2009.10.10

「在特会」と「主権回復を目指す会」の馬鹿リーダー

一番ひどいのは「在特会」会長の桜井誠(ペンネーム)氏である。
【桜井誠バトル!】vs名古屋市南生涯学習センター長 その1
他者に対する基本的な敬意というものが見事に欠けている。こういうものを退けるのに理屈は要らない。
在特会の桜井誠ら、障害者を集団リンチ(抜粋)
確かに桜井氏の言うように、相手の人が身障者の方であるかどうかは問題ではない。桜井氏の言動を点検するためには、ただ相手が「人間」でありさえすればそれで十分である。桜井氏は「人間」に、「他者」に、「隣人」に、次のような言葉を投げつけているのだ。
「車に飛び込め! ビルから飛び降りろ!」
「さっさと日本から出てけ、〇〇人!」
「ゴキブリは出てけ!」
「キチガイ、さっさと出てけ、オマエ!」
「朝鮮人は日本から出てけ!」
そして、怒って自分の杖を地面に叩き付けた相手の人に対して、これは桜井氏ではないが、何と・・・
「おじさん、暴力ふるったらダメだよ」
私は、呆れ果てる。この人達は「言葉の暴力」という言葉があることを知らないのか? 桜井氏がこの人に投げつけた言葉は「暴力」そのものではないか? 桜井氏は、ただ怒って自分の杖を地面に叩き付けただけの人に対して、「これは凶器だよ!」的なことを言って激しく責めているが、自分の言葉が「凶器」そのものであることを知らないのか? 何と「自分を省みる」ということをしない人達! 何という厚顔!
街宣名場面集!(もちろん私がつけた題名ではない)
タイム0:50頃から桜井氏が何と言っているか。
「ご覧下さい、あれが韓国人の姿です。
よ〜くご覧なさい。あれが韓国人の姿ですよ。
恐ろしい姿ですね。誰がどう見てもヤクザです。
ああいうのがマトモな朝鮮人ですか?
あれがマトモな朝鮮人ですか?
あれが在日韓国人の姿ですよ。
汚い汚い言葉を使いですね、人を罵り、脅迫し、
よくまあそんなんで日本におられるもんですね。
もう一度言うが、「厚顔」とはこの人のためにある言葉である。
また、タイム1:20頃から西村修平氏が中国人の女性に何を言っているか、どんな酷いことを言ってるか、耳をかっぽじってよく聞き、目をよく見開いて見て欲しい。気の毒な女性の反応も見逃さないで欲しい。
また、
「売国奴・福島瑞穂を抹殺するぞ!」だ?
「我々はまた来るぞ〜! 何回でも来るぞ〜! 来るぞ〜! 来〜るぞ〜!」だ?
「ヤクザ」であるのはあなた方ではないか。「恫喝」そのものではないか。
この人達は「暴力ふるったらダメだ」という “他者に言う言葉” を考えたその同じ頭で、自分達のことを省みることが少しもないのだろうか?「暴力ふるったらダメだ」と言ったその同じ口で、自分達のリーダーのこれほどまでの言葉の暴力に抗議することが少しもないのだろうか? もしそうなら、彼らは「大義に生きる」ことはできない(「侍」でいることはできない、有門大輔氏よ!)。これほどまでに他者に対する基本的な敬意を欠いた自分達のリーダーに対して何も言うことがないなら、彼らに「愛国」だの「憂国」だのを語る資格はない。一切ない。どんなに偉そうに政治談義をぶっても駄目だ。人に対する基本的な敬意と愛のない者にはその資格がない。怠惰や無為より遥かに悪いことだ。
気の弱い、「平和」を好む、「良心的」な人達は言うかも知れない、「それでも、彼らの内、過激で粗暴な人達は一部なのです。他の一般のメンバー達は真実憂いていたり傷ついていたりする人達で、基本的に善意の人達で、だから彼らには耳を傾けなければならないのです」と。そうかも知れない。けれども、私達はそれと同時に醒めていよう。彼らはこれらのリーダー達の行動をおそらく変えようとしていないのであり、このような酷過ぎる行動を変えないままのリーダー達と共にあり続け、生き続け、付き従いさえしているのである。これは、もしそうなら、とんでもない間違いである。人として恐ろしく間違っている。私なら、こういうリーダーとは百年前に決裂している。
そして、組織というのはリーダーがほとんど「全て」だ。下部には「盲目で善意」の人々が在り得る。共産主義だってフリーメイソンだってそうだ。
あなたは今、私が「青臭い」ことを言っていると思っているだろう。しかし、この場合、青臭くあること以外の何ができるのか。人間にとって最も基本的なこと、いわば人間の「基礎」に関わることだ。
「在特会」と「主権回復を目指す会」に属する若手のリーダー達、また女性達、また、「靖國会」の人達、「日本女性の会 そよ風」の女性達、あなた方はあなた方のリーダーであるか協働者であるかするこのような者らのこのような “有り様” についてどう思うのか。「小さなことだ」と思うのか。「彼らの “大きな働き” の前では “小さな欠点” に過ぎない」と?「日本の変革を目指して進む大同団結のためにはそのようなことには目をつぶるのだ」と? 桜井氏が車椅子の人に言ったことを見逃すことができるのか? 西村氏が中国人の女性に言ったことを見逃すことができるのか?「大きな政治的な目的のためにはたった一人の人間の傷心など取るに足りない」と? 西村氏はその女性のことで、「彼女も今は傷ついても、中国に帰れば、それが彼女自身にとっていいことになるなのだ。彼女にとってもそれが幸せだ。私はそれを考えているのだ」とでも理屈をこねるかね。(屁理屈屋ども!)
間違っている。そのような小さなところにこそ、人の本質が出るのだ。
もう一度言う。これほどまでに他者に対する基本的な敬意と愛の欠いた者達が幾ら「愛国」だの何だのと唱えても、その仕事が実ることは決してあり得ない。
「愛」は甘い言葉ではない。「敬意」も単なる言葉ではない。愛や敬意に気を使うことで少しでも威力が失われてしまうような活動なら、最初からない方がよい。最初から存在価値はない。最初から歩み方が間違っている。基礎が間違っている。
そして、最後にやはり疑問が残る。(という「書き方」をしておく。)
彼らは自分達のこのような言動や行動が多くの人々から嫌忌を(私が上で見せたような嫌忌を)受けるだろうことを少しも予想しないでやっているのか?
人に「車に飛び込め! ビルから飛び降りろ! さっさと日本から出てけ! ゴキブリは出てけ! キチガイ、さっさと出てけ! 朝鮮人は日本から出てけ!」と言ったその同じ口で、今度は別の誰かを捉えて、「よ〜くご覧なさい。恐ろしい姿ですね。汚い汚い言葉を使いですね、人を罵り、脅迫し、よくまあそんなんで日本におられるもんですね」などと宣うキチガイ沙汰。またそんなことをしていながらほとんど日常的に二言目には「謝罪しろ!」「土下座しろ!」と高圧的に迫るやり方。全くどの種の茶番か知らないが、このようなことが多くの人々から嫌われるだろうことを彼らは少しも予想しないでやっているのか? まさか! もしそうなら、彼らは単なる途方もない馬鹿かキチガイであるわけだが、私は、彼らを誉めるわけではないが、彼らもそんなには馬鹿ではないと思うのである。人格的には馬鹿も馬鹿、大馬鹿者に違いないが、知能的には決して馬鹿ではない。分かっていながらわざとやっているとしか思えない。どんな目論見があるのか知らないが、彼らにとっては自分達の姿が人の目にどのように映っているかなどということは、おそらく「知ったこっちゃない」のだ。どこから生活費や活動資金を得ているのか知らないが、彼らは要するに面白おかしく「遊んでいる」のである。世の中をガタガタガタガタと騒乱させて喜んでいるのである。「不逞」という語が冠されるべきは、全くもって、他でもない、彼ら自身の方である。
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