2014.06.12

ユダヤの影響 5

注)あまり神経質にならずに、単純に「ユダヤ」と言うことにします。しかしもちろん、ユダヤ人の全てが悪いと言っているわけではありません。
それから、私たちは「偽ユダヤ人」ということも覚えておかなければならないでしょう。黙示録の 2:9 と 3:9 と ケストラー があるからです。

再々度、ベア枢機卿の事

 ユダヤ側の記事を二つ。

 まずは「アメリカ・ユダヤ人委員会(AJC:American Jewish Committee)」が自らの活動歴を振り返った記事から。

AJC

1961年 – 6月22日 AJCは、カトリック教科書に見られるユダヤ人についての否定的なイメージに対処しているバチカンのキリスト教一致促進のための事務局(局長:アウグスティン・ベア枢機卿)に、三つの覚え書きのうちの最初のものを提出した。AJC の初期の仕事の中で作成されたそれらの覚え書き──「カトリックの教えに於けるユダヤ人のイメージ」(1961年6月22日)と「カトリック典礼に於けるユダヤ人」(1961年11月17日)を含む──は、この問題をカトリック/ユダヤ関係に於ける最優先事項とすることに貢献した。AJCのイニシアチブの下、〈ラビ〉アブラハム・ヨシュア・ヘシェルによって準備された第三の覚え書き(1962年5月22日)は、宗教的観点からカトリック教徒とユダヤ人の間の緊張を検証している。この最後の覚え書きはベア枢機卿からの要請に応えて準備されたものだが、同枢機卿とRalph Friedman(AJC管理委員会委員長)、Zachariah Shuster(AJCヨーロッパの責任者)、Max Horkheimer 博士(ドイツのAJC顧問)及び〈ラビ〉ヘシェルらによってローマで持たれた一連の会合の結果であった。その会合で〈ラビ〉ヘシェルは、キリスト教一致のための会議をカトリックの教えの中の反ユダヤの考えを一掃するための──そしてユダヤ人を転向させる努力を止[と]めるための手段として利用するよう、ベア枢機卿に強く要請していた。

1963年 – 3月 AJCは、ベア枢機卿とアメリカの正統派・保守派・改革派の各ラビ達との会合の場を、ニューヨークの AJC Institute of Human Relations に設けた。教皇パウロ六世はその会合を承認した。そしてベア枢機卿は「異宗教間のコミュニケーションと協力」の必要を明言した。
 写真:ベア枢機卿と。左から右に、〔一人おいて〕〈ラビ〉アブラハム・ヨシュア・ヘシェル、スティーブン・シュミット(イエズス会)、〈ラビ〉マーク・タネンバウム。

– 5月 AJCの六人の代表が教皇パウロ六世との会合のためにバチカンを訪ねた。その中の一人であったレナード ・スペリー夫人はその少し前、ローマの Pro Deo University〔訳注:カトリック系の大学らしい〕に「異グループ間協力のためのスペリー・センター〔基金〕」を贈与していた。その会合でパウロ六世は、ユダヤ/キリスト教間関係の改善に対する彼の関心を再び明言した。特にイエズスの死に関するユダヤ人の罪という教えを拒否するという観点から、彼はそうした。

1965年 ベア枢機卿はアメリカを訪問した。AJCの会長 Morris Abram は、枢機卿がフィラデルフィアへの途上に立ち寄ったケネディ空港で、彼を迎え、彼に挨拶した。

 写真:空港にて。左から右に、John Coventry Smith 博士(長老派教会連合のエキュメニズム委員会の事務局長、及び全米キリスト教協議会の副会長)、AJCの会長 Morris Abram(ベア枢機卿と握手している)、Walter Abbott 神父(イエズス会、America magazine の共同編集者)、ベア枢機卿、Paul Maillieux 神父(イエズス会、フォーダム大学の Center for Eastern Studies の責任者)、〈ラビ〉Marc Tanenbaum(異宗教間問題に関するAJCの責任者)。

 ユダヤの報道機関の古い記事。

Jewish Telegraphic Agency

ベア枢機卿、明日ニューヨークに到着。表彰されるだろう。

1965年4月27日

ニューヨーク(4月26日)

アウグスティン・ベア枢機卿(エキュメニカル会議の最終採決のための来たるセッションに提出されることになっているユダヤ人についての宣言に関わっているバチカンの事務局長)が水曜にケネディ空港に到着する。彼はフィラデルフィアへの途上のそこで、木曜のディナーで彼に贈られることになっている International Fellowship Award を受けるだろう。彼はフィラデルフィア大司教区の当局者とブナイ・ブリスの名誉毀損防止同盟(ADL)の役員に迎えられるだろう。

一方、エキュメニカル会議によってユダヤ人について提案された声明に関連して既にバチカンを訪れたことのあるアブラハム・ヘシェル教授wiki-jaは、本日、バチカンは神殺しについての見解を大幅に修正するかも知れない、というレポートを受けて、次のようなコメントを発表した。

「神殺しの告発は今まで発せられた中で最も酷い中傷です。それは血の川と人間の灰の山という結果をもたらしました。何百万ものキリスト教徒達にとって、またローマ・カトリック教会の司教達の圧倒的大多数にとって、それは不合理で、恐ろしいもので、歴史的に根拠のないもので、そして愛の福音書に対する最大の拒絶であるところのものです。良心の崇高さと愛の精神にインスパイアされた福音書のどの側面から見ても、その文書を弱めることは、反セム主義への永久的な最大の貢献の一つとなるでしょう。私達はサタンがそのような勝利を見ないように望みます」

管理人

 ベア枢機卿はリストにある通りにフリーメイソンだろう。
 彼は〈彼ら〉にとって一つの成果であるべき第二バチカン公会議のために、第二バチカン公会議以前から、彼の本当の所属であるユダヤと組みながら、カトリック教会を「導いた」だろう。

 ところが、日本のカトリック界では碩学の範疇であるだろう和田幹男神父様はこんな事を書いておられる。

第2ヴァティカン(1962-1965年)当時、ベア枢機卿 (A.Bea) やアルフリンク枢機卿 (B.Alfrink) 、セルフォー (L.Cerfaux)、ベノア (P.Benoit) など、優れた聖書学者が揃い、同公公会議を支えることになる。

参照

 アルフリンクについては既に見た。参照

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