2011.06.05

「そのほとんどがサタニックなものです」

最近、ローマのローマ・テルミニ駅に前教皇様の像が建ったそうです。
列福を記念してでしょうね。しかし、酷いもんです。
教皇様がマントを広げていらっしゃる図でしょう。高さは5メートルもあって、ご覧のように、それは一つの洞穴です。これは、私達がその中に入って、曰く教皇様の "包容力" を偲ぶことができるという、まぁそういう理屈でしょう。しかし、芸術ではありませんね。
しかし、今回は幸いなことに(?)、市民から「酷い。醜い」とかなり多くのブーイングが出ているようです。また、バチカンも難色を示し、検討に入っているとか。
ここ数十年の間に敵の手によって教会に導入され続けたであろう邪悪なアートについて、下手な英語で記事を書きました。Sinister arts
まあ、欧米のカトリック信者の目にとまればよいと思います。何故なら、あれら(ブレーシアとパデルニョーネ)は私達の教会の中にモダニズムに汚染された聖職者以上のものが居ることの「証拠」ですから。
記事を書いたことを伝えるべく、Chiesa viva にメールしました。それはまた、気づきを与えてくれたことに感謝するためでもあり、また、ブレーシアのカテドラルの邪悪なモニュメントのことを伝えるためでもありました(もっとも、Chiesa viva はその当のブレーシアから発行されているのですが)。すると、Chiesa viva の編集者であり執筆者でもある方から直ぐに返信が来ました。
彼は「日本でもこのような事に関心を持つ人がいること」を喜んでくれました。
喜ぶでしょうね。Chiesa viva はパデルニョーネの教会のあれほどの異形・異常を世に問うたわけですが、私が検索する限り、イタリアでもほとんど話題になっていないようですから。下手をすると、ルイジ・ヴィラ神父様は白い目で見られているのかも知れません。
教会は真理追究者の集団の筈ですが(私の解釈では)、しかし教会の中にも「教会内世間」と名付けたいようなものがしっかり存在し、広がっていて、それは自分達の前に提示されたものが「真実であるか否か」を実は重視しません(!)。それよりも、それが自分達の心に「安定・平和をもたらすかどうか」を重視します。それを見ることによって自分達の心が世界や教会に対して「傾いて」(不安になって)しまうようなものは好みません。だから、あまり強いもの・激しいもの(そのような情報)は、何となく(世間はいつも「何となく」です)敬遠してしまいます。洋の東西を問わず、世間は世間のようです。
まあ、教会と雖も、人間の集まりですからね。
しかし、私は言いたい。私達はこれ(↓)を見て叫ばずして一体何を見て叫ぶのか?
イタリアの人々よ、パデルニョーネの教会は今もそのまま存続しているのだろう。何てことだ!
ブレーシアの邪悪なモニュメントに関する私の解釈について、彼はこう言ってくれました。「私達のカテドラルにある恐ろしい作品についてのあなたのコメントは興味深く、また正しいと思います」(ありがとう。でも、一目瞭然ですからね)
彼はこうも言っています。「教会は聖職者フリーメイソン団によって仕切られており、その結果、『聖なるアート』なるものも、そのほとんどがサタニックなものです」
私はもちろん、全てが彼らによって仕切られているとは思いませんが。
Chiesa viva の編集者の方が喜んでくれたことのもう一つは、「数ヵ月前、日本の5人の司教様方がキコとカルメンの異端的な新求道共同体運動を教区外に kick out しようとしたこと」だということです。
それは Chiesa viva の436号(2011年3月号)でも取り上げられています。
しかし私は、「ヴィラ神父様は小冊子の中でキコの18個の異端をリストアップし、それを立証しておられます」という彼の言葉を受けて、こう返信しておきました。
Thank you for referring to the bishops of my country. But... Hmmm... Our bishops don't regard the neo-catechumenal movement as questionable from the dogmatic view. They tried to kick it out because it has caused many troubles among faithfuls. It was not tried from the standpoint of dogma. It was only practical trouble for them.
As you know, after the Second Vatican Council, the interpretation of dogma of Church has been expanded too widely. Even the Holy See doesn't seem to expel the neo-catechumenal movement definitely, today.
私は別にへそ曲がりではないつもりです。だって、これが事実ですから。日本の司教様方は教義的にそれを排斥なさったのではないのですから。ただ彼らが「面倒」を起こすから、共同体内の「一致」を乱すからというので、彼らを問題にしたに過ぎないのですから。
え? 何ですって? 第二バチカン公会議以降、カトリック教義は「一致」に関するものしかなくなったのだから、それも今や立派に「教義的観点」だって?
ビックリしたなぁもう。
《ページ移動のためのリンクはにあります》
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ
inserted by FC2 system