2011.08.11

1967年5月13日、教皇パウロ6世はファチマ巡礼で「聖母には見向きもせず、祈りもしない」?

聖ピオ十世会の年表から
1967年
5月13日 教皇パウロ6世ファチマに巡礼する。しかしパウロ6世はファチマの聖母には見向きもせず、祈りもしない。

これは本当か?
何故なら、その日のファチマにおける次のようなパウロ教皇様のお姿があるからだ。
ファチマでの教皇パウロ6世
ファチマでの教皇パウロ6世
ファチマでの教皇パウロ6世
ファチマでの教皇パウロ6世
ファチマでの教皇パウロ6世
「見向きもしなかった」だろうか?
ファチマでの教皇パウロ6世
彼は聖母にロザリオ(の珠)を捧げている。 YouTube 4shared
常識的に考えても(私は必ずしもこれ── “常識” ──が好きでないが)、もしパウロ教皇様が簡単ではない準備の後に千数百kmという距離を越えてファチマに旅し、到着し、しかし到着したその当の “目的” 地で「聖母には見向きもせず、祈りもしない」のであったならば──彼は何のためにファチマに来たのか?──それはちょっと... そう、“馬鹿みたい nonsense” である。
仮に、上の写真に見るような教皇様の振る舞いは「祈った」とは言えないほど短時間のものだったとしよう。実際、そうだったかも知れない。そして、人がもし「少なくともロザリオ5連ぐらいは祈らなければ、祈ったうちに入らない」と言うならば、確かに、彼は「祈りもしなかった」のかも知れない。しかし、それは普通の言語感覚とは違う。人は、普通なら、上のような情景を見ながら「彼は祈りもしない」という言語表現を選ぶことはしない筈である。
また、あるいは、人は己れの解釈に従い、「こういうのは彼のポーズに過ぎない。パフォーマンスに過ぎない。形だけだ」と言うこともできるだろう。しかし、それでもそれは「彼は見向きもしない」という言葉とは違う。
このファチマ巡礼におけるパウロ教皇様に関して、ニコラス・グルーナー神父様のファチマ・クルセイダーは次のように書いている。
ファチマ、1967年5月13日
教皇パウロ6世は、ファチマの御出現以来の全ての教皇達と同様、ファチマを力強く支持なさった。教皇パウロは最初の御出現の50周年記念にファチマに巡礼さなった。そこで彼は25体のファチマの聖母の御像を祝福なさった。その一つがカナダの巡回聖母像である。
1967年5月13日、最初のファチマの御出現の50周年記念の日に、教皇パウロ6世はファチマの聖母の聖地(実際に彼女が御出現なさった場所)に巡礼なさった。全世界の注目がファチマと彼の訪問の上に集まった。シスター・ルチア(ファチマで聖母を見た人)もまた教皇の求めに対する従順によってそれに参加した。群衆は膨大であった。約150万の人々が全世界から集まった。教皇がファチマの聖母像の傍に跪いた時、群衆は「教皇様、万歳!」と叫び始めた。教皇は聖母像の御手に美しいロザリオを置き、世界の平和のために彼女の仲介を願った。その日教皇パウロは屋外でミサの聖なる犠牲を捧げた。彼は数度群衆と話した。彼は人々に、自分はファチマの聖母に教会と世界における平和を願うためにここに来たのだと語った。彼は「生ける教会、真なる教会、一なる教会、聖なる教会」のために聖母に願いたかった。彼は宗教を実践することができない国々に住む人々のために、天主がその試練の中を行くその人々をお支え下さるようにと祈った。彼は世界の全ての人々に向かって、マリアの汚れなき御心に対する彼らの個人的な奉献を為し、また刷新するようにと呼びかけた。
彼がファチマにいる間、彼は、様々な国に送られることになっている25体のファチマの聖母像を特別に祝福した。その全国巡回像(National Pilgrim Statue)を受けるという特権を与えられた25の国々の中にカナダがあった。このようにして、教皇パウロは私達に、私達全てに対する愛と配慮をお示しになったファチマの聖母のメッセージを思い出させた。
細かいことだが、パウロ教皇様は実際には「そのシルバーのロザリオを聖母像の御手に掛けようとしたが、できなかった〔届かなかった〕ので、御像の足元に置いた」(参照)というのが本当らしい。上にリンクした動画でもそのように見える。
このファチマ・クルセイダーの記事とこのページの冒頭に掲げた「(彼は)見向きもしない」という短い文章は、そのどちらもが同じ日の同じ出来事に対する観察から来たものなのである。私はこれら二つのあまりの違いに驚く。
しかしとにかく、上の画像と動画に見るように、パウロ教皇様が聖母像に手を合わせられたのは事実だし、シルバーのロザリオをお捧げになったのも事実だし、全国巡回聖母像のため沢山の聖母像を祝福なさったというのも事実である。最後のものについて言えば、それらが現在もそれらを与えられた国々の中に存在するということも確かである。「National Pilgrim Virgin Statue Fatima 1967 Pope Paul VI」とでも検索してみれば分かることである。
問う。それでも彼はファチマの聖母に「見向きもしなかった」のか?
次もファチマ・クルセイダーの記事。
教皇パウロ6世はバチカン公会議で、ファチマに黄金の薔薇を贈る意向を表明した。
1965年5月13日、教皇パウロ6世は教皇特使を通じてファチマに黄金の薔薇を供え、それと同時に「全教会」をファチマの聖母の御保護に委ねた。
1967年、聖母の最初の御出現の50周年記念では、彼自身が平和のための巡礼者としてファチマに赴いた。彼はその巡礼に際して一つの回勅〔訳注:『Signum Magnum(偉大なしるし, Great Sign)』〕を書いた。彼は70体の全国巡回聖母像を、それらが70の国々の中を隈なく絶え間なく巡回できるようにと、それによってそれらの国々がファチマ・メッセージを心に留め実践することができるようにと、祝福した。(…)
カナダの全国巡回聖母像
カナダの全国巡回聖母像
教皇ピオ12世は幾体かのファチマの巡回聖母像を祝福した。教皇パウロ6世は70体の巡回聖母像を祝福した。教皇ヨハネ・パウロ2世もまた1体のファチマの聖母の巡回像を祝福した。教皇パウロ6世は1967年に世界とカトリック教会における平和を祈るためにファチマに行った際、32ページの写真に見る御像を祝福した。教皇はこの非常に特別な御像〔単数〕が私達に聖母の母らしい私達に対する愛と配慮を思い出させることを望んだ。この教皇が祝福したファチマの聖母像〔複数〕を訪問することによって得た恵みの、回心の、そして身体的治癒の奇跡の報告が、世界のいろいろな場所から寄せられた。それらの幾つかの御像への訪問に関連した幾つかの身体的治癒はバチカンに報告され、バチカンによって第一級の奇跡として認められた。
「25体なのか、70体なのか、どっち?」と混乱するが、おそらく、パウロ教皇様がその生涯中で祝福なさった巡回聖母像の総数が「70体」、1967年5月13日のファチマ巡礼において祝福なさったのが「25体」、ということではないか。
ファチマ巡礼の日と同じ日に公布された回勅(使徒的勧告)の題名は『偉大なしるし』である。それは勿論、ファチマと関連しているだろう。パウロ教皇様の中に「ファチマの聖母」への思いが無かったとは言えない。
1964年11月21日、教皇パウロ6世は聖母を教会の母と宣言し、公会議に集まった司教達と共にマリアに対する世界の奉献を更新した。彼は言った、「今日、私達は、汚れなき御心に対する教皇ピオ12世のこの奉献の行為を呼び戻すことは特別に時宜にかなった事であると考えます。この事を心に留めつつ、私達は、近い将来、ファチマ聖地に黄金の薔薇を贈るために、ファチマに特使を送ることを決定しました。(…)このようにして私達は、全人類家族を、それが持つ問題と心配と共に、それが持つ公正な願いと熱心な望みと共に、天国の御母の御保護に委ねたいと思います」。
教皇パウロ6世がファチマの聖母に贈った黄金の薔薇
1965年5月13日、Fernando Cento が John Venansio (João Pereira Venâncio) 司教〔レイリア・ファチマの司教〕に黄金の薔薇を手渡しているところ。
1965年、上のような意向のもとにファチマの聖母に黄金の薔薇を贈り、二年後の1967年、自らファチマに巡礼し、国々に送る聖母像をたくさん祝福し、『偉大なしるし』という題の使徒的勧告を発表した教皇が、その同じファチマ巡礼において多くの群衆の前で「ファチマの聖母には見向きもせず、祈りもしない」などということがあり得ると、人は考えることができるだろうか?
彼が「最初の教皇」であったことも覚えておこう。
1967年5月13日 - 教皇パウロ6世は巡礼者としてそこに行く最初の教皇としてファチマに向かった。そこで彼は聖母の汚れなき御心に対する奉献を刷新することを呼びかけた。
グルーナー神父様の記事は除外して言おう。
つまり、前半の写真や動画だけを念頭に言おう。
確かに、そのような写真や動画は僅かかも知れない。
そして、それらの写真や動画からパウロ教皇様の内面の深いところを知ることはできない。
しかし、それでも、それらの写真や動画の情景を知りながら、見ながら、なお下のような “言い回し” をし得る人があるならば、私はその人の心に「偏見」の作用を──その多寡は別として──感じずにはおれない。
1967年
5月13日 教皇パウロ6世ファチマに巡礼する。しかしパウロ6世はファチマの聖母には見向きもせず、祈りもしない。
念の為に言うと、その年表は聖ピオ十世会の公的なものではない。
邦人司祭が作成したものである。
・1964年11月21日、黄金の薔薇に言及したパウロ教皇様のスピーチ(英語)
・1967年5月13日、ファチマにおけるパウロ教皇様の説教(イタリア語)
後日の加筆
(2011年8月)
その邦人の神父様が私のこの記事に応答して下さったようである。
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/3471a1b7f34d8f3bff83866589e0cab4
しかし、そのような「説明」は欲しくなかった。ただ「素直な心」が欲しかった。
何故なら、私が指摘させてもらったのは、日本人の小学生なら十分に分かるような単純なことだったからだ。「少なくとも上のような情景がある限り、そのような “言葉遣い” は避けるべきだ」というだけのことだった。何故、神父様にはこれがお分かりにならないのか。私は「素直」でない人は好きではない。人は愛によってさえ些かも「偏見」を持つべきではない。
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