2014.10.15

「手で受ける聖体拝領」 に関する本

この問題は古くならない。それが止[や]まない限り。
どれも最近の本である。

2011年刊(スペイン語の初版は1997年

著者:Most Rev. Juan Rodolfo Laise
書名:Communion in the Hand: Documents and History
総頁数:108

amazon 米 HTML

著者はアルゼンチンの司教様
Catholic-Hierarchy

参考記事
Bishop Juan Rodolfo Laise of Argentina speaks out against Communion in the hand.

当サイト記事   

2009年刊

著者:Most Rev. Athanasius Schneider
書名:Dominus Est - It Is the Lord!
総頁数:63

amazon 日

著者はカザフスタンの補佐司教様
Catholic-Hierarchy

書名『それは主である』の「それ」とは、もちろん「御聖体」のこと。

ランジス大司教(現・枢機卿)様による序文

2014年刊

著者:Barry Forbes
書名:The Eucharistic Storms: Communion in the hand and the marginalizing of the Real Presence
総頁数:138

amazon 日 紀伊國屋

著者は平信徒。某インターネットラジオでインタビューされている。YouTube

そのインタビューの中に「ジョセフ・バーナーディン枢機卿」の名が出て来る。どうやら彼は「手で受ける聖体拝領」の強力な推進者だったようだ。(そして且つ、彼はフリーメイソンが嫌いでなかったようなのである。参照

他に、Susanna Flavius 著 Why Banning Communion in the Hand, and Kneeling is pleasing and respectful to Jesus(2011年)Kindle版

 これらの著者たちが考え深い人達です。

 それに比して、世の神父様方はあまりに物事を “簡単” に考えています。

 その “簡単さ” は、当人たちにとっては “神への信頼” です。「大丈夫さ」というわけです。

 私も、あまり右のイラストのような侮蔑的な表現をすべきでありません。しかしそれでも、この世には「失礼だけど、ほんとのこと」というのもあるということを、心のどこかに置いておいて頂きたい。

 人の耳に侮蔑的に響こうとも、これは私の慨嘆です。

 あなた方の頭は軽過ぎます、単純過ぎます。
 あなた方の考えは浅過ぎます。

 私は、かなり疲れたけれど、これからも若干、何故そうなのか、何故そのように言えるのかを、説明して行こうと思います。
 (まあ、私なりに、ですが)

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