2011.08.21

So-called “Sister Lucia”

音声はカットした。色んなビデオから取った細切れを連結させたものなので、音声を入れても繋がり(流れ)がなく、煩わしいばかりで、あまり意味がないからである。
しかし、2000年5月13日に関しては音声が欲しいところだった。何故なら、音声なくしては、“シスター・ルチア” が何に対して、どんな文言に対してあのように「拍手」したのか、正確には分からないからである。
それなのに何故音声をカットしたかというと、そこに有る音声は教皇座空位論者の司祭によるナレーションだけだったからである。そこに元々のビデオの音声はなかった。
しかしながら私は、教皇座空位論者と云えども、元々のビデオにあった音声を自分のナレーションの音声に全面的に差し替えることによって何らかの捏造あるいは歪曲を為すということはあり得ないだろうと思う。何故なら、彼は彼の目にとっての「バチカンの種々の捏造・歪曲」を追っている(主として信仰上のそれら──背教──を)。捏造・歪曲を追及する者が自ら捏造・歪曲をするのでは話にならない。教皇座空位論者と云えどもそんな馬鹿なことはしないに違いない。また、彼は戦っている。もし彼が賢明ならば、戦いにおいて尻からバレるような嘘をついて自らに不利に働くようなものを残そうとは思わないに違いない。(彼は少なくとも911を拵えたような連中とは違う。)
それに、音声がなくても、その日のミサや式典におけるシスター・ルチアの顔が概して「明るい」のは確認できる。
その日のソダーノ枢機卿(様)のファチマ第三の秘密に関する声明は、その後教理省が出した『ファティマ 第三の秘密』の中に収められている。(中央協議会の訳書では30ページから。)
そこで枢機卿(様)は「ファチマの第三の秘密(預言)は写真のような明確さをもって示されたものではないから、それは象徴的に示されているから、解釈においても “象徴的な鍵” をもってされなければならない」とか、「それは第二の千年期最後の世紀(20世紀)に関するもので、その中で描かれている色々な出来事はもはや過去のことに思われる」とかいうようなことを仰っておられる。
それは教理省の小冊子『ファティマ 第三の秘密』の中だけに在るものではない。2000年5月13日、ファチマの御ミサの最後で、シスター・ルチアも居るところで、ソダーノ枢機卿(様)が聴衆に向けて肉声をもって仰ったことである。そしてその時の様子が、不完全ながら、あのビデオの中に映されているというわけである。そして、そこにおけるシスター・ルチアの顔は暗くない、暗くないどころではない、という話である。
だから、教皇座空位論者は言う、「シスター・ルチアはバチカンや彼女の長上によって沈黙を課せられている、強いられている」などというのはあり得ることではない、と。私は、前も言ったが、事これに関しては、この教皇座空位論者の言うことが正しいと思う。
しかし、この事の真実は明らかにされない。
最後まで明らかにされない。
「最後」というのは「世の終り」のことである。
この事ばかりでない。人類は多くの嘘と共に、
大量のアホくさい嘘と共に、それを見抜けぬまま、
「世の終り」という名の滝の上まで旅して行く。
人類は殆どそういう在り方しかできない。
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