2008.10.06

第三の秘密に関してバチカンは真実を言っていない 2

もう一つ忘れていました。
教理省の『ファチマ 第三の秘密』の中には次のようなのもあります。
シスター・ルチアが「秘密」の第三部を入れて封印した封筒を、当時のレイリア - ファティマ教区の司教に渡す前に、外封筒に、「開封は一九六〇年以降に、リスボン教区の総大司教かレイリアの司教かによって」と書いたことについて、ベルトーネ大司教は、「なぜ、一九六〇年以降にと期限をつけたのですか。マリアがそうお決めになったのですか」と尋ねた。するとシスター・ルチアは、「いいえ、マリアではありません。わたしが決めました。なぜかといえば、わたしの直観で、一九六〇以前には理解されない、そのあとになれば分かってもらえると思ったからです。今では、とてもよく理解することができます。わたしは、見たことを書いたまでです。解釈するのはわたしではなく、教皇様です」と答えた。
中央協議会版 p.28
私は「いい加減にせよ」と言いたくなります。「第三の秘密が入った封筒を開封する期日」──これは人類にとって極めて重大なことです。それを「わたしの直観」で決めたとは・・・
シスター・ルチアという人は、何か重大なことに関しては、必ずイエズス様や聖母に直接お伺いを立てた人でしょう。ある時、彼女は聖母に「この事をフランシスコに話してもいいでしょうか?」と尋ねています。「フランシスコに話す」ことについてそれだけ慎重だった人が、「第三の秘密が入った封筒を開封する期日」に関しては自分の直観と判断に頼ったわけですか。(バレバレ)
そう、バレバレです。その言葉のあとに「解釈するのはわたしではなく、教皇様です」などという、一見殊勝な、カトリック信者受けしそうな事を言っても駄目です。
「第三の秘密が入った封筒を開封する期日」について、「シスター・ルチア2」ではなく「シスター・ルチア1」はどのように言っていたか、目をかっぽじって読んで下さい。
秘密を開き、それを世界に明らかにするためになぜ1960年まで待つ必要があったのかと、カノン・バルタスがシスター・ルチアに尋ねたとき、彼女はファチマのダ・シルヴァ司教のいる前で彼にこう答えた:「なぜなら、祝せられたおとめはそれをそのように望んでおられるからです。」
注: みこころネットさんのページが文字化けする時にはブラウザのテキストエンコーディングで Shift JIS を選択してください。
1944年1月2日 ─ 聖母がシスター・ルチアに再び御出現になり、彼女に 1917年7月にファチマで彼女に託された秘密の第三の部分--これは単純に第三の秘密として知られるようになる--を書き留めるようにお命じになる。聖母は第三の秘密が遅くとも1960年には世界に明らかにされるように要求なさる。後になって、第三の秘密はなぜ1960年までには明らかにされなければならなかったのかと問われて、シスター・ルチアはこう述べる:「祝せられたおとめがそれをそのようにお望みになっているからです」、そして「それ[第三の秘密]はそのときより明らかとなるでしょう」と。
あなたが信仰者のセンスを持っていれば、もう答えに迷わない筈です。
そう、「シスター・ルチア1」と「シスター・ルチア2」は別人です。
更に「総合判断」しましょう。
両者の顔の骨格の違いをもう一度見て下さい。
私の考え
何のためにそんな事をしたのか?
──聖母のファチマ・メッセージを抑圧するためです。
誰がそんな事をしたのか?
──「教会内フリーメイソン」でしょう。
《ページ移動のためのリンクはにあります》
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ
inserted by FC2 system