至福八端にはどのようなものがありますか。
至福八端は次の通りです。
1. |
心の貧しい人は幸いである。天国はかれらのものである。 |
2. |
柔和な人は幸いである。かれらは地を受け継ぐであろう。 |
3. |
苦しむ人は幸いである。かれらは慰めを受けるであろう。 |
4. |
義に飢えかわく人は幸いである。かれらはあかされるであろう。 |
5. |
あわれみのある人は幸いである。かれらはあわれみを受けるであろう。 |
6. |
心の清い人は幸いである。かれらは神を見るであろう。 |
7. |
平和のために働く人は幸いである。かれらは神の子と呼ばれるであろう。 |
8. |
義のために迫害を忍ぶ人は幸いである。天国はかれらのものである。 |
イエズス・キリストはなぜ至福八端をお示しになりましたか。
イエズス・キリストが至福八端をお示しになったのは、信者が世俗的な教えを嫌い、すすんで福音の教えを実行するためです。
俗世間で、幸いといわれるのはどのような人ですか。
俗世間で幸いといわれるのは、巨大を富と名誉を有し、生活を満喫し、苦しみを味ったことのない人です。
イエズス・キリストが幸いだとおおせになった心の貧しい人とはどのような人たちですか。
イエズス・キリストが幸いだとおおせになった心の貧しい人とは、富から離脱した心を持ち、富を有するときはこれを正しく用い、富のないときは特にこれを求めず、富を失ったときには耐え忍ぶことのできる人たちです。
柔和な人とはどのような人たちですか。
柔和な人とは、やさしく人に接し、他人の欠点や侮辱を忍び、不平を言ったり、恨んだり、復讐したりしない人たちです。
苦しんでいるにもかかわらず、幸せであると言われる人はどのような人たちですか。
苦しんでいるにもかかわらず、幸せであると言われる人は、苦難を耐え忍び、この世にある罪や悪や中傷を見て心を痛め、天国への道は遠く、しかも天国を失う危険のあることを嘆き悲しむ人たちです。
義に飢えかわく人とはどのような人たちですか。
義に飢えかわく人とは、神の恩恵と善業にたえず成長することを熱心に望む人たちです。
あわれみのある人とはどのような人たちですか。
あわれみのある人とは、神を愛し、神のために人を愛し、霊的、物的に困っている人たちをあわれみ、自分の力と地位に応じて助けの手をさしのべる人たちです。
心の清い人とはどのような人たちですか。
心の清い人とは、罪を忌みきらい、罪のない清い生活を送り、特に貞潔に反する罪をすべて避ける人たちです。
平和のために働く人とはどのような人たちですか。
平和のために働く人とは、心の平和と人との平和な関係を保ち、相敵対する人々を和解させる人たちです。
義のために迫害を忍ぶ人とはどのような人たちですか。
義のために迫害を忍ぶ人とは、信仰とイエズス・キリストの御教えゆえに、人の侮辱、冒涜、迫害を耐え忍ぶ人たちです。
イエズス・キリストが、至福八端において約束しておられる種々の報いは究極的には何のことですか。
イエズス・キリストが、至福八端において約束しておられる種々の報いは究極的には天国の永遠の栄光のことです。
至福八端は天国における永遠の栄光だけを与えますか。
至福八端は、天国における永遠の栄光を与えるだけではなく、この世においてできるだけ幸福な生描を送るための手段ともなっています。
至福八端の教えに従う者は、この世においても報いを受けますか。
至福八端の教えに従う者は、この世においても報いを受けます。それは、至福八端に従うことによって、不完全であるとは言え、永遠の幸福のはじまりである内的な平和と満足を享受できるからです。
俗世間の教えに従う者が幸せであると言えますか。
俗世間の教えに従う者は、魂の真の平和を持たず、大きな罰を受ける危険に身をさらしていますから、幸せであるとは言えません。