2008.10.05

第三の秘密に関してバチカンは真実を言っていない 1

バチカン(Vatican Information Service)は、
2001年12月20日のオッセルバトーレ・ロマーノ紙上で、
次の言葉を「シスター・ルチアの言葉」としました。
これで全てが公開されました。隠されていることはもう何もありません。
しかし、そんな筈はありません。
1984年11月11日--ラッツィンガー枢機卿は聖パウロ女子修道会の出版物、雑誌『イエズス(Jesus)』においてインタビューを公表している。そのインタビューのタイトルは「ここに信仰が危機に瀕している理由がある」となっており、枢機卿の明白な許可を得て公表されている。そのインタビューの中でラッツィンガー枢機卿は、信仰の危機が世界中の教会に影響を及ぼしていると述べている。この文脈の中で彼は自分が第三の秘密を読んだということ、そして秘密は「キリスト教徒の信仰と生命、そしてそれゆえに世界の生命を脅かす危険」に言及しているということを明らかにしている。
枢機卿はこのように、秘密が教会における広範囲の背教に関係があるというアロンゾ神父の主張を確証している。ラッツィンガー枢機卿は同じインタビューの中で、秘密はまた「ノヴィッシミ[終りの時/終りの事柄]の重要性」に言及している、そして「もしそれが、少なくとも今のところ、公表されないとすれば、それは宗教的な預言を興味本位と混同することを避けるためである...」と言っている。(…)
(…)枢機卿は第三の秘密が「興味本位のことを求めることと[それが]混同されることを避けるために」明らかにされることはできない「宗教的な預言」を含んでいると言っている。にもかかわらず、2000年6月26日には、同じラッツィンガー枢機卿は第三の秘密がすでに起こった(1981年の教皇暗殺未遂において絶頂に達する)出来事にのみ言及し、未来に関するいかなる預言も含んでいないと言う。(…)
1985年6月--『イエズス』における1984年11月のインタビューが『ラッツィンガー報告』というタイトルの一冊の書物において出版される。第三の秘密の内容に関するインタビューにおける鍵となる言及は不可解なことに書物から削除されてしまった
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バチカンが公開した幻視の内容は第三の秘密を読んだ人々の陳述と調和していない。教皇つきの神学者、マリオ・チアッピ枢機卿は1995年にこう言った:「第三の秘密においては、他の事柄もいろいろあるが、教会における大背教がトップで始まるであろうということが予告されている。」1984 年にラッツィンガー枢機卿は、秘密が「信仰、キリスト教徒の生命、そしてそれゆえに世界の生命に対する危険」に対する警告を含んでいると、言った。しかし、2000年には、彼は秘密のこれらの様相には何ら言及しなかった。教皇ヨハネ・パウロ二世は1980年フルダにおいて「諸海洋が地球のある部分で完全に溢れ、一瞬の間に数百万の人々が死ぬであろう」という預言を含む秘密について仄めかされた。秘密のこの局面もまたバチカンの2000年の公開においてはどこにも見出されなかった。
ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、2000年6月26日の後に、教皇ヨハネ・パウロ二世の個人的な友人との私的な会話の中でこう訊ねられた:「第三の秘密全体はあなたの新聞記者会見の中で明らかにされましたか?」ラッツィンガーは「確かにあれは秘密のすべてではなかった」と認めた。
故マラキ・マルタン神父はアート・ベル・ショー(1998年)における彼の最後のインタビューにおいて、ファチマの第三の秘密には何かぞっとするような、そして恐ろしいものがあると述べた。それは諸国民の絶滅、核戦争あるいは教会の流血の迫害ではない。それははるかに悪いあるものである。教皇ピオ十二世は1945年に次のように宣言されたとき、このことに言及された。「世界は恐るべき深淵の縁にいる...人々は人類が決して見たことがなかったようなそのような苦しみのために準備を整えなければならない。」第三の秘密は黙示録的であり、そしてそれゆえに聖書の終末論的なテキストに一致する。これは、ラッツィンガー枢機卿が、秘密は'novissimi'--最後の事ども--に関係し、そして聖書において明らかにされていることに一致するということを明らかにしたとき、指摘したことである。
実際、Catholic World News は2001年10月11日に元フィリッピン・ヴァチカン大使ハワード・ディー氏が Inside the Vatican 誌との1998年インタビューにおいて「伊藤司教[秋田の地方司教、現在亡くなっておられる]が秋田はファチマの延長であると確信しておられた」、そして「ラッツィンガー枢機卿は、これら二つのメッセージ、ファチマと秋田のメッセージは本質的に同じであると個人的に私に確証されました」と言いました。。同じ Catholic World News の記事はさらに「伊藤司教とラッツィンガー枢機卿は二人とも秋田におけるメッセージと諸々の出来事は超自然的な起源のものであると宣言され、そしてそれらを信じるに価するものと保証された」と述べました。
ラッツィンガー枢機卿のこれらの驚くべき証言を念頭に置いてわれわれは秋田の聖母がシスター・アグネス・笹川カツ子に1973年10月13日、まさに太陽の奇跡の記念日に仰ったことを考察することができます。これを言葉通りに引用させてください:
前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるにちがいありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子に残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、教皇、司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。
(訳者註:安田貞治 秋田の聖母マリア pp.133-134 から引用)
ですからここにわれわれは[教会によって]承認された一つのマリア御出現における二つの要素:すなわち、物質的な破局と霊的な破局との結合を見るのです。われわれは教会における背教 - そしてまた好結果の聖母によって予告された - を見ますがそれは全世界を懲罰する激変的な出来事を伴っているのです。
ところで、私がさっき述べたように、ラッツィンガー枢機卿はフィリッピン駐在元ヴァチカン大使に、ファチマのメッセージと秋田のメッセージは本質的に同じものであるということを認められました。それにもかかわらず、ファチマの秘密の最初の二つの部分も2000年に公表された第三の秘密の幻視も聖母が秋田で言われたことを言っていません。実際、われわれは第三の秘密の幻視につけ加えられた聖母の言葉を全然持っていません。
だから、「これ以上の秘密はありません」「隠されていることはもう何もありません」などというのは「嘘」です。
バチカン(教理省)はこれも彼女の言葉だとしています。
はい、1984年3月25日は、聖母が望まれたように行われました。
教理省『ファチマ 第三の秘密』(2000年)
しかし、そんな筈はありません。
1988 年1月27日 -- John O'Connor 枢機卿と証人 Elizabeth Rooney を含む1000人の人々が出席した、ラッツィンガー枢機卿がエラスムスについて講義したニューヨーク・シティの聖ペトロ教会。講義の後、個人的な求めに応じて、ラッツィンガー枢機卿はその司祭としての祝福を与え、そしてそれから彼女の奉献の要求に確証の七語をもって答えられた。「[枢機卿]閣下、私はあなたに、教皇ヨハネ・パウロ二世が、直ちにそして世界のすべての司教たちと一致して汚れなきマリアの御心にロシアを奉献なさるよう求めたいのです。」ラッツィンガー枢機卿は答えられた:「私はそれがなされるべきであることを知っています![I know it has to be done!]」...その意味は1988年1月27日までには奉献はまだなされなかったということである。
だから、教理省のその言葉も「嘘」です。
「司牧的配慮」としての嘘だったかも知れません。しかし嘘は嘘です。
教理省『ファチマ 第三の秘密』
その教理省『ファチマ 第三の秘密』の中で、「シスター・ルチア」はこんなことも言っています。
「神がこのようにわたしたちを罰しておられる、というのはやめましょう(let us not say that it is God who is punishing us in this way)。反対に、罰を受けるようなことを進んで行っているのは人間自身です。神は、わたしたちに与えた自由を尊重しながら、やさしくわたしたちに注意を促し、正しい道に招いておられるのです。ですから、その責任は人間にあります。」(中央協議会版、p.13)(Vatican
うっかりすると、「この言葉には間違ったところなど何もない」と思ってしまいます。しかし、この言葉はファチマ・メッセージにおける聖母のお言葉、またそれを受けて話していた初期の頃のシスター・ルチアの言葉とは、ずいぶんと調子の違うものです。
聖母は「懲罰」という言葉を遠慮なくお使いでした。そこには非常に厳しい神の姿が浮き出ていました。また、その頃のシスター・ルチアも、聖母から出るそのような厳しさをそのまま忠実に私達に伝えていたものです。
聖母が私達のためにためらいなく「懲罰」という言葉をもって「警告」しておられる時に(それが聖母の愛なのです)、「神が罰しておられると言うのはやめましょう」と言うこの人は、何者でしょうか。
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