2014.06.26

ユダヤの影響 6

注)あまり神経質にならずに、単純に「ユダヤ」と言うことにします。しかしもちろん、ユダヤ人の全てが悪いと言っているわけではありません。
それから、私たちは「偽ユダヤ人」ということも覚えておかなければならないでしょう。黙示録の 2:9 と 3:9 と ケストラー があるからです。

彼らの「人心操作」の道具 ── “言葉”

 具体的な「誰がどうした」「何がどうした」という事をそれほど言いたい訳ではない。もっと一般的に警戒警報を鳴らしたいのである。「この世にはそのような者らが居るんだよ」と。「言葉というものを色々いじって、人々を思いの方向へ誘導しようとする者らが」と。「だからこそ、私達は私達自身の "言語感覚" というものにも気をつけておかなければならないんだよ」と。(偉そうに言ってすみませんが)

シオンの議定書

 いわゆるシオンの議定書。これについてはブナイ・ブリスについての以前の記事でも少し触れた。

 先ず、あなたがこれを未だ「偽書だろう」と思っているなら、次を読んで「本物だろう」に変わっておいて頂きたい。
 <常識> 「シオンの議定書」はただ本物であるだけである

 それは時に「シオン賢者の議定書」或いは「シオン長老の議定書」とも呼ばれる。英語では次のように。
 The Protocols of the Wise Men of Zion
 The Protocols of the Elders of Zion
 The Protocols of the Learned Elders of Zion
 The Protocols of the Meetings of the Learned Elders of Zion

 つまりとにかく、それは彼ら自称「賢者たち」の、「知恵ある(learned)長老たち」の決議*、人類世界に対するプログラムなのである。

* セルゲイ・ニールスが入手した「議定書」の写しには、最後の部分に「第三十三階級のシオンの代表者達によって署名されてある」との書き入れがあったということである。参照

 しかし、その「知恵」なるものは、もちろん「悪知恵」である。

 その「悪知恵」の中の一つを見てみよう。
 私達カトリック信者に非常に関係あることである。

 議定書の第十四議定の中から一つの言葉を紹介する。
 第十四議定には彼らの「宗教政策」が書かれている。

ゴイムの指導者になるよう訓練を受けた我々の賢者らが、スピーチ、企画書、回想記、論説などを組み立て、我々はそれらを用いてゴイムの精神を感化し、我々が彼らのために決めておいてやった物事の理解の仕方や知識の方へと、彼らを誘導するだろう。

(管理人訳)

Our wise men, trained to become leaders of the GOYIM, will compose speeches, projects, memoirs, articles, which will be used by us to influence the minds of the GOYIM, directing them towards such understanding and forms of knowledge as have been determined by us.

 世界に漏れ出た「議定書」はもともと抜粋らしく、それほど詳しいものではない。であるから、第十四議定に於いても、彼らの「宗教政策」がそれほど詳細に書かれているわけではない。全文

 しかしそれでも、彼らの詐欺的精神、その基本的な所は、そこに如実に現れていると見るのが、普通の(鈍くない)神経を持った人の反応だろう。

第二バチカン公会議期の神学者

 次に、第二バチカン公会議に多大な影響を与えたと言われている二人の神学者の言葉を見てみよう。
 但し、私はこの二人がユダヤ人かどうかを知らない。また、これらの言葉には前後関係が今一つ見えないところがあることも、認めておく。しかし、兎に角、「この世には人心を操作するために "言葉" というものを悪用する者らが居るらしい」という程度でも、あなた(主として神父様方)が念頭に置くために、見ておいて頂きたい。

 先ずは、以前も取り上げたオランダの神学者エドワード・スキレベークスである。彼はこう言ったと言われる。

私たちは公会議で曖昧な用語を使ったが、私たちはそこから後でどの意味で取り出せばよいか知っている。

We have used ambiguous terms during the Council and we know how we shall interpret them afterwards.

教会がどうなってしまったのか・・・その14    Part 14

 次に、フランスの神学者イヴ・コンガールである。彼の次のような言葉が、或る刊行物(下の写真)に記載されているという。

教皇様の要求に従って、私は『信教の自由に関する宣言』の最後の数段落を書くのを手伝いました。私の仕事は、信教の自由というテーマが既に聖書の中に現れていたということを証明することでしたが、実は聖書の中にはそのようなものはありません。

参照

amazon

À la demande du pape, j’ai collaboré aux der­niers paragraphes de la déclaration sur la liberté religieuse: il s’agissait de montrer que le thème de la liberté religieuse appa­raissait déjà dans l’Écriture, or il n’y est pas.

Éric Vatré: La droite du Père, Paris 1994, p. 118

 公会議文書『信教の自由に関する宣言(ディグニタティス・フマネ)』に於いて本当にそのようなことになっているか、後で見よう。

マルクス

 ついでにマルクスも見ておこう。彼はユダヤ人である。
(「共産主義」というものに一定の共感を持っている神父様方には、モーリス・ピネについての所にあった「共産主義の背後にあるユダヤ人」という言葉を紹介しておきたい)

 彼は或る自作の詩文の中でこう書いているそうである。

私は悪魔的混乱の中に混ぜ合わされた言葉を教える。
読む人によって如何様にも取れる言葉を!(管理人訳)

Words I teach all mixed up into a devilish muddle.
Thus, anyone may think just what he chooses to think.

Ich lehre Worte, die in einem teuflischen Wirrwarr vermischt sind.
So mag nun jeder denken. was er will!

Marx. Engels. Gesamtausgabe, Dietz Verlag.
Berlin 1975. Abt. 1, Band 1. Seite 644

 マルクスについては.. 古本で1円で売っているから読むべきだ。amazon
(或いは、英書 Marx And Satan )

* * *

 「我々の賢者らが、スピーチ、企画書、回想記、論説などを組み立て(compose)、我々はそれらを用いてゴイムの精神を感化し…」(議定書)

 彼らは「語の操作」をするだろう。
 誉めたくはないが、それに長けているだろう。

 「文脈」は勿論のことである。
 しかし、彼らの「組み立て(compose)」は「単語」の選択からさえ始まっているだろう。

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