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2009.09.07

司祭「あがないの秘跡の文字通りの実行は避けるべき」

市瀬英昭(いちせ ひであき)神父
神言修道会日本管区長
教授(典礼学):南山大学
小 論
「あがないの秘跡」(Redemptionis
Sacramentum) の 受け取り方
「受け取り方」!───この題名だけで分かろうというもの!
読んでみれば案の定、「あがないの秘跡」で指摘されている諸事項を文字通り実行に移すということは避けるべきであると思われる、と来たもんだ !!!
正確に言えば、「当指針を単独に取り上げ → この文書で指摘されている諸事項を文字通り実行に移すということは」と続く。つまり「前提」がある。幾つかの「前提」があり、また「全体的な眺望」がある。
しかし、そんなものは要するにゴマカシである。自慢するためでなくここを読んでくれている人達と共有するために言うが、これは不肖私が少し前に典礼秘跡省に書き送った言葉、
あなた方が私達の司牧者達に送るあなた方の声は、彼らによってしばしば「料理」されます
というのにアカラサマなまでに嵌まる!
彼らはいつも「解釈の問題」「受け取り方の問題」を持ち込む。
そして、もっともらしい顔をしながら聖座の指示を骨抜きにする!
あんまりお勉強し過ぎて、いつしか人間にとって「知」が第一等のものであるような錯覚に陥り、「信仰」が何であるか、また「謙遜」が何であるかも分からなくなったインテリ〇〇であろう。(私も傲慢だが。)
説教壇の高みから、博士号を得るよりはむしろキリストに倣うことに時間を使う方がより良いであろうということが述べられるべきである。
博士号を持っている人も何人かはいなければならないことは間違いない。しかし、大部分の者にとっては、もし彼等が哲学あるいは数学あるいは神学等々を研究しなかったならば、その方が良かったであろう。
この言葉は「誰が言ったか」また「何が言ったか」に関わらず真実である。
特に求道者の方々のために言うが、この神父様の言う、
聖体拝領は口か手かについて言えば、歴史的には、当然、「手で」が先である
などという断定は信じない方がいい。
次を参照して欲しい。
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