2014.03.18

現代世界憲章は反キリスト文書である Part 10

現代世界憲章の起草者の一人

ベルンハルト・ヘーリング

Bernhard Häring

 教皇自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」発布直後、カトリック新聞2007年8月5日号の「意見異見私見」欄で「教皇のこんどの書簡はこの時代の大きな流れに逆行するものである」と言い切ったあの酒井新二氏が、女子パウロ会の月刊誌「あけぼの」2009年6月号で、現代世界憲章の主要な起草者の一人を次のように紹介している。

酒井新二

私は最近、ドイツの倫理神学の大家ベルンハルト・ヘーリンクの晩年の著『教会への私の希望』(1997年)を読んだ。 ヘーリンクは第2バチカン公会議(1962~1965年)とその後の教会刷新の中心的神学者のひとりであり、「公会議」の思想的中核をなす「現代世界憲章」の「産みの親」でもある。

教皇ヨハネ23世が召集した第2バチカン公会議は戦後のカトリック教会が奇跡的な再生を遂げた歴史的公会議であり、その日本版である「第1回福音宣教推進全国会議」いわゆる「NICE-1」(1987年・京都)のモデルでもある。

 酒井氏は「一九八七年NICEの逸脱」を素晴らしいものと考えるわけである。

 酒井氏の "口振り" を見るのも大事かと思う。下線は管理人。

(続き)

ヨハネ23世とそれを引きついだヨハネ・パウロ2世によって実現した教会刷新の波は、今ヨーロッパにおいてその息吹きも感じられない。それどころか今のバチカンの "主" はその保守的言動によって度々マスコミをにぎわせるというありさまである。日ごろ「バチカン」の動きなどほとんどニュースにならない日本のマスメディアでさえ、ベネディクト16世の最近の言動を批判的に報道するありさまである。(朝日新聞2月14日、同3月13日-現教皇が、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を疑問視して "破門" された4人の司教を解除したこと)

(以下略)

 私には「ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を疑問視して "破門" された4人の司教」なるものがこの宇宙に存在するかどうか分からない。

 「バチカンの "主"」の「主」は「ぬし」と読むに違いない。
 司教様達のことをひどく書いた後だから、私にこんなことを言う資格は無いかも知れない。しかし、少々自己弁護させてもらえば、私はこれでも聖職者の "霊的職位" に対しては一歩引く気持ちがある。彼らのことを呼ぶ時、「様」を省くことはそう簡単ではない(たまには言うけど。「司教」「神父」を役職的に言う時)。だから、少し引け目を感じながらも、次のように言わせてもらう。

カトリック新聞、月刊「あけぼの」、

よくこういうものを載せますね。

 

「カトリック」 と銘打った右の月刊誌に教皇様のことを 「バチカンの "ぬし"」 呼ばわりした文章が載っているのである。美しい表紙が偽善的である。

 ところで、そのベルンハルト・ヘーリング(Bernhard Häring,
Bernard Haring)なる人はこの人である。

Bernhard Häring

(1912 – 1998)

 酒井氏はベネディクト教皇様のことを「バチカンの "ぬし"」と呼んだわけだが、酒井氏が尊敬するこの人は「教皇のことを "His Holiness" と呼ぶのはもうやめようや」と提言したそうである。

Tradition in Action

ベルンハルト・ヘーリング神父:
「教皇を "His Holiness" と呼ぶのをやめよ」

ベルンハルト・ヘーリングは多くの人から20世紀の偉大な進歩的倫理神学者と思われている。彼はピオ十二世のもとでは虐げられたが、ヨハネ23世によって復帰させられた。ヨハネ23世は倫理に関する自身の訓示の中でヘーリングを引用した。ヘーリングは第二バチカン公会議に一人の専門家 (perito) として参加し、重要な役割を演じた。彼はパウロ6世の良き友人でもあった。

倫理神学に関する約50冊の著者である彼は、1950年からローマの Redemptorist University で教え始め、喉頭癌の経過が思わしくなくなった1986年に引退した。にも拘わらず、進歩主義を拡げるため、彼は世界を旅し続けた。

1993年3月28日、ミラノの新聞コッリエーレ・デッラ・セーラは、カトリック教会に対するヘーリングの望みを伝える一記事を掲載した。以下は、それを私達が英訳したもの、及び原記事の複写画像〔訳注:この和訳では省略〕である。

ローマ ─ ベルンハルト・ヘーリング神父(80才)には一つの夢がある。「死ぬ前に、第三千年期の始めに公布されるヨハネ24世の司牧書簡を読みたいものだ」というものである。これは何を意味するのか? ヘーリングの望みをシンプルに言い表わせば、「ローマ・カトリックの枢機卿達はその時、ヨハネ24世を名乗る、"公会議の教皇" の仕事を継続する一人の教皇を選ぶだろう」という事になるだろう。

その新しい教皇の使命は、[世界の]全ての市民達に向けて、教会の中に彼が作りたいと望む諸変化──聖職者の各尊称の廃止、枢機卿の紫の廃止、聖座の外交団の廃止──を宣言する一つの司牧書簡を公布する事であるだろう。その時から、教皇を「His Holiness」と呼ぶこと、また枢機卿を「Your Eminence」と呼ぶことは禁じられる。更に、女性は男性と同じ権利を持ち、聖職に就くことができなければならない。… かいつまんで言えば、以上のようなものが、この国際的に名の知れたドイツ人神学者、第二バチカン公会議の偉大な主唱者の一人であったベルンハルト・ヘーリング神父の考えである。

「キリスト信者の一致を達成するためにカトリック教会が持つべき在り方の幾つかのポイント」を定めるためにヘーリングが提出したその「夢」に関する声明がある。彼は説明している、「教皇の玉座、三重冠、そして大袈裟な尊称などは、深い病理学的な徴候であり、われわれの姉妹教会たちの間に苛立ちを引き起こすものであるので」、われわれは「教皇を『His Holiness』という尊称で呼ぶこと」を禁じなければならない、と。

(コッリエーレ・デッラ・セーラ1993年3月28日号)

 コッリエーレ・デッラ・セーラの原記事はWEB版で読める。
 コレ→「Sogno una Chiesa senza gerarchie」。この題名は「私はヒエラルキーなしの教会を夢見る」という意味である。
 (だから、彼は「均す人」である。)

 彼に関するこのようなものを見てさえ、世のインテリ達はなおも色々と、延々と考え続けるのだろう。
(暴言吐いてよかですか。「世の終わりまでやってなさい」)

 しかし、私は単純に言う。
 このような人が「現代世界憲章」の主要な起草者の一人だったのである。

補足

 訳文中「聖座の外交団」としたところは英語では「the diplomatic corp of the Holy See」、イタリア語原文では「il corpo diplomatico della Santa Sede」です。Tradition in Action は「corp」と単数にしているけれど、普通は複数形にするのではないかな。(辞書
 そして、その「聖座の外交団」というのは、ほぼ、各国に駐在する教皇庁大使館のことを意味するでしょう。ヘーリングはそれすら取り去れと言うのでしょう。各国の「自立性」又「自律性」のために。聖座の "紐付き" でなくなるために。("紐" はなければなりません。)
 保守的な信者さん達は日本の教会で何かあった時、駐日教皇大使に請願したりしますよね。しかし、ヘーリングの意見が通れば、もうそんなことはできなくなります。
 また、Tradition in Action は見落としたのか、イタリア語原文にはヘーリングの考えとして「Il papa sarà anche lui discepolo dell'unico maestro: nostro Signore Gesù Cristo」と云うのもあります。「教皇もまた主イエズス・キリストの弟子である」。
 わざわざそんなことを言う彼の意図は明らかです。これもまた、教皇様の権威を弱めたいのです。
 もう一度言います。こういう人が「現代世界憲章」の主要な起草者の一人だったのです。

ヘーリングの著作 (もちろん勧めない)
 ベルンハルト・ヘーリング ,  ベルンハルト・ヘーリンク

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