2006.11.10

司祭今昔

昔の司祭(1972年)
この仕草
今の司祭(カトリック新聞)
司教様。司教様にとってアジアやアフリカが特別に懐かしい場所であったり文化的に意義深いと思われる場所であったりするなら、司教様は単に「アジアで会議を持ちたい」「アフリカと交流したい」と言えばいいのではないでしょうか。それで済むことではないでしょうか。それが何故、わざわざ「ローマ以外で」というセリフになるのでしょう。私には、司教様のこの言葉遣い、言葉運びが、司教様の中の無意識的な何かを表わしているように思えます。(あるいは充分に意識的なものなのかも知れませんが。)
「バチカン・チルドレンになる」ことに何か問題でもあるのでしょうか?
それに、そもそも「バチカン・チルドレン」などという言葉があること自体、とてもおかしなことではありませんか。これは明らかに「小泉チルドレン」という言葉になぞらえたものですが、これはつまり、この言葉を使って質問した記者もそれに普通に答えることができた司教様も、バチカンと我々との関係というものを、まず第一に「政治的なもの」「人間的なもの」と考えてしまっていることのいい証拠ではないでしょうか。正しい聖職者ならその質問に即座にこう答える筈です──「何を言うか。我々の関係をそんな政治の言葉で言うのか。聖座と我々の関係はまず第一に何よりも霊的なものであることをお前は信じないのか。」
時代の空気に呑まれて、このような記者の〇鹿な質問にうかうかと普通に答えることができるなんていうのが、失礼ながら、お眠りになっている証拠ではないかと思います。
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