2013.09.16

戦争の謀略性を見ない政府には憲法をいじる資格がない

以下の私の文章(と云うより、呟き)は、どことなく幼い感じのする、つまり知識不足から来る足元が覚束ない感じのする文章ですが(はい、認めます)、カトリック信者の中にはこのような方面に関して私以上に知識不足の人も少なくないようなので、アップします。
最近のアメリカのシリアへの迫り方、追い込み方は、かつてのイラクへの迫り方、追い込み方に、吐き気がするほどそっくりです。
かつては「イラクは大量破壊兵器を持っている」と主張しながら、そして確か「これは自衛戦争である」というようなニュアンスを打ち出しながら、攻め込み、そして今度は「シリア政府軍は化学兵器を使った」と主張しながら、そして「人道」「正義」というイメージを振りまきながら、再び攻め込もうとしています。
しかし、アメリカ(ユダヤ権力)は本当は善など志向していません。反対に悪を志向しています、全くの悪を。聞こえのいい言葉を並べながら、実は自分達の利益のため、自分達が目を付けたアノ国コノ国を(或いは "あの辺一帯" を)自分達の実質支配に移す為、そこにある既存の権力を転覆したいと云う、ただそれだけのことです。100%それだけ。純然たる悪。善に見せかけているが、本質的には純然たる「侵略戦争」。
(これ一つ見ただけでも分かろうというもの。ウェズリー・クラーク氏
この勇敢なシスターは「どうして欧米のメディアがダブル・スタンダードを使うのか理解できません」と言っていますが、それは彼らが人命など何とも思っていない(或いは、そのようなご主人様たちに仕えている)からです。
日本はどうするの
先日、自民党の石破幹事長がゲスト出演したテレビ番組を見ました。
「国防」に関しても、所謂「集団的自衛権」に関しても、彼は特に〈特異〉なことは言っていないと思います。主権国家ならば自国を護る為の軍隊を持って当然とする考えも、我国と密接な関係のある他国が不当な攻撃を受けている時、手をこまねいて見ているだけではなく援護に馳せ参じるべきという考えも、そんなに〈異常〉なものではないに違いありません。
そして彼は、そりゃ、私達庶民よりは政治方面に関する知識が多いかも知れません。そして、なかなか正確な論じ方をする人なのかも知れません。しかし私は、私達はそんなものに畏れ入ることは少しもないと思います。人間の論じることは、とかく「無駄に複雑」になりがちです。しかし、彼の言っていることをよく聞けば、本質的に何も難しいことはない、むしろかなり「平板」なことだと分かります。前の段落で言ったことがあるばかりです。
結構。日本が今より広い範囲で武力行使できる国になるのも可としてみましょう。しかし、本当の問題はその先にあります。
武力行使するならば、私達は「善」のためにそれをしなければならない。悪に加勢することになってはならない。そのためにはその戦争が正しいものか間違ったものかを正しく「見分ける」ことができなければならない。
(正しいもの ≒ やむを得ないもの)
帰還アメリカ兵の少なくとも一部はこう言っています。
最悪な間違いだった...(目覚めはじめたアメリカ兵)
 
他の同様の動画: 冬の兵士
このビデオのタイトル「最悪な間違いだった...(目覚めはじめたアメリカ兵)」は、日本のアップ主が付けたものでしょうが、もちろん間違っていません。
では、彼らは何に「目覚めはじめた」のでしょうか。
それはもちろん、彼らにとっては悲しいことに、自国の戦争の「欺瞞性」に、更には「謀略性」にです。
しかし日本政府は、そのようなことは何も感じていないかのようです(少なくともそう "振る舞って" います)。このような兵士達のことをどう思っているのでしょう。馬鹿だとでも思っているのでしょうか。
憲 法
日本国憲法  第九条
1  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
自民党もこの条文は変えるつもりはないようだけれど、それは兎も角──「国防」や「集団的自衛権」に関する議論の中で上の条文が出た時に、人々の目がどこに行くかと云えば、「国権の発動たる戦争と」云々以下でしょう。人々の議論はそこから始まり、それについてなのです。
しかし、私は違うと思います。私達にとって本当に大事なのは、その前の「誠実に希求」という部分だと思います。
例えば、アメリカがイラク戦争を始めた時、その理由の一つは「イラクは大量破壊兵器を持っている。それを隠している」ということだった筈です。しかし、蓋を開ければ、それを発見することはできませんでした。「イラクはそれを持っていなかった」と判断するのが妥当でしょう。
だから、アメリカの開戦理由の「正当性」について、たとえ「謀略性」というものまでは思わなかったとしても、「不十分性」ぐらいのものは思って当然です。実際、それを指摘する声が挙がっています。当り前です。
しかし、日本政府はそれを言ったでしょうか。時の日本政府はアメリカのイラク戦争を支持しました。そして自衛隊を派遣しました。だから日本にも責任があります。しかし日本政府は──「事前にはイラクに大量破壊兵器は無いとは分からなかった」と云うのであれば事後でもいいです──「その開戦理由は何らかの疑義の残るものであった。そこには何らかの不十分性があった」と、その程度のことでも何か言ったでしょうか。一言でも。
誠実に希求」と言うなら、そうする筈ですが
そうしなかったのではありませんか?
「うやむや」にしたのではなかったですか?
この態度一つ取ってみても、日本政府に憲法をいじる資格などないのだ、と私は思います。
難しい議論は分かるが「誠実」という言葉の意味が分からない人達。
つまり、私の言いたい事を一言で言えば、
日本よ、今後如何なる形でも汚い謀略戦争には決してくみする勿れ。
フランス革命
これもテレビ番組の話。
(ベイサイドはテレビを排斥しているけれど、私は、まあ、見る時は見ます)
その番組はNHKの紀行番組で、天草のキリシタンを取り上げていました。或る男性の俳優が、ナビゲーターとして、キリシタンにちなむ幾つかの場所を訪ねていました。その中の一つに、天草のキリシタンに関する記念館がありました。そこで私は変なものを見たのです。
それは何かと言えば、或る展示パネルに書かれた「島原の乱」に関する説明です。その説明は、何と、「島原の乱」と「フランス革命」を結び付けていたのです。どちらも「自由を求めて立ち上がった民衆の物語」として。──まあ、ありがちなことではありますが。
しかし、人間は、本当に、「自由、平等、友愛」には引っ掛けられます。
私はこれについて哲学的によく論ずることはできません。しかし、伝えられた事象を調べることならできます。フランス革命にはフリーメイソンが多く絡んでいた、否、"絡んでいた" 程度でなく、それはフリーメイソンそのものだったでしょう。そして、そこでは数々の悪魔的な残虐行為が行なわれたと云います。そして、澤田昭夫教授は、フランス革命の「究極目標はカトリック教会の撲滅にあった」とさえ仰っています参照。それなのに、キリシタンの遺物を展示している記念館がフランス革命を「善いもの」として持ち上げているのでは、お話になりません。
何故ここにフランス革命のことを持って来たかと云うと、それは勿論、近年の中東に於いて彼らが仕掛けていることの "やり口" が、フランス革命に於けるそれと全く同じだと、私の目に映るからです。つまり、「美名を使う」ということです。
その番組のことを調べてみて分かりました。それはNHK・BS11の「とことん紀行」の「九州伝説 "天草編"」で、俳優は堀田眞三さん、記念館は「天草四郎メモリアルホール」(熊本県上天草市)だったようです。その記念館は市が管理しているものでしょうから、上の事にカトリック教会は責任がないのでしょう。
一度削除したケネディ大統領の演説を元に戻しました(タコも)。何故なら、確かに彼はその私生活面に於いてはカトリック信者のお手本になる人では全くなかっただろうけれども、しかし現代のアメリカと世界を支配しているギャング政治家ども(美名の下の殺人者たち)よりは遙かにマシであり、「世界を覆う陰謀」の存在を "大統領" の地位にある人が明言したという事実はかなり大きいからです。
シリア
ベイサイドの聖母は、一行だけ、シリアについてこう仰っています。
シリアは、世界平和のための、あるいは第三次世界大戦のための、解決の鍵を持っています。
Syria has the key to the solution of world peace or the Third World War.
次へ
《ページ移動のためのリンクはにあります》
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ
inserted by FC2 system