(続き)
ツーガイブ博士は彼女を訪ねた時のことを振り返る──「彼女は私達に、彼女が若かった頃のことや他のことについて、あらゆることを話してくれました」。「彼女はロザリオを作り、私と私の妻にプレゼントしてくれました。彼女の本『Calls』もです。私は言いました、『シスター・ルチア、あなたに直接お伺いしたいことが一つあります。ロシアは聖マリアの汚れなき御心に奉献されたのでしょうか? それともまだなのでしょうか? と云うのは、それについてあらゆる論争があるからです』。彼女は次のような言葉で答えました。『それは為されました。教皇様がそれをなさいました。それは為されたのであり、あなたのご友人たちに “それは為された” と言って下さって構いません』と」。
初めて聞くことではない
確かに、「シスター・ルチアが『奉献は為された』と言った」という主張がポルトガルから出て来たという報告は、これが初めてではない。では、ツーガイブ博士の報告は他の報告とどこが違っているのだろうか。それはより多くの煙と鏡(smoke and mirrors)だろうか。バチカンの党路線に私達を従わせようとするもう一つの試みだろうか。それとも、そこにはこれまでと全く違った何かがあるのだろうか。自分がストーリーを正しく受け取ったかどうかを確かめたく思い、私はツーガイブ博士にインタビューを要請した。彼は快く了解してくれた。
目撃者
彼の経歴録に依れば
(http://e-forensicmedicine.net/mdex.html)、ツーガイブ博士は1969年にニューヨーク州ロックランド郡で監察医制度を発展させ、33年以上もの間、ロックランド郡初の主任監察医として勤めた。彼は科学の学士号、修士号(解剖/電子顕微鏡検査)、博士号(解剖/組織化学)、そして医学博士号の取得者である。医学教授として彼は、挙げきれないほど多くのタイトルと栄誉を持つ。彼はまた敬虔なカトリック教徒であり、毎日の聖体拝領者である。
十字架刑に関する世界的権威の一つとして、ツーガイブ博士の法医学の知見は世界中の科学界で知られてきた。彼はまたトリノの聖骸布についての研究でも知られている。一言で言えば、この問題に関するツーガイブ博士の証言(それはシスター・ルチアを訪問したもう一人の目撃者である彼の妻によっても確認されている)は非の打ちどころのないものであると言える。
〔管理人チャチャ: そうでもないですよ〜〕
ツーガイブ博士とのインタビュー
スティーブ・マフォワルド(以下、S. M.): ファチマの「秘密」と「約束」の両方についてシスター・ルチアは沈黙させられて来たというのが、長い間、一つの通説となっています。ポルトガルに行く前のあなたご自身が持っていた印象はどのようなものだったでしょう。
ツーガイブ博士(以下、Z博士): そうですね、それ以前は、或る一人の特別の司祭〔訳注: ニコラス・グルーナー神父様のことだろう〕が書いたものを通して、彼の長い論文の幾つかを通して... シスター・ルチアの叔母が... あるいは他の誰かが... シスター・ルチアは「それは為されていない」と言ったと... う〜ん、あるいは「適切に為されなかった」と言ったと...「正しく為されなかった。それは世界の全ての司教たちと一致して為されねばならないのだから」と言ったと... そのようなことを聞いていました。
S. M.: もう一度お訊きしたいのですが... 私達は結論を得るでしょうけれども〔? we'll get to that,〕、あなたはそこに行く前、シスター・ルチアはそれらの問題に関して沈黙を課せられているという印象を持っておられましたか? ポルトガルに旅する前のことですが。
Z博士: いいえ、私は、シスター・ルチアは一人の特別の司祭に、そして彼らの他のメンバーにも、「それは適切には為されなかった」と確言した、という印象を持っていました。
S. M.: 何故あなたはそこに行かれたのでしょう。どのような経緯で、あなたは修道院内のシスター・ルチアを訪ねることを許されたのでしょう。
Z博士: 私はシスターたちから十字架刑に関して話をするようにとコインブラに招かれました。そしてまた、私は以前からそこに手紙を送っていたのです。と云うのは、私の息子が二年前から一つの医学的問題を抱えていて、私はシスター・ルチアに、そして彼女の姪子さんにも、彼のために祈ってくれるようにと頼んでいたからです。この求めは私の一人の友人を通してされました。その友人はシスター・ルチアの姉妹を知っていて、私の願いを伝えてくれたのです。そして彼女らは、そのために私の息子の写真さえ求めてくれました。シスター・ルチアは彼のために祈ってくれました。彼は非常に非常に良い状態になりました。それで私は、彼女の祈りのことで彼女にお礼を言いたいとも感じていたのです。
私はそこに行きました。そしてシスター・ルチアと他のシスターたちの前で十字架刑の全容を話しました。実際、私が行った時、シスター・ルチアは両腕を広げて迎えてくれたものです。私は講演しました。それは本当に美しい経験でした。会話が素晴らしかったのです。実際、私は彼女の主治医に... それは若い女性でしたが〔訳注:
Dr. Branca Paul のことだと思います〕... こう求めました、「このようなことは許されていないと知ってはいるのですが... シスター・ルチアと一緒に写真を撮らせてもらえないでしょうか」と。すると、彼女は修道院長に訊いてくれました。修道院長は私の願いをシスター・ルチアに伝えてくれました。シスター・ルチアが出て来て、「私はまったく構いませんよ」と言ってくれたのです。彼女は多くの写真を撮らせてくれました。私達は色々なことについて会話しました。
そして、その特別の時の中で、私は先に進みました。私は彼女に言いました、「私は、これがここでは訊いてはならない事かどうかを知らないのですが、しかし私は多くの色々な噂、そして多くの色々な見方を聞いてきました。...シスター、私はそれについて知りたいのです、一つ質問させて下さい。聖マリアの汚れなき御心への〔ロシアの〕奉献は為されたのでしょうか? 私は『それはまだ為されていない』とか『正しく為されなかった』などと聞きました。『彼女[シスター・ルチア]は、それは為されなかった、と表明した』などと」。
シスター・ルチアは私と私の妻の目を真っ直ぐに見詰め返し、そして言いました──「それは為されました! 教皇様がそのおつもりだったからです。それは為されました。あなたはあなたのご友人たちに『それは為された』と言って下さって構いません」と。
(…)
シスター・ルチアは私と私の妻の顔を真っ直ぐに見て、はっきりと言いました──「それは為されました!」と。だからこそ、私はこれまでそう言ってきたのです。
(…)
特に、私達の会話が終った後のことです、私はこの女性にはまったく畏れ入りました。彼女はその時95歳だったのです... それは4月のことでした(編集者註: 2002年の)... 今では96歳になっていますが... 彼女はムチのように機敏でした! まったくもって機敏でした。彼女はロザリオを作りました。彼女はお手製のロザリオを私達に与えさえしました。そしてまた『Calls』という一冊の本も。...それは素晴らしい本です。あなたも読まなければなりません。