2014.02.07

司祭の心を迷妄に導く現代世界憲章 Part 8

補 足

 聖ピオ十世「公教要理詳解」の中に次のような言葉があってビックリした。

使徒信経の第四箇条

113. イエズス・キリストは誰のために死去されましたか。

イエズス・キリストは全ての人間のために死去され、すべての人間の罪をあがなわれました

 下線の部分が現代世界憲章の言葉と同じである。

 現代世界憲章はこう言っている。

29 すべての人は理性的な霊魂を恵まれ、神の像として作られ、同じ本性と同じ根源を持ち、キリストによってあがなわれ、神から同じ召命と目的を与えられている。

29 Since all men possess a rational soul and are created in God's likeness, since they have the same nature and origin, have been redeemed by Christ and enjoy the same divine calling and destiny, (…)

 しかし、同公教要理の英語版を見てみれば、こうなっている。

The Fourth Article of the Creed

17 Q. For whom did Jesus Christ die?

A. Jesus Christ died for the salvation of all men, and made satisfaction for all.

 「すべての人のために贖罪をなさいました」であるだろう。

 私はイタリア語は読めないが、イタリア語版では、

Del quarto articolo.

112 D. Per chi è morto Gesù Cristo?

R. Gesù Cristo é morto per la salute di tutti gli uomini ed ha soddisfatto per tutti.

 やはり「per tutti」(=for all)という言い方をしている。
 英語版はこれに忠実ということだろう。

 私は思う。イエズス様の御贖いがすべての人「のため」であったことは確かである。しかし、「すべての人間の罪をあがなわれた」という言い方をしてしまえば、「すべての人がその贖いの効力を身に受けた」ということになってしまわないか。
 すなわち、日本語版の訳は適切なのか。

 ちなみに、聖書には次のような記述がある。

かれは、すべての人をあがなうために、ご自身を与えられた。

ティモテオへの前の手紙 2:6(バルバロ訳

キリスト・イエズスは、ご自分をすべての人のあがないとして、おささげになりました。

一テモテ 2:6(フランシスコ会訳)

 私は思う、「その通りである」と。しかしこの事は、「すべての人が主の御贖いの効力を身に受けた」ということを意味しないだろう。

 そういう意味で、やはり現代世界憲章の言い方はおかしいと思う。
 そして、従って、聖ピオ十世「公教要理詳解」の日本語版のその訳も適切ではないように思う。

 気づけば、その日本語版は第二バチカン公会議 “寄り” のものであった。参照

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