2006.07.11

『教会憲章』第22項の妙な言葉づかい

教会憲章 第22項から
しかし、司教団体すなわち司教団は、ペトロの後継者であるローマ教皇をその頭として一致したもの、また牧者も信者も含めたすべての人に対する教皇の首位権は完全に存続するものと考えるのでなければ、権威を持つことはない。事実、ローマ教皇はその任務、すなわち、キリストの代理者ならびに全教会の牧者としての任務の力によって、教会の上に完全・最高・普遍の権能を持ち、それを常に自由に行使することができる。他方、教導職と司牧統治職において、使徒団体を相続し、むしろ、使徒団がその中に存続している司教団は、そのかしらであるローマ教皇とともに、そしてけっしてこの頭なしにではなく、全教会のうえに最高、完全な権能を持つ主体でもある。ただしこの権能は、ローマ教皇が同意するときだけしか行使できない。主はシモンひとりを全教会の岩、教会の鍵を持つものとし、かれを自分の群全体の牧者に任命したのである。しかし、ペトロに与えられた結ぶ任務と解く任務が、自分の頭と一致する使徒の団体にも与えられたことは明らかである。この団体は、多くの構成員から成るものとしては神の民の多様性と普遍性を示し、一つの頭のもとに集められたものとしてはキリストの群の一致を表わしている。司教たちはその団体の中で、自分の頭の首位権と卓越を忠実に認めながら、自分の信者の善のため、さらに全教会の善のために、自分に固有の権能を行使し、聖霊はその有機的構造と協和を絶えず固めている。
教会憲章さんや教会憲章さん、
世間ではこういう時、ただシンプルに
「司教団は第二位である」
と言うのです。
首位権を持つ者と一致している限りにおいて
という「条件」の「下」に置かれている者のことを、
世間では無理して「最高、完全」とは言わないのです。
シスターも戸惑いを隠しません。
22条  司教団
『教会憲章』は、まず、使徒団と司教団、ペトロと教皇とを比較して語ります。ペトロは使徒たちの頭でしたが、12使徒の一人でした。それと同様に、ペトロの後継者であるローマ教皇は、使徒の後継者である司教たちと司教団を作ります。彼らは、一致と愛と平和のきずなで結ばれています。
頭である教皇が司教団と違うのは、教皇は、全教会に対して、完全、最高、普遍の権能を持っていることです。教皇は、ある時は「教皇」一人の名で、またあるときは、他の司教と一致して「司教団」の名で、ことを決定していきます。
ペトロの後継者と一致している司教団もまた、全教会に対して最高完全な権能を持っています。しかし、教皇の同意なしにその最高の権能を使うことはできせん。
「いったい、どっち?」わかったようなわからないような教皇と司教団の権威の関係ですね。全教会に対しての最高の主権には、3つの説があります。
1. キリストの代理者であるローマ教皇のみが有する。
2. 頭であるローマ教皇と一致する司教団が有する。
3. 教会の最高の権威は、不完全に2つに分けられる。
第2バチカン公会議は、この結論は出しませんでした。
 教会の統治機構ほど、複雑なものはないと言われているそうですから、「理解できなくて当然!」としておきましょう。(^^;
いえ、シスター、「教会の統治機構ほど、複雑なものはないと言われている」のではなくて、意図してそう「言っている」者ら、あるいは「言わせている」者らがいるのでしょう。
そして、第二バチカン公会議は、このような成り立たない〇ホな言葉づかいによって(つまり騙される方も問題です)司教様達の「自尊感情」を刺戟したのです。実は、ここが実に重要です。
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