2009.08.13

来月23日、聖マリア大聖堂に同性愛肯定論者が 1

来月23日、同性愛肯定論者である米国聖公会総裁主教が、東京大司教区カテドラル(聖マリア大聖堂)に儀式のため足を踏み入れるかも知れない。東京大司教区はそれを知っていながら黙認するかも知れない。
掲示板「イエスの惑星」より
混乱の元 投稿者:一聖公会員 投稿日:2009年 8月 8日(土)
> 1988年、東京でもカテドラル聖マリア大聖堂を、
> 聖公会の主教着座式にそのまま貸し出しました。
>(近くまた同じことが行われるそうですが…)
> カテドラルは2000人が収容でき、わずかな献金で使用できる、
> 他教派のための貸出ホールではありません。
> 都内のあちらのR大学やR女学院にすばらしい礼拝堂があるのに…。
とありますが、その通りです。
今回(9月23日)は、カンタベリー大主教もいらっしゃいますが、アメリカ聖公会の総裁主教が来ます。この方は、「女性の主教」です。当然のことに女性司祭賛成、その上に同性愛者の聖職叙任賛成、同性愛者の結婚の祝福賛成です。アメリカには同性愛者の主教も居ます。日本にも女性司祭(しかも、離婚暦があったり事実婚の人もいます)が居ますし、女装をした司祭(男性名から改名しました。女性になったのでしょうか)も居ます。こういう人が、式次第の細かなことは知りませんが、礼拝の時には主祭壇を囲むのでしょう。
聖公会はこういうことを告知した上で借用を申し出たのでしょうね。そうでなければ騙したことになります。
貸しホールどころではありません。信仰の混乱の元になります。大変なことが起きようとしているのです。聖公会伝統派の一人として、どうして東京大司教区がこういう礼拝のために便宜を図ったのか理解に苦しみます。
東京大司教区の事務所や、日本聖公会の管区事務所に問い合わせたらいかがですか。
報道
ジェファーツ・ショリ米聖公会総裁主教の来日決定
9月23日に開かれる日本聖公会宣教150年記念礼拝に合わせて、米聖公会のジェファーツ・ショリ総裁主教が来日することが決定した。(…)礼拝は、日本聖公会(東京都新宿区、植松誠首座主教)が日本での宣教開始から今年で150周年を迎えるのを記念して開催するもの。約2000人収容可能な 東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)が会場となる。(…)ショリ総裁主教は、記念礼拝に出席するほか、前日のプログラムにも参加する予定だ。
彼女は同性愛の「完全肯定論者」なのか?
少し調べてみた。
米聖公会のリーダー:「同性愛は罪ではない」
2006年6月20日
米聖公会初の女性のリーダーは、それは罪ではない、との自らの所信を表明し、同性愛を擁護した。
キャサリン・ジェファーツ・ショーリ Katharine Jefferts Schori 主教(52歳)は、今週、230万の信者を擁する教会のヘッドに選出され、記者に、同性愛者とは同性の人達を愛するようにと神によって作られた人達であると自分は感じている、と語った。
ネバダの主教はCNNに語った。
「私は、神は私達を多様な(different)賜物(gifts)と共にお作りになったのだと信じています。私達各自は、私達にとってチャレンジとなるもの、私達にとって喜びとなるもの、そして私達がそれを通して周りの世界にとって祝福となるだろうものにおいて、多様な(different)一連のコレクションを携えてこの世に生まれて来たのです。」
「ある人達は同性の者達に向かうよう秩序付けられた(ordered)愛情と共にこの世に生まれ、またある人達は異性の者達に方向付けられた(directed)愛情と共にこの世に生まれて来るのです。」
彼女は、同性愛に関する聖書の記述は多様な(different)歴史的背景のもとに書かれたものだとして自説を擁護した。「聖書の中には、私達に人間としてどう生きるべきかについて教える非常に多くのものがあります。しかし、どのようなものを食べ、どのようなものを着るかなどについては、私達にとってそれほど多くのものがあるわけではありません。──聖書の中には、今日の私達が目にすることも出来ないような事柄に関する規則もあります。」
「聖書は私達に、他者をどう扱うか、を教えています。それはまさしくイエスの偉大なるメッセージです。排斥された者をも受け入れること(to include the unincluded)ということです。」
内部教派の多くが女性主教の存在を容認していないために、彼女の着任がアングリカン・チャーチ内の亀裂を広げることが懸念される。また、2003年にゲイのジーン・ロビンソンが新しいニューハンプシャーの主教に指名されて以来、緊張は既に高まっている。
新しい聖公会のヘッドは「同性愛は罪ではない」と言う
2006年6月20日
The Christian Post
同性愛についての自身の立場と男性間の性的関係を忌まわしいものと宣言(declare)している聖書の特定箇所の間にどのように折り合いをつけるのかと問われて、ジェファーツ・ショーリは、聖書というものは非常に多様な(different)歴史的背景のもとに多様な(different)問題に直面した人々によって書かれたものだ、と答えた。
米聖公会は「不当に批判されている」
2008年1月1日
BBC
米国聖公会のヘッドは、英国国教会を含む他の教会を、性的問題に関してダブルスタンダードである、として非難した。
米聖公会の総裁主教キャサリン・ジェファーツ・ショーリは、BBCに、彼女の教会は性的問題について正直であるために代価を払っている、と語った。
英国国教会派の分裂の兆しは、ゲイの主教が指名されたことによって高まった。
2003年、米聖公会は、公然たるゲイの男、ジーン・ロビンソン Gene Robinson を主教に選出した。
ジェファーツ・ショーリ総裁主教は、彼女の高位聖職者を擁護した。
「彼は確かに、ただ一人のゲイの主教ではありません。彼は確かに、ゲイの者とパートナーシップを組むただ一人のゲイの主教ではありません」と彼女は言った。
「彼は、ゲイの者とパートナーシップを組む自分の状態をオープンにしているただ一人の主教であるに過ぎません。」
彼女は、他のアングリカン教会の中にも献身的なパートナーシップの内にあるゲイの主教たちがおり、このことはオープンにされねばならない、と言った。
「それは確かにダブルスタンダードなのです」と、彼女はBBCの午後4時の番組で語った。
ゲイへの祝福
米聖公会はまた、ゲイのカップルのための祝福の執行におけるそのスタンスについても批判に直面している。
教会はかつて、その執行は公的認可を得ることはないだろう、と声明したが、ジェファーツ・ショーリ総裁主教は、それは現に行なわれている、と認めた。
「それはいろいろな場所で行なわれています。英国国教会でもです。私の理解するところでは、英国国教会では、聖公会におけるよりも遥かに頻繁にそれが行なわれています」と彼女は語った。
ジェファーツ・ショーリ総裁主教は、ゲイのカップルに祝福を与えている米国の諸教区のことを非難することを拒否し、それは各個別の教会に任されてあることである、と言った。
ランベス会議
2008年は、英国国教会派(Anglican Communion)の統一にとって危機的な年である。
7月には、世界中の英国国教会派の主教たちがランベス会議に出席することになっている。十年に一度、カンタベリー大主教によって召集されるものである。
しかし、幾つかのアフリカの教会は、われわれは会議をボイコットする──特にアメリカのロビンソン主教が招待状を受けるならば──と圧力をかけている。
しかし、ジェファーツ・ショーリ総裁主教は、彼はそれでも招待されるかも知れない、と言う。
「私達は今もそうなることを願っています」と彼女は言った。
米国聖公会のヘッド、同性愛を「一つの賜物(gift)」と呼ぶ
2008年12月22日
教皇ベネディクトはゲイの人々のことを異性愛の熱帯雨林を破壊しながら歩き回るゲリラのように考え、リック・ウォレン牧師は彼自身の人生の中で実際に正真正銘のホモセクシャルの人々に出くわした経験を語りながら自らの同性愛者嫌悪を擁護しているけれども、米国聖公会の総裁主教キャサリン・ジェファーツ・ショーリはこの週末、ワシントンポスト紙に、同性愛は「生物における一つの現実であって、単に人類に限ったことではありません! ある人々はそれは生物の秩序に反していると言いますが、それはおもしろい見解と言うべきで、私達が自然の中に観察するものと一致していないのです」と言い、同性愛を「一つの賜物(gift)」と呼んだ。
悪い人ではないのだろう、人としては。しかし、彼女はおそらく来月の23日、この姿で東京の司教座聖堂に立とうとしている。カトリックがカトリックの「信仰」(それは至高のものである)の観点から女性の司祭を認めていないその場所に。東京大司教区は、ヒューマニズムのために、あるいはキリスト教界における「友誼」のために、あるいは彼らが天主もお喜びになるか許容されるかするだろうと想像するところの「一致」(への努力)のために、少なくとも一時、「信仰」にそのあるべき場所からお引き取り願おうとしている。・・のではないか? 
私は勿論、札幌司教区という遠い場所からではあるけれど、日本の一カトリック信者として、この事を──彼女が同性愛の完全肯定論者の宗教指導者であるという事実を──東京大司教区に知らせるだけは知らせるつもりです。
「イエスの惑星」に書いたものから
2009年 8月12日(水)
一聖公会員さんに感謝します
反応が遅くなりましたが、私は、題名「混乱の元」の「一聖公会員」さんに心から感謝したいと思います。この方は、私達の信仰を(も)思って、「警告」をして下さっています。「大変なことが起きようとしているのです」と。
(中略)
> 東京大司教区の事務所や、日本聖公会の管区事務所に
> 問い合わせたらいかがですか。
 (一聖公会員さん)
私は、カトリック信者はそうすべきだと思います。
他の罪と同様、「同性愛の傾向を残しているがそれを罪と認識し、そこから抜け出したいと思っている者」がカテドラルに入ることは、私は問題ないと思います。けれども、どうして「頭から同性愛を肯定している者」(もし、そうなら)を、しかもそのように自分の信者たちを教えている他宗派の指導者を、私達はそこに入れなければならないのでしょうか。
私は、東京大司教区がそれを知っていながら黙認する時、それは東京大司教区自身の手による天主様に対する極めて大きな 「冒涜」 ということになるだろうと思います。
「冒涜」という言葉は、今、ともすると「宗教原理主義者」の怖い顔を連想させ、その「狂信的な過激さ」を想起させます。また、十分に「民主的」になった世界に住む私達にとって、それはともすると「人権蹂躙」「差別」等をも想起させます。ここが誰しもが弱いところです。
しかし、一言で言えば、違った種類の事柄を「混同」しないようにしなければならない、と思います。
「人権」と「天主の教えに基づく秩序」は全く別の話だからです。
「罪を憎んで人を憎まず」のつもりが、知らず知らず、おそらくは「臆病さ」により、「人を憎まず罪も憎まず」にならないようにしなければならないと思います。
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