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2012.01.25

「陰謀」 を笑う人達

「陰謀論」を笑う人は「陰謀」を笑う人である。
しかし、それで大丈夫なのか。
「陰謀」や「陰謀論者」に偏見を持っている人達に、もう一言だけ言っておく。
何故ならば、これからの時代、あなたが好むと好まざるとに関わらず、実際、ますます「陰謀」とのお付き合いを強いられることになるだろうからである。
黙示録の13章あたりを読んで欲しい。そこには「獣」についての言及がある。
それは「四十二か月の間活躍する権力」「すべての種族、民族、言語の異なる人々と国民とを支配する権力」を与えられるとある。(13:5-7)
また、「もう一頭の獣」についての言及がある。それは人々に「右手か額に刻印を受けさせ」、それを拒絶する者には「物を売ることも買うこともできないようにした」とある。(13:16-17)
私はここで、それらが何を意味するか特定しようというのではない。今ここでは、そんなことに関心はない。ここではあなたの精神傾向について関心がある。
さて、少なくとも黙示録の言うそれらは何かではある。私達の世界に現実に起こる何かである。(それは「象徴的」であると同時に「現実的」である。)
そこで、「陰謀」や「陰謀論者」に偏見を持っている人達に、私は問う。
果して、世界大の「陰謀」ということを考えることなしに、黙示録の上のような記述が何か現実的なことを言っていると考えることができるだろうか。
それは、大雑把に言っても、反キリスト勢力による「世界の支配」を意味している。そして、「物を売ることも買うこともできないようにした」というのはすこぶる現実的な話で、私達の「経済」に関する何事かである。
そのような世界大の「支配」、そして経済の仕組みにおいて私達に半強制的に轡(くつわ)あるいは枷(かせ)をはめ得る「権力」というものを、私達は「陰謀」ということを考えることなしに考えることができるだろうか。
あるいはまた、黙示録の 2:9、3:9 である。
「サタンの団体に属する者で、ユダヤ人だと自称しているが、偽り者である人たち」
果して私達は、「陰謀」ということを思わずに、そのような者達のことを、その存在を考えることができるだろうか。
また、こうである。
「嘘」には二種類しかない。「その場限りの嘘」と「計画的な嘘」である。
「計画的な嘘」とは即ち「陰謀」である。(あるいは、少なくともその内、「長期に亘った」「大掛かり」なものを「陰謀」と言う。)
だから、「陰謀? ヘッ」と笑う人は、「嘘」の内の 1/2 か 1/4 かを無いものの如く言うのだから、「嘘」とはその殆どが “場当たり的” なものであるかのように言うのだから、おそらく、そんな甘い見方では、「悪魔は嘘の父である」と口にする権利すらないであろう。
あなたは、本当に、これらの問いをかつて一度でも真面目に考えたことがあるだろうか。自分の頭、そして胸に聞いたことがあるだろうか。
「陰謀」を笑う人々よ。「陰謀」と聞くと笑う人々よ。
あなた方にとって、ひょっとして、黙示録は「陰謀論の本」なのか。
あるいは、白眼視すべき「奇書」なのか。
それとも、たとえそれがどんなものでも、とにかく教会の柵の内側に置かれているとなれば、大した理由もなく、右から左へ、「いいえ、奇書ではありません」と平らな顔して言うのか。
自己というもののない(あるいは薄い)人々よ。
「奇書」と言えば、聖書自体が、ある意味そうではないのか。
その中には、常識人の目から見れば確かに突飛な、奇妙奇天烈な、素っ頓狂な、猛烈な、ぶっ飛んだ奇跡話の数々があるのではないか。
私には、あなたがそれを「トンデモ本」と呼ばないことが不思議である。不思議である。
死後四日目のラザロの復活
あなたはおそらく、言葉の正しい意味合いにおいて、それらを「自分で信じて」いるのではないだろう。
信頼すべき権威の言うことだから、自分ではよく信じられないが、ともかく「受け入れている」、というに近いのだろう。
しかし、以上、だから、もう少し、世界を見るのではなく自分を、外側を見るのではなく内側を見た方がいい、点検した方がいい。
失礼しました <(_ _)>
でもホントだよ
補足
ただし、もし人が「JGはあまりにその方面のことにアクセスし過ぎる」と言うならば、私自身、同意するのである。(それぐらいの自己認識は持っている。)
しかしまた、それは私自身が関心があるというよりも、「世界における不足を補う」という意味もあるのである。(「世界」とは大き過ぎるが。)
この現在、政治世界における陰謀を論ずる人は多々ある。しかし、教会内の陰謀、そして霊的世界を含めた陰謀(悪魔からの陰謀)を語る人はどれだけあるのか。
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