2014.03.07

現代世界憲章は反キリスト文書である Part 8

補 足

 私は後から気づいたのですが(Part 3 にも付け加えたけれども)、彼は32番でこう書いています。

現代世界憲章(Gaudium et Spes)32 から

(主は)その宣教においては、神の子らが互いに兄弟として接することを明らかに命じた。その祈りにおいては、すべての弟子たちが「一つ」であるように願った。

 ですから、彼はやはり、主のそのお祈り自体に関しては、日本語版のように「すべての人」と解さず、「すべての弟子たち(=信者たち)」と解しているのです。彼は正しい人ではありませんが、この点に関しては異常を為していません。
 そのお祈りをそのように一応正常に捉えているからこそ、その後の「人間理性が達することのできない視野を示したのであって」「ほのめかしている」という言い回しが生きて来る(必要になる)のです。文脈上。

 くどいですが、もう一度書きます。(整理するためにも)

 彼はその言葉「omnes」を拡大解釈しています。或る種の。

 「或る種の」と言うのは、その単語自体は変えていないからです。しかし、彼は単語に於いて、語句に於いて不正はしなかったけれども、文脈に於いて、論の展開に於いて不正をしました。

 彼は「omnes」という語を含む主のそのお祈りから「すべての人間」に関する一つの秘義的な結論を引き出しました。「主イエズスはそのお祈りで『信者の一致』のことばかりでなく『人類の一致』のことをも "ほのめかして" いる」と言うのでした。しかし、聖書にはそんな事は書かれていないので、それは彼の根拠の無い独り決めの拡張であるに過ぎません。

 だから、これはやはり一種の「拡大解釈」であると言えます。
 そして、AA1025の着想と一致しています。即ち、それは "聖書の中には書かれていないが、AA1025の手記には書かれていること" です。その秘義的な結論から「人類愛」や「共通善」を励ます方向へ持って行くところまで同じです。

現代世界憲章 (Gaudium et Spes)

日本語版全文(外部サイト、タイプミス多し)

各国語版入口(バチカン公式サイト)

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