教皇とは、だれですか。
教皇は、ローマ司教の座を占める、聖ペトロの後継者であり、イエズス・キリストの代理者、可視的教会の頭のことです。
なぜ教皇は聖ペトロの後継者なのですか。
教皇が聖ペトロの後継者であるのは、聖ペトロが彼自身の内にローマ司教の位と教会の頭としての位をあわせ持っていたからです。聖ペトロは神の御旨に従って教皇座をローマに定め、そこで没しました。それゆえ、ローマ司教に選ばれたものが、同時に教会の全権能の後継者となるのです。
なぜ教皇はイエズス・キリストの代理者なのですか。
教皇がイエズス・キリストの代理者であるのは、この世においてイエズス・キリストの代りに教会を統治するからです。
なぜ教皇は可視的教会の頭なのですか。
教皇が可視的教会の頭であるのは、不可視的な教会の頭であるイエズス・キリストと同じ権能をもって、可視的教会を治めるからです。
それでは教皇の位とは何ですか。
教皇の位とは、この世のあらゆる権能のうち最高のもので、全ての牧者、信者の上にたち、最高かつ直接的権能を行使できる位のことです。
教皇は教会を教導するとき誤ることがありますか。
信仰と道徳に関する決定を下すとき、教皇は不可謬です。
なぜ教皇は不可謬ですか。
教皇が不可謬なのは、イエズス・キリストの御約束と聖霊の絶えまのない援助によります。
教皇はどんな場合に誤ることができませんか。
教皇は全教会が受け入れるべき信仰と道徳に関して、全力トリック信者の牧者、教師としての資格と最高かつ教皇の権威をもって、教義を決定するとき、誤りを犯すことはできません。
教皇の決定した教義を信じないものは、どんな罪を犯しますか。
教皇の決定した教義を信じない者も、疑いを持つ者も、信仰に反する罪を犯します。また頑固に不信仰の状態にとどまれば、カトリック信者ではなく異端者になります。
神が教皇に不可謬性の恵みをお与えになったのは、何のためですか。
神が教皇に不可謬性の恵みをお与えになったのは、教会が教える真理を私たちが確信して受け入れるためです。
教会が教皇の不可謬性を決定したのはいつでしたか。
教会は第一バチカン公会議において教皇は不可謬であると決定しました。もしこの決定に反論する者があれば、異端者となり、破門されます。
教会は、教皇が不可謬であることを決定することによって、新しい信仰の真理を定めたのですか。
教会は、教皇が不可謬であることを決定することによって、新しい信仰の真理を定めたのではありません。すでに聖書や教会の聖伝の中に含まれていた、教皇の不可謬性についての教えは神によって啓示された真理であるので、ドグマすなわち信仰箇条として信じなければならないということを、色々な誤った新説に対処するために、決定したにすぎないのです。
信者は教皇に対してどんな態度をとるべきですか。
信者はみな、教皇を父、牧者、普遍の師として仰ぎ教皇に心から一致しなければなりません。
神のお定めにより、教会内で教皇の次に尊敬されなければならないのは、だれですか。
教皇の次に尊敬されなければならないのは、神のお定めにより、司教です。
司教とはだれですか。
司教とは、教皇に従属しつつ、委託された司教区にある教会を統治するように聖霊によって定められた牧者のことです。
司教は自分の教区でどんな役目を持っていますか。
司教は自分の教区の聖職者、信徒、すなわち全信者の正当な牧者、父、師そして頭です。
なぜ司教は正当な牧者と呼ばれるのですか。
司教が正当な牧者と呼ばれるのは、自分の教区の信者を治める権能が教会の法と定めに従って司教に与えられているからです。
教皇と司教団はだれを受け継いでいるのですか。
教皇は使徒の頭である聖ペトロの後継者であり、司教団は教会の普通の統治に関して使徒たちの後継者です。
信者はみな司教に一致しなければなりませんか。
聖職者であれ、信徒であれ、信者はみな教皇と一致している司教に一致しなければなりません。
信者は司教に対してどんな態度をとるべきですか。
聖職者、信徒を問わず、信者はみな司教を敬い、愛し、尊ばなければなりません。また、司牧と教区の霊的指導に関係のある事柄において、司教に従わなければなりません。
司教を助けるのは、だれですか。
司教を助けるのは、司祭、とくに主任司祭です。
主任司祭とはだれですか。
主任司祭とは、司教のもとにあって、小教区と呼ばれる教区の一部を治め指導するよう任命された司祭です。
信者は主任司祭に対してどんな義務を持ちますか。
信者は主任司祭と一体となり、かれの言うことを素直に受け入れ、小教区の統治に関する事柄については、尊敬と恭順の態度を示さなければなりません。