2012.09.18

大阪梅田教会はフリーメイソンのモニュメントである 14

モニュメント
14.どのような
「記念碑」
なのか (1)
次に、「ノアの方舟」という象徴について、ノアの方舟が「象徴」として使われる場合の意味合いについて、少し考えてみたい。
質問はこうである: それは必ず「救いの象徴」なのか?
多くのクリスチャンにとっては、そうなのかも知れない。
また、「フリーメイソンの隠された真の姿」ということを本気にしない、それゆえ主観的には確かに善意ではあるかも知れないフリーメイソンの下層の者達にとってさえ、そうなのかも知れない。
しかし、キリスト教会のことを考えてみよう。
一般に、キリスト教会において、ノアの方舟の絵を掲げている例はどれほどあるだろう?
あるにはあるだろう。
しかし、キリスト者にとって「救い」のまっすぐの素直な)象徴は、あまりにも当然ながら、主の十字架であり、カトリックにおいては特に主の磔刑像である(本来)。
他方、ノアの方舟は、旧約の世界のものであり、救いの象徴になり得るかも知れないが、私はこう思う──「滅ぼしの象徴」にもなり得るだろう。
何故ならば、救われた人間の数が僅か8名だからである。
(あなたはその時代に生きた時、自分がその8名の中に入る自信があるか?)
この事を考えれば、ノアの方舟は、むしろ「滅ぼしの象徴」としてのシグナルの方が強いと言うべきだろう。
私はそう感じる。
ノアの方舟は、人類にとって、本当はかなり怖い象徴なのである。
それは「大洪水」と共にある。
だから(と繋げていいのかどうか分からないが兎に角)ノアの方舟の絵を掲げるキリスト教会は、無くはないだろうが、あまり多くはない筈だ。
しかし、サクラファミリア、大阪梅田教会は、その全体をもってノアの方舟を構成するのである。
ここ日本において。
そう、ここ日本において。
既に気づいている人もいるかと思う。
私はそれを書くことを少し躊躇する。
非難や冷笑を恐れるからではない。
ショックを受ける人が居るかも知れないからである。
しかし、これは「確証」のあることではない。
「確証のあることではない」と思って聞いてもらえばよい。
・・・
大阪梅田教会が献堂されたのは、2011年3月6日(日)である。
もちろん、このような教会の大事な*行事は
主日(日曜)に行なわれなければならなかったろう。
6日に都合がつかなければ、次の日曜の13日にという具合に。
* 本当は「大事」などではなかった。大阪梅田教会は献堂などされない方がよかったのだ。
それはさて措き、とにかく...
その日は東日本大震災のあった日とひどく近い。
5日前である。
私は「象徴」というものを見過ぎたのだろうか、
次のような「象徴的ストーリー」が見える気がするのである。
大阪梅田教会という「ノアの方舟」が完成し、
その「竣工式」が執り行なわれたのが2011年3月6日である。
その5日後の2011年3月11日に「大洪水」が起こった。
このタイミングは何なのか。
偶然にしては出来過ぎのように思われる。
しかも、それと近接したもう一つの情報がある。
それは2011年の「1月末〜2月の初め」にあったという
或る「会合」に関する伝聞である。
参照: 真実性の問題と道徳性の問題は別である
私にはこの宇野氏の話がとても重要なものに思われる。
ちなみに、この宇野正美という人に関して、私はこう思う。
 1.彼も人の子、常に正しい事ばかり言うとは限らない。
 2.しかし、彼は少なくとも詰まらぬ嘘をつく人ではない。
もちろん私は、大阪梅田教会の竣工が3月11日の直前に来るように “準備” されたのだとして、どこの誰がそれを計画し、事を運んだのか、知らない。けれども、私としては、帰宅した際、部屋が荒らされ、物もなくなっているのを見た時のような気分だ。私はその時、泥棒が入ったことを確信する。「誰がいつどのようにこの部屋に侵入したか分かるまでは、私はここに泥棒が入ったとは認めない」とは言わない。ちょうどその時のような気分だ。
何故なら・・・もう一度示そう。
(遺族には見せられるものでないことは、私も分かっている。)
2011年1月末〜2月初め
フリーメイソン/イルミナティの会合
東北地方がない地図 「東北地方が消えるんです」
2011年3月6日
フリーメイソン/イルミナティ印のノアの方舟」が竣工
2011年3月11日
大洪水東北地方
私には「ここには偶然しかない」と思うことは難しい。
サクラファミリアはそのための彼らのモニュメント(記念碑)であったかも知れない。
私は今まで大阪梅田教会(サクラファミリア)は「反キリスト」という意味での「フリーメイソンのモニュメント」であるとしか考えていなかった。
しかし、あるいは、それは「日本人」に対するものであるかも知れない。
その可能性を視野に見直せば、これも以前とは違ったふうに見えてくる。
「惨めに小さく頼りなげなヤシの実の舟のようなものに乗っており(乗せられており)」、且つ上から剣のようなもので脅され、おびえて身を寄せ合っているように見えるこの家族は、実は「日本人の家族」「日本民族」なのではないか。
(もちろん、彼らが「聖家族」も「日本人」も嫌いであれば、その両方なのかも知れないが。)
そして、もちろん、日本は小さな国、海に浮かぶ「小舟」である。
つまり、これは彼らの日本人に対する愚弄的表現、そして且つ「予告的」な表現なのではないか。
「大阪のチッポケな教会施設にそんな細工をしてどうなるんだw」
──まだそんなふうに笑っている人がいるかも知れない。
確かに、サクラファミリアは「チッポケな教会施設」だ。しかし、彼らは「マーキング」が好きな種族(民族的種族ではなく心的・霊的種族)である。彼らは時にはおおっぴらに、そして時には “草葉の陰” に、自分達の「記念碑」を置くだろう。
「悪趣味な絵」などと言うな。現実はこの通りなのだ。
この宇宙には厳然と「悪魔」が居り、この地上にはその霊流を受けつつ動いているその配下、「悪魔の代理人」達が居るのだ。残念ながら。
なに?「そんなものが居る可能性はない」?
それとも、「可能性」ぐらいはありますか?
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