、しばしば善人が苦しみ、悪人が栄えているのを目にしますが、公審判のときには、神がどれほどの正義をもってこの世を統治しておられるかがみんなにわかります。公審判ではこのようにして神の栄光が現われます。
公審判においてイエズス・キリストの栄光はどのように現われますか。
人間による不正な裁きをお受けになったイエズス・キリストは、公審判において全ての人の前に、最高の裁判官として姿を見せることにより、御自分の栄光をお現わしになるのです。
公審判において聖人たちの栄光はどのように現われますか。
悪人にさげすまれ死んでいった多くの聖人は、公審判で全ての人の前で称賛を受け、その栄光を現わします。
公審判での悪人のこらしめとはどんなことですか。
公審判で悪人の受ける恥辱は非常なもので、特に、正しい人々を圧迫した者やこの世で善人、人格者として敬われるように体裁をつくろってきた人たちは、すべての人の前で、過去に犯した罪や隠れた罪までもあらわにされます。