2009.11.05

久し振りにベイサイドのことでも

実は、少し前、こっそりとベイサイドについてのページを一つ増やしておいた。「ヴェロニカ・ルーケンとリトル・ペブルは別である
──まあ、大したものではないが。
さて、聞いてほしい。ベイサイドは、
▶ 黒幕がロックフェラーであることを教え
ピースシンボルの起源が邪悪なものであることを教え
バチカン・モスクワ協定は解消されねばならないことを教え
国連がその平和的な外観にかかわらず奥は悪の巣窟であることを教え ている。これらは全て、私達の「地上での観察」と一致することだ
それ故に、上にあげたバチカン・モスクワ協定のところでも書いたことだが、私の疑問を一言で言うと次のようになる。
“聖母になりすましている悪魔” である(だろうと言われている)「ベイサイドの聖母」が、果して、カトリック界でも知る人がほとんどなかった時代に、これらのことを自ら率先して「人類に明かす」などということがあり得るものだろうか?
「悪魔は偽りの父」であるから、あるいは、あり得るのかも知れない。
私も実は、最後のギリギリのところでは、保留している部分がある。
しかし、とにかく初期的には、上のように感じる。
これは別に突っ張ってるんじゃなくて、私自身の素直な感じ方なのだから仕方がない。
エキュメニズム関連を見てみよう。
ベイサイドの「聖母」と「イエズス」は以下のようなことを言っている。
あなた方の国は、その連合、国連から離れなければなりません。(…)私は今、あなた方の母として、あなた方に警告しなければなりません。あなた方は、この世界の諸教会の集合から離れなければなりません。
1975年9月13日
国連が噛んでいる宗教グローバリゼーションを推進する団体のロゴ
世俗の多分に政治的な機関がこの世における宗教の在り方・方向性を「こうあらねばならぬ」と定めている図である。
そして、完全なイルミナティ組織である「理解の寺院」は、国連のスピリチュアル部門における主要なアクターである。
私の子供達よ、あなた方はオクトパスの一翼である共産主義を知っています。私の子供達よ、私はあなた方に確言しますが、共産主義は世界の至る所で人間を呑み込み奴隷化しようとしているオクトパスの中の小さな一部隊でしかありません。これらの軍隊は世界統一政府を、また、私の御子をその長として持たない世界統一宗教を推進しようとしています。人類に対するこの最も重大な危害は、私の御子の教会をその道具に使いつつ推進されています。
1976年12月28日
わが家(教会)の中の陰謀において新しい世界宗教を持ち込もうとしているあなた方全てよ! あなた方が知っている神の宗教ではなく、地獄の深みから上がって来た宗教を持ち込もうとしているあなた方全てよ! ああ、司牧者達よ、あなた方は思い違いをしている。邪悪な者達が減らされるようにと、生温い者達が倒れるようにと、地上に惑わしが置かれたのである。最後まで真の信仰を貫く者は救われるであろう。
1977年2月1日
今、地上には、自分のことを善き者と考える神学者達がいます。彼らは新しい世界宗教、人間中心主義とモダニズムに基づいた世界統一宗教を展開しています。私の子供達よ、これは長くは続かないことでしょう。これらの神学は、地上の多くの年月を経て発達して来たものです。頭に紫の帽子や赤の帽子をかぶってはいてもその頭に靄がかかっている人達、贅沢と実利主義への過度の愛によって盲目になってしまった人達は、混沌の中に失われるでしょう。
1977年2月1日
私の子よ、それはニューヨークが世界の諸政府とあなた方の国である合衆国に対する統治において持っている大きな役割の故なのです。サタンがキリスト教信仰の完全な打倒をあなた方の国の中に持ち込もうとして、その開始点にこの地域を選んだのは、そのためです。それは私の御子の教会を自分の教会と入れ替えようとするサタンの試みです。
1977年10月1日
あなた方の世界の至る所で、私達がオクトパスと呼んでいたグループが活動している。それはプリンシパリティと諸勢力から構成される網の目のように張り巡らされた悪のネットワークであり、キリスト教を破壊し、あなた方の国と世界の全ての国々を世界統一宗教の支配下に引き込もうとすることを、その唯一の目的としている。それは世界を隷属化させるための一つの政治的機構である。
1978年6月18日
私の御子の教会の司祭達、司教達、枢機卿達が第三世界主義者 (THIRD WORLDERS) の罠にかからないように、平信徒達は祈らなければなりません。私の子よ、第三世界主義者はまた世界統一主義者でもあります。彼らは、私の御子の教会を壊し、人間の創作による教会を建てようとする者達です。
1976年10月6日
「罠」にかかったカトリック聖職者の一例か
悪魔が「偽りの父」であることは確かである。
しかし、私が不思議に思うのは人間の判断力である。
悪魔が「偽りの父」であることを知っている筈のカトリック信者が、ベイサイドを全く相手にしない一方、「全ての民の御母」を信じていたりする。これは滑稽なことだ。
何故なら、その「婦人」は第二バチカン公会議の少し前の時期に、次のようなことを言っているからだ。
「それにしても、教会の内部は大きく変えられなければなりません。聖職者はこの時代に合うように現代的に、しかし正しく・・・良い霊によって養成されなければなりません。」
「時代にかなった、より現代的で社会的な、より良い養成方法が必要です。」
「時代に合った改革を迫りなさい!」
「細かい点にいたるまでその改革を実行しなさい。」
「十字架上のイエズス・キリストとともに、この近代的な世の中に身をおくように試みなさい。」
『すべての民の御母のメッセージ』(エンデルレ書店)より
こんなものを「聖母の言葉」と信じるのはただ愚かである。メジュゴリエも同様。しかし、どういうわけか、私がかつてベイサイドと「他界からの警告」のことで叩かれたほどには、それらを信じている者達は叩かれも嘲られもしないのである。もちろん、それは圧倒的にベイサイドと「他界からの警告」が共に等しく唱えている「『教皇パウロ6世には替え玉がいた』説」のためであり、それは理解できるのだが、しかしあまりに物事の一部しか見ていないではないか。
「全ての民の御母」やメジュゴリエなんかは体中にオデキができているようなもんなんだぞ? 上に見るように、「信仰」そのものに関する話において体中にオデキ(どうも表現が無神経だが)ができているようなものなんだ。見逃すことなんかできやしない(まあ、私も最初はかなり悩んだけど、しかしそれは「これが聖母の言葉とはどうにもこうにも信じられなくて悩んだ」のである)。
それに対しベイサイドは、少なくとも「信仰」そのものに関する話(これが私達「信仰者」にとっては最も肝心なものだが)においては非常にまともなことを言っている。そして、警告に満ちている。ベイサイドと「他界からの警告」は非常に厳しい警告に満ちている。しかし、「全ての民の御母」やメジュゴリエは信者に時々「甘い飴玉」を与える(信者の心を「釣る」ためだ)。
あなた方はこれらの違いを「分かって」いるか? 少なくともそれを「分かって」いるか? 何を議論するにしても(いや、もうそのつもりはないが)まずあなた方が少なくともそのようなものを「分かって」から、「見分けて」からの話である。(ゴーマン気味の言い方を許してもらいたい。)「悪魔は99%の真実に1%の嘘を混ぜる者です」と言いながら(これ自体は正しいが)、たとえば「バチカン・モスクワ協定のことはその “99%の真実” に入るのかどうか」ということになると、あなたは分からない。それでは話にならないということである。地上の事柄にさえハッキリとした反応ができない人が、どうして霊的な事柄に限っては有効な反応ができると言えるのか。(カトリック信者だから? 甘いな。)
上で「これらは全て、私達の地上での観察と一致することである」と書いたけれど、「全ての民の御母」に関しても全くその通りである。この場合、ベイサイドのことでなく「他界からの警告」のことだけれども。つまり、「他界からの警告」はそれについてこう言っている──「『全ての民の御母』の本の中で、彼らフリーメイソンは『教会は現代主義にもっと近付けなければならない』と常に強調した」 と(参照)。これは私達のその本の内容への観察と一致している。少なくともそこにそのような露骨なまでの(上の僅かの引用からでも分かるように)「モダニズムの強調」 があることは火を見るよりも明らかである。見逃すことなんかできやしない。
勘違いしないで欲しい。以前、聖ピオ十世会のことを語りながらも議論の眼目は「聖ピオ十世会」のことではなく「目」のことであったように(参照)、ここでも「ベイサイド」や「他界からの警告」のことを持ち出しつつも議論の眼目はひとえに「目」のことである。
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