2009.09.02

カタリナ・エンメリック「司教達の頭は霧の暗い雲」

1821年6月1日の手記より
私が見た最も奇妙なものの一つは、司教達の長い行列でした。彼らの考えと主張は、彼らの口から流れ出るイメージによって私に知らされました。信仰に関する彼らの誤りは、外形的な奇形によって私に示されました。二、三の人達は体だけを持っていて、頭は霧の暗い雲でした。他の人達は頭だけを持っていて、彼らの体と心臓は濃い蒸気でした。ある人達は足が不自由でした。ある人達は体が麻痺していました。他の人達は眠っているか、ふらふらとよろめいていました。
それから、私は、プロテスタントに関係したあらゆるものが徐々に優勢となり、カトリックの信仰が完全な頽廃の中に堕ちるのを見ました。ほとんどの司祭達は、神学校の若い教師達の華やかだが間違った知識に惹き付けられ、そして彼らは全員破壊の仕事に貢献しました。
Among the strangest things that I saw, were long processions of bishops. Their thoughts and utterances were made known to me through images issuing from their mouths. Their faults towards religion were shown by external deformities. A few had only a body, with a dark cloud of fog instead of a head. Others had only a head, their bodies and hearts were like thick vapors. Some were lame; others were paralytics; others were asleep or staggering.
Then I saw that everything that pertained to Protestantism was gradually gaining the upper hand, and the Catholic religion fell into complete decadence. Most priests were lured by the glittering but false knowledge of young school-teachers, and they all contributed to the work of destruction.
あ〜あ。また、こんな表現。(表現? 恥じ入ります.. )
確かに。
私も心にとめておく。けれど、癖はなかなか直らない。
そして、しかし、私からも少し言わせてもらう。
あなた方は「失礼か失礼でないか」しか知らないのか?
カタリナ・エンメリックの言うことが、どこか他国の司教達、あるいは今ではない将来の司教達のことを言っているとでも思っているのか?(今ここで、私達の教会で起こっていることである。)
「全員破壊の仕事に貢献した」という言葉が “大袈裟” だとでも思うのか?
ああ、しかし、祈らなくちゃ。

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