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2011.12.31

「自由・平等・友愛」 に対して明白に好意的であったヨハネ・パウロ2世教皇様 1

前教皇様のことを「責める」ためではなく、あくまで天主様の御心を訪ねるために最近の一人の(しかし傾向が顕著な)教皇様の御事を検討させて頂きます。
鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』の中の間違い
余談
これは呆れるほど「余談」なのだが……
Web上に「教皇ヨハネ・パウロ2世の声明」とされる或る言葉が落ちている。引用/転載によってけっこう広く拡散されている。
源泉は二つ。鬼塚英昭氏と赤間剛氏という二人の著述家の文章である。
例1)
引き続き『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭著)から引用します。
そしてヨハネ・パウロ二世の誕生となったのだ。
1981年3月2日、法王は「フリーメーソンおよび類似の秘密結社に入会した者は、教会法により破門となる」との声明を出した。(…)
では、法王のフリーメーソン非難の声を聞こう。
「私の子供たちよ。私は再びサタンの秘密組織に加わらないように、あなたたちに警告します。それは本当にサタンの会堂なのです。これらの秘密組織は、兄弟、愛、友愛、人類同胞主義などのラベルを身につけています。しかし、私の子供たちよ、どんなことをいっても、あなたがたの信仰をくつがえそうとしているのです。」
例2)
アメリカ建国およびバチカンとの関係(赤間剛氏による)
現在の教皇ヨハネ・パウロ二世は、一九八一年三月二日、「フリーメーソンおよび類似の秘密結社に入会した者は教会法により破門になる」として、新たな声明を発表した。
「私の子供たちよ。私は再びサタンの秘密結社に加わらないように、あなたたちに警告します。それはほんとうにサタンの会堂なのです。これらの秘密結社は、兄弟愛、友愛、人類同胞主義などのラベルを身につけています。しかし、私の子供たちよ。どんなことをいっても、あなたがたの信仰をくつがえそうとしているのです。」
鬼塚英昭氏も赤間剛氏も「著述家」である。
両者ともそれを「教皇ヨハネ・パウロ2世の声明」としているわけである。
その二つはもちろん「訳文」であるが、酷似している。そして、どちらにおいても「〇〇氏の訳文を借用する」という断り書きはないようである。それで、私は最初、「ペンネームを変えているだけで本当は同一人物ではないか」と思ったりした。が、どうやら違うらしい。あるいは、赤間氏の方が、著述家として少々問題有りの人物なのかも知れない。参照
しかし、そんなことはどうでもいいのである。
問題なのは、その「ヨハネ・パウロ2世の声明」なるものは全くもって「ヨハネ・パウロ2世の声明」などではないということである。
カトリック信者ならそれを読んで直ぐに気づく。少なくとも咄嗟に “違和感” を持つ筈である。何故なら、教皇は通常、信者たちや人類に対して「私の子供たちよ」とは呼びかけないのだから。
それは「教皇ヨハネ・パウロ2世の声明」などではなく、ベイサイドの聖母の言葉である。
I caution you anew, My children, do not join the secret societies of Satan. It is truly a synagogue of Satan.
These secret societies have covered themselves with all labels of brotherhood, goodness, and unity of man. But in what respect, My children, but subversion of your faith.
しかし、私は、この二人の著述家に対して文句は言わないことにしよう。
間違いによってであれ、フリーメイソンの悪が世間に少しでも知れることになったのなら善しとしよう。
It is truly a synagogue of Satan.
「truly」とあるのは、そのことを腹の底から信じている人が少ないからだ。
「a synagogue of Satan」という言い方は、それが単なる「間違った “考え” を持った人間集団」以上のものであることを意味する。
そして、brotherhood, goodness, unity of man である。それらの美名の下に彼らは策術を行なっている、と彼女は言っている。要するにフリーメイソンの「自由・平等・友愛」のことである。
ベイサイドの真偽性を別としてさえ、「フリーメイソンはサタンの会堂である」は真実である。しかし、ヨハネ・パウロ2世教皇様がフリーメイソンのことを名指ししてそのような強い譴責の言葉をお使いになる可能性は……全くの「ゼロ」であった。
そう、全くのゼロであった。彼はフリーメイソンのことをそのように言い得る人では決してなかった。それを今回のシリーズでお見せする。畏れつつ言えば、残念ながら、彼もその辺の「リアリティ」の分からない人だったのである。
(今のは必ずしも「悪口」ではない。以前も言ったが、もし仮に──仮にである──私が彼の立場に立たされたなら、悪魔の攻撃によって着任後3秒で分からなくなるだろう。おそらくそういうものなのだろうと思う。)
変質した教会法
上の二人の著述家も、間違いばかりを書いているのではない。
次に関しては、確かにその通りだろう。
> 1981年3月2日、法王は「フリーメーソンおよび類似の
> 秘密結社に入会した者は、教会法により破門となる」
> との声明を出した。
私は正確には掴んでいないが、少なくともその日付あたりに、そのような動きがあったのは事実のようだ。
«At noon on March 2nd 1981 the Vatican Press Office released a document that puzzled many.» It renewed and reactivated the excommunication of freemasons.
教皇ヨハネ・パウロ二世は信仰教義聖省を通じて、最近、フリーメーソンに加入するどのカトリックに対しても為された破門を再確認されました。
1981年2月17日の布告を見よ。)
1983年11月26日のラッツィンガー枢機卿と聖座による宣言を見よ。)
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その他の参考
・1983年11月26日、信仰教義聖省 Declaration on Masonic Associations
・教皇によるフリーメイソン禁止の歴史 Papal ban of Freemasonry
教皇文書とその解説 (聖ピオ十世会)
上の引用にあるように、これらの動きは「再確認」であった。
なぜ「再確認」が必要になったのか?
再確認とは、一般に言っても、何らかの「不足」が生じた時のものである。この場合も、それに関する真実が、あるいはその “打ち出し” が、「不確か」になりつつあったからである。人々の心の中に一定の「疑惑」が生まれ、「不安」が生まれ、「問い」が寄せられ、それに「応答」する必要が生じたからである。
その「問い」とは、信仰教義聖省のその宣言自身が認めているように、
新教会法典は旧教会法典とは違い、フリーメイソンについて明確に言及していないが、教会法が改訂されて以降、フリーメイソンについての教会の決定に何らかの変化があったのか?(多少規制を緩めるなどの?)
というものであった。
私に言わせれば、このような流れ自体、教会の「ていたらく」である。
世界規模の陰謀団体を相手にして、これは既にしてある種の敗北である。
教会法の変化(というより「変質」と呼びたいが)を確認しておく。
1917年の教会法典
Can 2335 Affiliation With Masonic or Similar Societies. Those who join a Masonic sect or other societies of the same sort, which plot against the Church or against legitimate civil authority, incur ipso facto an excommunication simply reserved to the Holy See.
第2335条 フリーメイソン又はそれに類似した結社への加盟。教会又は合法的な公権力に敵対して陰謀を企てる、フリーメイソンの党派又は他の類似した結社に加盟する者は、聖座にのみ留保された伴事的破門制裁を自らに招く。(管理人試訳)
1983年の教会法典
Can 1374 A person who joins an association which plots against the Church is to be punished with a just penalty; one who promotes or takes office in such an association is to be punished with an interdict.
第1374条 教会に敵対して陰謀を企てる結社に加盟する者は、正当な刑罰によって処罰されなければならない。かかる結社を助成又は指導する者は、禁止制裁によって処罰されなければならない。(日本カトリック司教協議会教会行政法制委員会訳)
ここには色々考えなければならない細かな詳細があるのだろうけれども、ここでは大きな変化だけを確認すれば十分かと思う。「フリーメイソン」という語が削除されたのである。
そして、削除しておきながら後から「再確認」される必要が出て来るなんていうのが教会の「ていたらく」だと言うのである。言葉というものは何処かに(少し奥まった所にであれ)保存されていればそれで良いというものではない。必要な言葉は「常に・おもてに・明確に」表示されていなければならない。言葉はひとり言葉の問題なのではない。言葉の問題は言葉と人間の生きた「関係」の問題でもある。「人間心理」についての「洞察」の問題でもある。言葉の操作一つで物事は変わって来る。この辺の事については敵の方が大抵明敏である。
確かに、ヨハネ・パウロ2世教皇様の治世下、フリーメイソン加入者への破門が「再確認」された。しかし、そもそも “曖昧の種”(状況的な)を蒔いたのは、これもヨハネ・パウロ2世教皇様治世下での教会法の変化だったし、そして何であれ、以下に見るように、教皇様のフリーメイソンに対する(またそれに類似した秘密結社に対する)意識は、間違いもなく「緩かった」。
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