2011.04.06

少しも不可解ではない

今日パウロ教皇の挨拶のテキストを検討してみると、人はそれが教会の伝統および共通善の保護者として神から任命されたローマ教皇によって口にされたということをほとんど信じることができない。注63)キリストの代理者がそのように皮肉な口調で、われわれに「聖なる話し方の文語的領域への世俗的侵入者のように」振る舞い、「天使たちの言語」を放棄し、そしてその代わりに6人のプロテスタントの助言者たちによって助けられたある典礼委員会の助けでブニーニという名の素性の知れないモンシニョールによってでっち上げられたミサの新しい典礼を受け入れるように熱心に勧めることができたとうことは理解を拒むものである!注64)
〔しかも、それにもかかわらず〕この挨拶のわずか1年前まだ公会議の余波が残っているときに、パウロ教皇が教会の「自己解体」を嘆かれたということを考えるとき、その不可解さはますます深まる。パウロ教皇は、自己解体のこのプロセスが、ガンバーが「伝統的なミサの真の破壊」と呼んだものによってその進行を止められるであろうと考えられたのか? なおもっと奇妙なことに、パウロ教皇は教会の上にブニーニの典礼を押しつけられた3年後に「どこかある所あるいは他の所からサタンの煙が神殿に入って来た」注65)と嘆かれることになるであろう。
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パウロ六世の揺れ動く教皇職、そして彼の人を混乱させるシグナル。たとえば、「教会に入ったサタンの煙」と口にしたが、しかしそれでも異端を公的に非難することは拒否したこと。フマネ・ヴィテ(彼の教皇職の栄光)を発布したが、それに不可謬権を付けることを注意深く避けたこと。1968年にサンピエトロ広場で神の民のクレドを発行したが、またもやそれを全カトリック信者の義務として宣言することをしなかったこと。モスクワと接触を持つなというピオ十二世の厳命に背いたこと。自らがミンゼンティ枢機卿に与えた厳粛な約束を反古にして、ハンガリー共産政府と宥和したこと。聖なる人スリピ枢機卿に対する彼の扱い。この枢機卿は17年間も強制労働収容所で過ごしたが、結局ただパウロ六世によってバチカン内における実質的な囚人とされるに終わったこと。そして最後に、ガニョン大司教にバチカンへの敵の潜入について調査を行なうようにと要請したが、しかし結局、彼の調査が終わった時、彼を拒絶し、彼との謁見を拒否することに終わったこと。(…)彼の教皇職が非常に混乱した悲劇的なものであったことは否定できません。
心から尊敬できるお二人ですが、しかしここは違います。
少しも不可解ではありません
こうなのだから。
「常識」とは何と恐ろしいものか。
昔、何人もの人から、「常識」という言葉のもとに、また「想像」という言葉によって、非難…… うん、まぁ非難されたり、嘲笑されたりしましたっけ……
しかし、皆さんもご存知でしょうけれども、「常識」とはもともと “限界” を持ったものです。
そして、想像。こう言われましたっけ……「JGさん、ちょっと “想像” してみて下さい。もしあなたが朝起きた時、あなたのお父さんが偽物だったら…(云々)」
しかし、その辺の議論は既に終えたつもりだけれど、改めて今少し言わせて頂けば...
「自分は知っている」 と思いつつ「想像する」のと
「自分は知らない」 と思いつつ「想像する」のとでは、
てんとさんばんとさん(古っ)ほど違うのです。
おかしいなぁ。
クリスチャンは、信仰を得る過程で、
「自分は知らない」を通って来た筈なんだけどなぁ。
イエズス様が死後四日も経過したラザロを蘇らせたり、湖面を歩かれたり、数匹の魚と数個のパンで何千人という人々を満腹になさったり、またモーセが海を割ったりという、そのような奇跡的な話を信ずるに至る過程で、「自分は知らない」という地点を通った筈なんだけどなぁ。
それが、聖書から頭を上げた途端、どうして他の無信仰者と同じほど「常識」の中に舞い戻り、「自分は知らない」を忘れ、なんだか自信満々になっちゃうんだろ。
ま、いいや。
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