2013.02.06

カトリック相模原教会と同性愛の牧師さん 3 (司教様に通報)

ネットで書いて、それで終りにしたのでは、やはりどこか違うと思った。
それで、梅村司教様宛に文書を作成し、今朝、投函した。
送ったのは次の4枚である。
1
カトリック相模原教会に於ける講演会の中止の請願
† 主の平安
拝啓
梅村昌弘司教様
司教様に於かれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
私は、〇〇〇の〇〇〇と申します。
他教区の者から突然お手紙を差し上げるのは失礼かと存じましたが、この度インターネットにて、司教様管轄下のカトリック相模原教会にて信仰上異常なる事態が発生しつつあることを知りましたので、所属教区に関わらず日本の信徒として御一報させて頂くことに致しました。
「異常なる事態」と申しますのは、カトリック相模原教会は今月の16日に、同性愛者であり且つ同性愛を完全肯定する発言を公けに為しているプロテスタントのとある牧師に、自教会内での「講演」の場を用意している事でございます。
事実確認につきましては、司教様に直接、カトリック相模原教会のホームページを御覧頂くのが一番かと存じますが、ここにも幾つかのものをプリントアウトして同封させて頂きます。
司教様。
私は、同性愛の指向を持つ人達の社会的人権を擁護しようとする事と、同性愛の完全肯定論者を私達の教会に招き、そこで講演会の話者として立たせるという事は、全く質の違った事であり、後者は全く神の御旨に反する──もっと率直に言わせて頂けば、「反逆」する、「侮辱」する──事であると信じます。
同性愛の完全肯定論者が私達の教会内で話者として立っても、その話す内容が「同性愛の指向を持つ人達の社会的人権」に限られるならば構わない、同性愛の善し悪しの問題に触れてくれなければ構わない、又たとえそのような問題に触れても、彼が自己の考えを我々に “主張” せず、ただ自己の考えとして “披瀝” するだけなら構わない──と、そんな風に柔軟に(?)考えられるものでしょうか?
司教様、先ず同封のチラシを御覧下さい。それらの言葉は既に相模原教会に入っているのです。
「神様がつくったものに不良品はない」・・・これは人権の問題と真理の問題を分けることをしない言葉です。
「神様は私たちのありのままを良しとし、愛し、祝福してくださっている」・・・ここに云う「ありのまま」とは同性愛のことです(少なくとも主として)。
私は、神に対する信仰からも、また相模原教会の信者さん達に対する影響からも、司教様の御賢慮と、御権威の正しき活用により、ここは是非ともこの講演会を中止させて頂きたく、心からお願い申し上げます。
司教様の御聖務の御発展を祈りつつ。
敬具。
〇〇〇
2013年2月5日(火)
2
3
3 に次の添書き
これは既に過去の事であり、且つ未遂に終った事です。しかし看過できるでしょうか。「他宗派の同性愛公言の牧師」と「カトリックの司祭」が〈交換可能〉というわけでしょうか。
4
これはこの件を知ったカトリック信者と思われる人が言った一言です。
教会には、同性愛であることに悩んで、その傾向を何とかしたいと思っている若者もいるのに。
私は全くその通りだと思います。
そのような努力をしている若者が、自分の教会の掲示板に平良愛香氏のあのような言葉が貼られているのを見るのです。その若者は努力の意味を見失うかも知れません。
それとも教会自らが「悩む必要はないんだよ」とその若者に言うのでしょうか。「努力は要りません」と。
平良牧師「性の多様性」講演会
「日本キリスト教団三(さん)・一(いつ)教会」(相模原市南区)の牧師で、同性愛者の平良愛香(たいらあいか)さんの講演会「あなたの性は、何色ですか〜性の多様性を知る」が27日、川崎市労連会館(川崎区)で開かれる。午後2時からで申し込み、入場料ともに不要。
同性愛は広く認識されてきたが、お笑い番組の「ネタ」にされたり、いじめの標的にされたりと理解は進んでいない。偏見を取り除き、性の多様性を伝えようと同市職員労働組合などが企画した。
平良さんは沖縄県出身。20代前半で同性愛者だと公言し「100人いれば100通りの性があることを知ってもらいたい」と全国で講演を続ける。現在は牧師の傍ら立教大非常勤講師や、セクシュアル・マイノリティー・クリスチャンのための団体「キリストの風」代表なども務める。
市職労の担当者は「身近に同性愛者であることを言えず苦しんでいる人がいるかもしれない。そんな人たちが堂々と主張できる社会をつくるため平良さんの話を多くの人に聞いてほしい」と話す。問い合わせは市職労(044・200・2600)。
(2012年10月25日 毎日新聞)
以上の内容が、郵便事故でもない限り、二、三日中には横浜司教館に届くわけである。そして、司教様がいらっしゃれば、お読みになるだろう。
しかし、書いていて、一面、恥ずかしくもある。私は私で、この件とは別に、神様を「侮辱」していることが無いかと云えば、無いと言い切れない、否、有るからだ。
しかし、書いた内容それ自体は、間違っているとは思われない。
そして、片や、カトリック信者は大人しくて、殆ど誰も何も言わない。
だから、自分の罪には目をつぶって投函した。
今日は6日。予定された講演会は16日。うまくすれば、中止されるだろうか。
私の考えでは、否、カトリックの「信仰」の常識からしても、この書簡が司教様のお目にとまるのがギリギリ前日の15日だったとしても、講演会は即刻(指示は電話一本で済むことだ)、疑いなく中止となる筈だが。
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