2013.06.24

科学の権威者の証言と失敗

クリストファー・A・フェララ氏の文章から。
マフォワルドの記事の中で、ツーガイブ博士は、論争になっている当の「インタビュー」のための彼の通訳者 、ほかならぬカルロス・エヴァリストから求められた、シスター・ルチアの一枚の写真についての彼の法医学検査について語っている。
ツーガイブ博士によれば、エヴァリストは「彼自身と一緒に写っている彼女[シスター・ルチア]の写真を一枚持っていた。彼はそれはシスター・ルチアではないと考えていた」。そしてツーガイブ博士に、その写真が本当にシスター・ルチアを表わしているかどうかを知るために、その写真に「擬人的研究(anthropomorphic study)」を加えるようにと求めた。十分驚くべきことに、シスター・ルチアと二回のインタビュー(1992年と1993年──これについては後述する)を持ったと主張するエヴァリストは、その写真の中で彼の横に立っている女性がシスター・ルチアであるかどうかさえ確信が持てなかったのである。彼女とのインタビューを二回も持ったと主張しているに拘わらず!
ツーガイブはこのように、シスター・ルチアとの彼女の修道院におけるある種の「インタビュー」を巡る疑念について知っている。実際、彼は、エヴァリスト自身が一人のシスター・ルチア詐称者によって騙されていたのかどうかを決定するように、エヴァリストによって雇われたと言っている。
さて、私事で恐縮ですが、私はもう、英語を正確を期しつつ訳そうとするエネルギーがあまりありません。上の訳だって、三上先生の訳をかなり拝借したのです。
しかし、もう少し頑張って、上で言及されていた「マフォワルドの記事」というのを大雑把に訳してみたいと思います。
しかし、その前に一席。
今迄も何度か書いたことですが、二言目には「証拠」と言う人に限って、そもそも私達の生活自体が実は「証拠」よりも圧倒的に「信頼」の上に営まれていることを自覚していません。私達の生活の多くの局面で、私達は私達自身としてはそれほど多くの「証拠」を掴んでいるわけではありません。私達はいわゆる学者や医者やその他専門家たちの “権威” を「信頼」しているのです。別の言い方をすれば、「依存」しています。
そのこと自体がいいとか悪いとか言いたいのではありません。私達がこの社会で生きて行くために、自分以外の人達の業績の上に生きることは現実上「必要」なことであるし、また「致し方ない」ことです。
けれども、それでも私達は、「それは本当は “他者の挙げた業績” であって、私達自身が “知っている” ことではない」と自覚していなければならないし、そして「どんな権威者も完全ではなく、間違うこともある」ということに醒めていなければなりません。
以下のインタビュー記事で話しているツーガイブ博士は、科学界・医学界での「権威者」です。しかし、どうかあなたは、どのような人の「権威」にも目がくらむことがありませんように。それを盲信しませんように。あなたは飽くまであなた自身の目を基礎として下さい。
EWTNの記事です。途中、管理人のチャチャが入ります。
ツーガイブ博士とのインタビュー
スティーブ・マフォワルド
シスター・ルチアは言った──「それは為されました。あなたのご友人のすべてにそう言ってもらって構いません」
(編集者註: スティーブ・マフォワルドはネブラスカ州オマハ在住の伝統主義的なカトリック・ジャーナリストであり、Catholic News & Commentary の発行者である。以下の記事及びフレデリック・T・ツーガイブ博士とのインタビューは、Catholic News & Commentary 2003年9-10月号の一記事の短縮バージョンである。ツーガイブ博士は十字架刑に関する世界的権威。彼は最近、ファチマの幻視者であるシスター・ルチアを訪ね、彼女に「ロシアは聖マリアの汚れなき御心に奉献されたのですか、されていないのですか」と尋ねた。マフォワルドの記事とインタビューの全文に関しては、次を参照のこと。http://www.sacramentals.org/ Sept. Oct2003.htm)
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長い間、シスター・ルチアの長命を予測していた人々が居る。彼女は今年〔2003年〕の4月で96歳になった。或る人々は次のように主張する──「彼女はもう一つの仕事を果たす為に長命を与えられているのだ。その仕事とは、求められたロシアの奉献はまだ果たされておらず、約束された平和を引き寄せる為には求められた通りにそれが執行されなければならないということを最終的に確認することである」と。
そのような考え ─ そしてかなりの量の噂 ─ は次のように主張する──「シスター・ルチアは修道院の中に監禁されているのだ。実質的に囚人なのだ。長上への彼女の堅い従順の為に、彼女は自分の本当の考えを知らせることができずにいるのだ」と。それは更に続ける──「教理省のラッツィンガー枢機卿の許可がなければ、誰一人として彼女に会うことはできないのだ」。
それで、私の読者の一人が spiritdaily.org に最初に現われた次のようなニュースに私の注意を引いた時、私は少しばかり驚いた。それに依れば、昨年、[十字架刑に関する]調査結果を発表するために、ツーガイブ博士がカルメル会修道女たちのもとに招かれた。そしてそこにはファチマの有名な幻視者であるシスター・ルチアが含まれていた。博士は幻視者の面前で二時間を過ごした。そして彼は、彼女がユーモアのセンスが豊富であること、また彼女の年齢にしては(彼女はその時95歳だった)「素晴らしい(excellent)」健康状態であることに気づいた。
ファチマ・クルセイダーの編集者が「彼女は85歳にしては妙に髪が黒い」と言った(参照)のに倣って、博士も出来れば「彼女は95歳にしては妙に “良過ぎる” 健康状態だ」と思うべきでした。
確かに、たまに実年齢よりずっと若い体を持った人がいるけれど、この場合は違います。彼女の年齢はそれではないことでしょう。
博士がコインブラのカルメル会を訪ねたのは2002年4月28日のようです。参照
(続き)
ツーガイブ博士は彼女を訪ねた時のことを振り返る──「彼女は私達に、彼女が若かった頃のことや他のことについて、あらゆることを話してくれました」。「彼女はロザリオを作り、私と私の妻にプレゼントしてくれました。彼女の本『Calls』もです。私は言いました、『シスター・ルチア、あなたに直接お伺いしたいことが一つあります。ロシアは聖マリアの汚れなき御心に奉献されたのでしょうか? それともまだなのでしょうか? と云うのは、それについてあらゆる論争があるからです』。彼女は次のような言葉で答えました。『それは為されました。教皇様がそれをなさいました。それは為されたのであり、あなたのご友人たちに “それは為された” と言って下さって構いません』と」。
初めて聞くことではない
確かに、「シスター・ルチアが『奉献は為された』と言った」という主張がポルトガルから出て来たという報告は、これが初めてではない。では、ツーガイブ博士の報告は他の報告とどこが違っているのだろうか。それはより多くの煙と鏡(smoke and mirrors)だろうか。バチカンの党路線に私達を従わせようとするもう一つの試みだろうか。それとも、そこにはこれまでと全く違った何かがあるのだろうか。自分がストーリーを正しく受け取ったかどうかを確かめたく思い、私はツーガイブ博士にインタビューを要請した。彼は快く了解してくれた。
目撃者
彼の経歴録に依ればhttp://e-forensicmedicine.net/mdex.html、ツーガイブ博士は1969年にニューヨーク州ロックランド郡で監察医制度を発展させ、33年以上もの間、ロックランド郡初の主任監察医として勤めた。彼は科学の学士号、修士号(解剖/電子顕微鏡検査)、博士号(解剖/組織化学)、そして医学博士号の取得者である。医学教授として彼は、挙げきれないほど多くのタイトルと栄誉を持つ。彼はまた敬虔なカトリック教徒であり、毎日の聖体拝領者である。
十字架刑に関する世界的権威の一つとして、ツーガイブ博士の法医学の知見は世界中の科学界で知られてきた。彼はまたトリノの聖骸布についての研究でも知られている。一言で言えば、この問題に関するツーガイブ博士の証言(それはシスター・ルチアを訪問したもう一人の目撃者である彼の妻によっても確認されている)は非の打ちどころのないものであると言える。
〔管理人チャチャ: そうでもないですよ〜〕
ツーガイブ博士とのインタビュー
スティーブ・マフォワルド(以下、S. M.): ファチマの「秘密」と「約束」の両方についてシスター・ルチアは沈黙させられて来たというのが、長い間、一つの通説となっています。ポルトガルに行く前のあなたご自身が持っていた印象はどのようなものだったでしょう。
ツーガイブ博士(以下、Z博士): そうですね、それ以前は、或る一人の特別の司祭〔訳注: ニコラス・グルーナー神父様のことだろう〕が書いたものを通して、彼の長い論文の幾つかを通して... シスター・ルチアの叔母が... あるいは他の誰かが... シスター・ルチアは「それは為されていない」と言ったと... う〜ん、あるいは「適切に為されなかった」と言ったと...「正しく為されなかった。それは世界の全ての司教たちと一致して為されねばならないのだから」と言ったと... そのようなことを聞いていました。
S. M.: もう一度お訊きしたいのですが... 私達は結論を得るでしょうけれども〔? we'll get to that,〕、あなたはそこに行く前、シスター・ルチアはそれらの問題に関して沈黙を課せられているという印象を持っておられましたか? ポルトガルに旅する前のことですが。
Z博士: いいえ、私は、シスター・ルチアは一人の特別の司祭に、そして彼らの他のメンバーにも、「それは適切には為されなかった」と確言した、という印象を持っていました。
S. M.: 何故あなたはそこに行かれたのでしょう。どのような経緯で、あなたは修道院内のシスター・ルチアを訪ねることを許されたのでしょう。
Z博士: 私はシスターたちから十字架刑に関して話をするようにとコインブラに招かれました。そしてまた、私は以前からそこに手紙を送っていたのです。と云うのは、私の息子が二年前から一つの医学的問題を抱えていて、私はシスター・ルチアに、そして彼女の姪子さんにも、彼のために祈ってくれるようにと頼んでいたからです。この求めは私の一人の友人を通してされました。その友人はシスター・ルチアの姉妹を知っていて、私の願いを伝えてくれたのです。そして彼女らは、そのために私の息子の写真さえ求めてくれました。シスター・ルチアは彼のために祈ってくれました。彼は非常に非常に良い状態になりました。それで私は、彼女の祈りのことで彼女にお礼を言いたいとも感じていたのです。
私はそこに行きました。そしてシスター・ルチアと他のシスターたちの前で十字架刑の全容を話しました。実際、私が行った時、シスター・ルチアは両腕を広げて迎えてくれたものです。私は講演しました。それは本当に美しい経験でした。会話が素晴らしかったのです。実際、私は彼女の主治医に... それは若い女性でしたが〔訳注: Dr. Branca Paul のことだと思います〕... こう求めました、「このようなことは許されていないと知ってはいるのですが... シスター・ルチアと一緒に写真を撮らせてもらえないでしょうか」と。すると、彼女は修道院長に訊いてくれました。修道院長は私の願いをシスター・ルチアに伝えてくれました。シスター・ルチアが出て来て、「私はまったく構いませんよ」と言ってくれたのです。彼女は多くの写真を撮らせてくれました。私達は色々なことについて会話しました。
そして、その特別の時の中で、私は先に進みました。私は彼女に言いました、「私は、これがここでは訊いてはならない事かどうかを知らないのですが、しかし私は多くの色々な噂、そして多くの色々な見方を聞いてきました。...シスター、私はそれについて知りたいのです、一つ質問させて下さい。聖マリアの汚れなき御心への〔ロシアの〕奉献は為されたのでしょうか? 私は『それはまだ為されていない』とか『正しく為されなかった』などと聞きました。『彼女[シスター・ルチア]は、それは為されなかった、と表明した』などと」。
シスター・ルチアは私と私の妻の目を真っ直ぐに見詰め返し、そして言いました──「それは為されました! 教皇様がそのおつもりだったからです。それは為されました。あなたはあなたのご友人たちに『それは為された』と言って下さって構いません」と。
(…)
シスター・ルチアは私と私の妻の顔を真っ直ぐに見て、はっきりと言いました──「それは為されました!」と。だからこそ、私はこれまでそう言ってきたのです。
(…)
特に、私達の会話が終った後のことです、私はこの女性にはまったく畏れ入りました。彼女はその時95歳だったのです... それは4月のことでした(編集者註: 2002年の)... 今では96歳になっていますが... 彼女はムチのように機敏でした! まったくもって機敏でした。彼女はロザリオを作りました。彼女はお手製のロザリオを私達に与えさえしました。そしてまた『Calls』という一冊の本も。...それは素晴らしい本です。あなたも読まなければなりません。
まさにこの本です。「シスター・ルチア」はツーガイブ博士に、表紙に自分の顔のある本を差し出しました。現代人の感覚はこれが変だとはなかなか気づきません。
2001年、と云うことは、93〜94歳でタイピングする人。機敏ですね〜、驚異ですね〜、私も畏れ入ります。なんてね。違いますよ、博士。
(続き)
(…)
Z博士: 私達は本当に彼女と良い時を過ごしました。私達はそのように会話しました。彼女は本当に気持ちの良い人(sweet)でした。私の妻と私に対して全く打ち解けてくれました。たぶん、それは十字架刑に関するレクチャーを気に入ってくれたからではないかと思いますが... まあ、分かりませんが... 私はキリストがどのように苦しんだかなどを示しました。そして彼女に、私達が彼女が祈ってくれたことに感謝していることを言いました。それで、彼女はまったく打ち解けてくれました。そこには、彼女がそれを違ったふうに言った、別の言い方をしたという、どのような素振りもありませんでした。どのような素振りもです。...彼女はまさしく「それは適切に為された」と言ったのです。そして「あなたはご友人たちにそのように言って下さって構いません」と言いました。
(…)
S. M.: 博士、これはあなたの信頼性に関わることではありませんが... あなたは、あなたの面前に居た女性はシスター・ルチアではなかったと主張する人々に対してはどのようにお答えになりますか?
Z博士: そのような主張はまったく不合理なものです。その人が何故シスター・ルチアであったかをお話ししましょう。何年も前のことですが、私は或る要請を受けました... 或る時、或る人(someone)が或る要請をしてきたのです... 彼ら(they)は、自分たちはシスター・ルチアに会い、シスター・ルチアについての一つの記事を書いたと言いました。...カルロス・エヴァリストという人ですが。彼はそれについて何冊かの本を書いていました、ファチマに関して。彼は警察署長に一通の手紙を送り、その中で、自分がシスター・ルチアについての一つの記事を書いたこと、そして自分が彼女と一緒に写っている写真を一枚持っていることを言いました。彼は、その人はシスター・ルチアではないと思っていました。彼は、シスター・ルチアの既知の写真とその当の写真を比較することのできる科学捜査の専門家を警察署長が知っているかどうかを知りたかったのです。
彼は私のところに来ました。そして私は着手し、一つの完全な調査をしました。「anthropomorphic study」と呼ばれるものですが。そしてそれにより、それらの写真はまったく同じ人物を撮ったものであるという結論が出たのです。膨大な数のシスター・ルチアの写真を見たので、今や私はシスター・ルチアの見え方については非常に非常によく知っています。...私は彼女がどのように見えるかについて、正確に、あらゆる仕方で知っています。
この記事だけでは、博士が写真を検査した時とポルトガルを訪れた時の前後関係が判然としません。まあ、写真の検査が先だったような気がしますが。──因みに、ここでは訳を省略する記事後半に依れば、ポルトガルへの旅行には「彼の通訳者」(by 冒頭のフェララ氏)としてカルロス・エヴァリスト氏が同行したようです。博士はエヴァリスト氏の言語能力にも翻訳の仕事にも問題はないと言っています。
ところで、博士は自信満々に「私は彼女がどのように見えるかについて、正確に、あらゆる仕方で知っています」なんて言っています。こういう自信が、危ない。彼は科学者であり、且つ科学界の権威です。それに対して私はタンポポの綿毛です。しかしそれでも、私は「この博士は一体全体どんな “検査” をしたのか?」と訝ります。ひょっとして、博士もエヴァリスト氏も、「シスター・ルチア」の1967年以降の写真だけを相手にしていましたか? ホーヴァット博士の記事以降盛んに比較されるようになった対照群を、ツーガイブ博士は持っていましたか?
シスター・ルチアの古い(1946年ぐらいまでの)写真を公開しているファチマ公式サイトは、Wayback Machine で痕跡を探れば、2004年から始まったのかも知れません。ツーガイブ博士の写真の検査はそれ以前だったでしょう。対象が足りなかったのかも知れません。しかしそれでも、書籍の中にはシスター・ルチアの古い写真も幾らか見つけられた筈です。この科学界の重鎮は「調査」「検査」の名にふさわしい緻密さや真剣さを持っていたのでしょうか。エヴァリスト氏の疑いを「まずそんなことはあり得ないさ」と軽く受け取っているところはなかったでしょうか。
(続き)
Z博士: そしてまた、私はシスター・ルチアの主治医とも長い会話を交わしました。そしてシスター・ルチアの主治医は、私が話をする時には彼女もそこに居るでしょうと言いました〔訳注:「私もあなたのレクチャーを聞きに行きます」と言った、という意味か?〕。
(…)
管理人挿入
格子の向うに「シスター・ルチア」が見える。
その写真は修道院の格子の向う側に居る彼女と一緒に撮られました。というのは、彼女は外に出ることを許されていなかったからです。私はと云えば、彼女らに十字架刑についてのレクチャーを与えるために中に入りました。シスター・ルチアに会うことができたのは、まったくの予想外でしたが。
(…)
S. M.: 彼女と話したことで別のことはありますか?
Z博士: 彼女は私達とあらゆる種類のことを話しました。彼女が若かった頃のこと、彼女の家族の生活こと、そして他のあらゆることを。...私達はそのようにして彼女と2時間以上を過ごしました。
私が奉献のことを訊いた理由は、それが論争の種になっているようだったからです。ある人は「それは為された」と言い、別の人は「為されていない」と言っていました。そして、彼女は教皇様にまったく感嘆していました。あなたも彼女と話してみれば、彼女がどれほど現在の教皇様のことを愛しているかが分かります。彼がそれを正〔ただ〕しく為したのです。...その教皇様が。
S. M.: 彼女がそのように言ったのですか? 彼がそれを正しく為したと?
Z博士: そうです。私は他のシスターたちとも話しました。確信したかったので。はっきり知りたかったので。私は、私の非常に親しい友人であるアンドリュー神父から今回のことを打診されるまで、ここに来て、これに関する何かを公開するつもりはなかったのです。彼は後にEWTNでこれについて話しました。
〔以下略〕
私はこの博士が嘘を言っているとは思いません。
グルーナー神父様達がどのように頑張ろうと、この「シスター・ルチア」は実際、「ロシアは奉献された」と言ったのです。(それも一度や二度でなく。)
因みに、博士に「シスター・ルチア」から聞いたことを話すようにと勧め、その後自身でもEWTNでそれについて語ったという Fr. Andrew とは、この司祭のことではないかと思います。
Fr. Andrew Apostoli
Well known EWTN Presenter とあります。↑
この人は「シスター・ルチア」と一致していて(というか、彼女を信じていて?)、「ロシアの奉献は済んだ」と主張している人のようです。フェララ氏から Fatima's False Friends の内の一人と数えられていたりします。
この Fr. Andrew も、Dr. Branca Paul も、ゲッラ神父コンドル神父 と共に、ファチマ・キャンペーン「The Call to Fatima」の制作者側に身を置いています。これらの人達がどれだけ “悪い人達” であるかは知りません。しかしとにかく、これらの人達が「ロシアの奉献は済んでいない」と主張する人達でないことは確かです。
「シスター・ルチア」と Dr. Branca Paul の好関係を示す写真や映像が存在します。検索
「シスター・ルチア」とコンドル神父の好関係を示す写真も存在します。参照(下の方)
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