2011.04.26

サタンの煙: 悪魔的芸術家たち (1)

さて、「芸術」の名の下にあれほどのもの──「一つ目」と「化け物」──が入り込んでいるのだから、私としては他のものも探さないわけにはいかない。
私は芸術を排斥しない。けれども芸術は、一面、何とでも言える世界である。小泉元総理の「人生いろいろ、考え方もいろいろ」じゃないけれど、芸術においては「感じ方いろいろ、受け取り方人それぞれ」で済ませられることが多い。曖昧な世界である。そして、それ故に魔的なものが入りこむ隙が大きい、と見るべきである。(……ということを、私も今回、つくづくと知った)
私は、悪しきゲージツ家達を、とりあえず三名、発見した。
ペリクレ・ファッツィーニ
Pericle Fazzini
(1913-1987)
レロ・スコルツェッリ
Lello Scorzelli
(1921-1997)
フロリアーノ・ボディーニ
Floriano Bodini
(1933-2005)
あなたはここに教皇様の十字架があるのを見て驚くだろう。しかしこれは一部のプロテスタントの人達の指摘の安易な受け売りではない。私は私として言う。間違いない。これは悪いものである。
但し書き: ただ、「悪しき」とは言っても、私は私自身として、ふんぞり返ってこの人達を裁きたくはない。また、表題を「悪魔的芸術家たち」としたけれども、作品が特別に注文された場合、そこには「発注者」が居るのは勿論である。彼らが彼ら自身としてどれだけスピリチュアルな悪い方面、即ちサタニズム/オカルティズム的な方面に関与していたかは、私の知るところではない。私は時には彼らのことを指して「悪魔的」と言うかも知れないけれども、そこには常に一定の保留が──彼ら自身の人間に関する判断保留が──あることを付記しておきたい。
しかしとにかく、これらの者は全て、バチカンの中に入り込み、悪い芸術を置いた者達なのである。そして、私がここで「悪しき」と言う時、それは文字通り「悪魔的」という意味である。人はそれを感性的にそうと知ることができるし、また恐ろしいことに、感性的にばかりでなく精神的にもそうとはっきり知る(確認する)ことができる。スコルツェッリの或る作品の場合が、その後者である。(上の十字架のことではない)
彼のその作品は、全カトリック信者にとって、明確に 恐怖 の対象である。
それは文字通り 呪い である。
「オカルト」と言うだろうか。しかし私は、普通の精神を持った人なら誰でもそれを確認できる、と言っている。あなたにも確実に分かる、と言っている。普通の神経を持っている者なら、文字通り戦慄する筈である。後ほど、とくとご覧下さい。
では、彼ら三名を順に取り上げる。
次へ
しかし、その問題のスコルツェッリの作品を先に見たいという方は、こちら
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