2011.05.03

サタンの煙: Bent Cross

第二バチカン公会議の頃に突如として現われた Bent Cross というもの
Bent Cross と共にその教皇職を意気軒昂に始められ、Bent Cross をキリストへの信仰のよすがとして深く愛しておられたヨハネ・パウロ2世教皇様だが、結局、彼の教皇職は、どこか、何か、うまく行かなかったように思われる。
彼は柔和な心を持った善い人です。〔しかし〕彼はしばしば惑わされます。
それは教皇様が、敵にうまく押し付けられたそんなものや、あんなものを、いつも身近に置いておられたから。……勿論、それが原因の「全て」である筈もないけれど、そういう要素も大きいのではないか。私にはそんな気がしてならない。
つまり、今までは「呪い」という言葉を、どちらかというと比喩的に使って来たけれど、それは実のところ、比喩では済まないのではないか、と思うのである。
人はこういう事を聞くと、直ぐに「オカルト」と言う。けれど、宗教は実際、オカルト(超自然)である。否、その「側面」を含む。全てではない、全てではないが、実はかなり中心的なところに、それがあるように思われる。何故なら、宗教は、畢竟、「霊」に関する何かであるから。
そして、もう一つの事がある。それは、私達がそれを嫌おうと何だろうと、敵は実際「オカルティスト」だろうという事である。これも全てではない。けれども確実に、彼らの一部はそれだろう。彼らは「呪術的」な方法でも、教会を、教皇様を、聖職者を、信者を、そして世界を攻撃するだろう。これは、私には「常識」に思われる。
Bent Cross については、今まで見て来たものでもう十分だろうという気もするが、もう少しだけ。──皆さんのお嫌いなオカルト的空間に入るとする。
私が Bent Cross を初めて見たのは信者になる前、しかし信者になる決心を既に固めていた頃ではなかったかと思う。そしてそれはおそらく左の写真、この一般的に最もよく知られた写真によってではなかったかと思う。記憶があやふやである。
しかし、次は確かだ。私はそれを見た時、こう思った──「なぜ、こんな醜悪なものを? これではまるでイエズス様が枯れ木にひっついたまま干涸びてしまったバッタか何かのようではないか」
──今でも全く同じように感じる。
次いで、その頃の私は、この Bent Cross なるものについての或る種の記述に出会った。私が読んだであろうものを、ここで掘り返し、改めて訳してみる。
サタニスト達は西暦666年、ローマ・カトリックの伝統的な磔刑像を愚弄するためにこのねじれた十字架 (twisted corss) を作り、そしてそれを速やかに反キリストのための彼らの多くのシンボルの中の一つとして採用した。パウロ6世が1963年に公的なセレモニーでこれを使い始めて以来、カトリック信者達はそうと知らずにこの反キリストのシンボルに膝を折って来たのである。当時、全ての秘密結社のオカルトのマスター達は、このシンボルが突如としてパウロ6世によって使われるようになった事を、ただ次の一事として理解した──「今やイルミナティはバチカンをコントロール下に置いた!」
曲がった十字架 (Bent Cross) あるいは壊れた十字架 (broken cross) は、不快で歪められたイエス・キリストの姿を提示している。このタイプの十字架はサタニスト達によって考案され、中世の黒魔術師や魔法使い達によって「獣」あるいは「反キリスト」の勝利──「溶けるイエス」(のイメージ)に勝利する「新秩序のリーダー」の勝利──を表わすために使われたものである。この十字架は1776年以降のある時点でイルミナティによって採用され、1963年に(パウロ6世が1963年6月21日に教皇となっておよそ一週間後の1962年〔訳注: タイプミスだろう〕1963年6月29日にバチカンでルシファーの即位式が執り行なわれたその直後に)教皇パウロ6世によって初めて公示されたものである。
しかし、これらの主張には証拠が、あるいは証拠とまでは行かなくてもそれに似た何かが、文献であれ、写真であれ、図版であれ、何一つ無いようだったので、私の疑問と違和感はそれきりになった。
しかし、今は違う。レロ・スコルツェッリという名によって、またパスクァーレ・マッキという名によって、少なくとも私にとって、状況は完全に変わった。
上のような主張は、その多くが反カトリック色の強いプロテスタントのサイト(例えば The Cutting Edge)からのものであることが多いようだが、実はそれらも、その情報の基を二人のカトリック作家の著作に負っていることが多い。
一人は、私も以前その第十一章の一部を紹介したことのある『折れた十字架 The Broken Cross』(1981年)を書いたピアーズ ・コンプトン氏である。
もう一人は、マラカイ・マーチン神父である。
彼らの本の表紙には Bent Cross がある
ピアーズ ・コンプトン氏は『折れた十字架』の第四章でこう書いている。
彼(教皇パウロ6世)はまた、不吉なシンボルを使ってもいる。それは6世紀にサタニスト達によって使われていたもので、第二バチカン公会議の頃に復活させられたものである。これは、曲がった、あるいは折れた十字架である。それには嫌悪を禁じ得ない歪められたキリスト像が付いている。中世の黒魔術師達や魔法使い達は、聖書の言葉で言うところの『獣の印』を象徴するために、これを使っていた。
しかし、パウロ6世だけではなくその後継者である二人のヨハネ・パウロ達も、これを運び、これが反キリストのために作られたものであることなど露ほども知らぬ群衆に向けて、これが崇敬されるべく高く掲げる。更にまた、ねじれた棒の上に干涸びた人物像が付いたものを使うことは、かつては教会法1279条によって禁じられていたものである。それは教会によって認可された慣習の内にないどのような宗教的形象の使用も非難した。それがオカルトの目的のために使われたことは、ベイヨン(フランス)の魔術博物館の木版(画)の中に伺われるかも知れない。
次にマラカイ・マーチン神父である。以下には Bent Cross への言及はないが、上で赤字強調した「1963年6月29日」という日付が出て来る。TLDM の文章。
マーチンは、ローマで持たれた悪魔儀式について、地政学とバチカンについての彼の1990年のノンフィクションのベストセラー『The Keys of This Blood』の中で初めて触れている。
ヨハネ・パウロ〔2世〕が最もぎょっとしたのは、彼が長であるはずのバチカンで、或る一定の司教達からなる高官職の中に、取り除き難い有害な勢力のあることに突き当たった時である。それは気づいている教会人達が「スーパー・フォース」と呼んでいるものであった。噂(それは常に確かめ難いものだが)は、その力の設置〔据え付け〕を1963年におけるパウロ6世の治世の始まりと結びつけている。実際、パウロは〔その後〕「聖域に侵入したサタンの煙」について陰鬱に言及したものである。(…)それは「バチカンでサタニスト達による即位式があった」ことへの間接的な言及であった。他方、悪魔主義的小児性愛(の儀式と実践)の発生率に関する記録は既に、それがイタリアのトリノやアメリカのサウス・カロライナのように一定の司教や司祭達の間の広い範囲にまで散らばっている事を示している。この悪魔主義的小児性愛のカルト的な行為は、その道のプロによって「堕天使儀式の最頂点」と看做されるものである。
p.632
しかし、これらの主張は大方、人々の注目を浴びなかった。それはおそらく、人々の目には、マーチン神父が狡猾にも、その即位式を暗に教皇パウロ6世の即位式と結び付けているかのように映ったからであろう。しかしながら彼は、その主張するところの儀式について、彼の最後の仕事の一つである『Windswept House:A Vatican Novel』(1996年)の中で、更に多くの事を明らかにしている。その物語の中で彼は、1963年6月29日、すなわちパウロ6世の選出から僅か一週間しか経たぬ日にバチカンの聖パウロ・チャペルで行なわれたと思われる──そしてそれと時を合わせて行なわれたアメリカでの悪魔儀式によって補佐されていたと思われる──堕天使ルシファーの即位式」と呼ばれるセレモニーについて鮮やかに描写している。そしてその小説の中で描かれる教皇は、死の前に、自分のデスクの上に、自分の次にペトロの座を占める者(うっすらとヨハネ・パウロ2世を思わせる人物)に宛てて、状況を説明する秘密文書を残す。The New American によれば、マーチンは、そのセレモニーは自分が描写した通りに実際に行なわれたのだ、と確言したという。「オー、そうです、それは真実です。まさしく、文字通りに」と彼が言ったと、その雑誌は伝えている。「しかし、私はそれを印刷に回すのに、どうしても “小説仕立て” にしなければならなかったのです。」
バチカンでの悪魔儀式に対するマーチンの告発は、ラジオ番組 Steel On Steel のホスト、John Loeffler によっても確認されている。Loeffler 氏はマーチンに、バチカン内で行なわれたと言われるサタンへの奉献について個人的に(マーチンはそのラジオ番組のレギュラー・ゲストだった)尋ねた。
John Loeffler: そうです、マラカイは確言しました──彼の本『Windswept House』の最初の部分──バチカンをサタンに奉献する秘密の儀式が本当にあったのだと確言しました。そのことに教皇すら気づくことができなかったが、彼自身は何とか気づくことができたと。私は彼に尋ねました、「本当ですか? 本当にそんな事が?」。すると彼は言ったのです、「ええ、それは実際にありました」と。
2000年7月29日の放送より
Bent Cross が悪いものであることは、同じ作者の他のサクヒンを見れば、また、その作者を調達した者の顔を見れば、明らかである。私はそれを「確かめた」、と言えると思う。
けれども「1963年6月29日、バチカンで『堕天使ルシファーの即位式』があったか否か」については、私は確かめることができない。
けれども、正常な聖職者達の目を盗んで、サタンに魂を売った悪しき聖職者の一団が、ある日闇に紛れてそんな事をしたという「可能性」は、あると思う。
「バチカンでの悪魔儀式と時を合わせて行なわれたアメリカでの悪魔儀式」のことだが、一説によると──つまり、これをマーチン神父自身が言ったかどうかは知らないが──それが行なわれた場所はサウス・カロライナ、正確に言えばチャールストンだそうである。そしてチャールストンは、かのアルバート・パイクにゆかりの深い土地で、メイソンの特別の拠点がある所だそうである。
そして、こう思う。
もしそれが本当にあった事なのだとすれば、彼らはそこで Bent Cross を必ずや「祝別」したことだろう。もちろん教会の儀式によってではなく悪魔儀式によってである。
そして……こんなことを冷静に言っていいのかどうか分からないが……彼らは「祝別」したそれを、教皇様方に「持たせた」のである。私は、これが単にプロテスタントの人達等の目にサタニズムに見えてカトリックが信頼を失うという「精神的」「文化的」悪影響ばかりでなく、教皇様方の御霊魂に実際に何らかの作用を及ぼすであろう「呪術的」「霊的」悪影響を思う。
エクソシストの経験によれば、オカルトに手を染めている者は、誰かを呪う時、呪いをかけた物品を、相手の知らぬ間に、相手の家の中のどこか目立たぬ所に忍ばせたりするのだろう。──物品がそのような力を帯びないとは言えない。
そして、こう思う。
マーチン神父の著作によれば、「堕天使ルシファーの即位式」が行なわれたのは「バチカンの聖パウロ・チャペル」なのだという。──チャペル? どこなのだろう。
もちろんその名称は小説上の設定だろう。けれども、私は何となく「城外の聖パウロ大聖堂」を想起しないではおれない。
さて、私は、「こんなことを延々考えて一体何になるんだろう」という質問に醒めなければならない。
Satan, the master of deceit, has poisoned many minds. Satan, the ruler of the world of darkness, has now entered into the highest places of governments, and even within My House, My Church upon earth. But I shall cleanse them, as I have cleansed them in the past.
そうなんだろうと思う(赤線の部分)。
しかし、そうであっても、一応、以上の気づいた事をバチカンに通報する。
特にパウロ6世ホールの事を。──あれでは世界の笑われ者である。
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