「旅する神の民」
余談
第二バチカン公会議以降よく言われるようになった「旅する神の民」という言い方に、私は以前から微かな違和感を感じていた。
「我々はいつからそんなに詩人になったのか?」と。
そのようなイメージの元が聖書の中にあることを、私も知らないわけではない(詩編 121:1-8, ヘブライ人への手紙 11:13-16 等)。
しかし、そのイメージは、現代の私達にとって、生活実感から云って、あまりしっくり来るものではない。
人生
聖書時代の人々、特に旧約時代の太祖達にとっては、人生は「旅」そのものだったろう。移動して、幕屋を張り、移動して、また幕屋を張る。しかし、現代の私達にとっては、もちろん「人生は旅のようなものだ」という言い方はあるが、それは "生活実感" とまでは言えない。一つの "感慨" と云うに留まる。どうしてそれに留まるかと云うと、早い話、私達は大方「定住」しているからだ。
旅
「旅」ということそのものに関しても、聖書時代の彼らと私達の間には大きな "隔たり" がある。彼らにとっては旅は苦しいものだったろう。しかし私達は、発達した交通機関によって楽に旅し、そればかりか "楽しく" さえ旅しているのである。(第二バチカン公会議があった1960年代に於いても、「旅」はいよいよ「楽しい」「胸おどる」イメージを強めていただろう)
信仰生活
日々の「信仰生活」に於いても然りである。私達は移動する幕屋を持っているのではない。私達は街の中に立派な「教会」を、その建物を持っている。それはドッシリと固定的なもので、些かも流動的なものではない。私達は日々の中で落ち着いて、安定的に、同じ場所に通えばいいのである。
以上のような "実感" を持って生きる私達の所に、何故、「旅する」と云った流動的なイメージをわざわざ "回復" しなければならなかったのか。それで私達の心の中に何か大した事でも起こるのか。私には「意義」が分からないのである。「大したことはない」と思われて仕方がない。(その言葉についての説明を幾つか読んだが、どれも「大したことない」ものである。詩人以外は感心しないだろう)
で、私は最近、思ったのである。
旅する神の民・・・旅する神の民・・・ん? 流浪の民、ユダヤ人?
イスラエルという国がある現在でも、「流浪の民」と聞けば誰でも一発で「ユダヤ人」を思い浮かべる。それほど、それは正に、彼らの「代名詞」的なものである。
それを導入したからとて大したことにはならないであろうそのイメージを公会議文書の中に挿入したのは誰なのか。
私は、それは「ユダヤ人」だろうと思う。
彼らは公会議文書に彼らの "印章" を押したのだろう。
こっそりと。
真面目な人は私のこんな言葉を聞いて笑うかも知れないが、それは真面目な人が不真面目な人のことを分からないからである。そもそも彼らの文章自体が一つの「イタズラ」みたいなものである。(ほのめかしている)
公会議文書の中に "大したことないもの" が挿入されてある理由はこれだったかと、私は個人的に合点した次第である。
「旅する神の民」という言い方が教会に多大の実害を与えるわけではないけれども。
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詩人である糸永司教様: 教会は「旅する神の民」- 糸永真一司教のカトリック時評 |