2014.11.12

手による聖体拝領
各国は『メモリアーレ・ドミニ』の文言を踏み倒して進んだ Part 2

 ライゼ司教様の『Communion in the Hand: Documents and History』の初版(の英訳版)から、その冒頭を訳します。
 原文の併記は省略します。どのみち原文へのリンクは設けます。
 文中の太字は著者自身によります。その他の強調は管理人。

プレゼンテーション

先の4月26日(1996年)、アルゼンチン司教協議会の第71回総会は、それを望む信者たちのために、御聖体を手の上に与えることの認可を聖座に申請することを決定しました。その決定を承認し確認するローマからの返事が6月19日に届きました。同日、アルゼンチン司教協議会の司教たちは、司教協議会の事務局長からの公式書簡 N. 319/96 [訳注1] によって、その結果を知らされました。その時から、新聞報道は、御聖体拝領のその方式は自動的にアルゼンチン全土に確立されるものと人々に思わせました。

司祭たちと信者たちは、私に、それがサンルイス司教区には適用されないよう頼んできました。公文書 [訳注2] を受け取っていなかったので、私はそれを特別にリクエストしました。そして、それによって1996年5月9日の典礼秘跡省の布告 [訳注3] について知りました。それは 教書『聖体授与の方法[訳注4] にまで遡るものでした。

8月8日、私は司祭館に一つの集会を召集し、司祭たちにその布告と教書を手渡しました。満場一致で、町の信者たちのためには口での御聖体拝領が好ましい、そして、当司教区ではこれまでどのような乱用のケースもなかったので特別許可の適用は正当化されない、ということになりました。

これがまともな考え方、素直な受け取り方というものであります。(管理人)

それら全てを念頭に、私は特別許可を受け入れないこと、そして普遍教会の現行法をその充満に於いて(それがある通りに)保存することを決めました。そうすることで、同僚司教たちとの間に御聖体拝領のことで分裂を引き起こすつもりはありませんでした。それまでも、教会がいろいろな免除を与えた時も──いろいろな理由から、或る司教区にそれを与え、別の司教区には与えなかった時も──同僚司教たちとの間に御聖体拝領のことで分裂を引き起こす意図はありませんでした。

私のこの決定が与えた影響が新聞・ラジオ・テレビを通じて一般にも知られるところとなりました(私自身にはそれを司教区外に発表する意図などありませんでした)。それらのメディアによって繰り返し、ライゼ司教は教会の方針に対して反抗的な態度を取り続けている、と報じられました。更に、La Nacisn の1996年9月23日号(p. 11)は、当時典礼委員会の会長であったモンシニョール・スウェルドの言葉をその言葉通りに伝えました。彼は私の態度について言いました、「その規則は司教より上にあるものであって、アルゼンチン司教協議会が聖座と一致して受け入れたものです。更に、その決定は信徒に関係したものであって、司祭に関係したものではありません」。これら全てが、私が本当に不従順な態度を取っていると、或いは少なくとも教会の中に分裂を作っていると、公衆に信じさせることに貢献しました。

このために、私は典礼秘跡省、教理省、そして法文評議会に相談を持ちかけました。すると、彼らは私の態度の中にどのような非難すべきものも見出さなかったのです。更に、教理省は次のように回答して来ました。「当省はあなた様に次のようにお知らせします。この問題に関する聖座の諸文書を注意深くご覧になれば、口に聖体を与えるという伝統を不変に保つという御決定に於いて、あなた様は法と一致して行動しておられるのであり、従って、教会の交わりを破ってはおられないということを、それらの文書がはっきりと教えていることにお気づきになるでしょう。実際、猊下は、教書『聖体授与の方法』(参照: Enchiridion Vaticanum III, 1284項)が全司教に求めた義務、すなわち現行の聖体授与の方法ではないもう一つの方法が信者の秘跡をめぐる生活に引き起こしかねない結果に関して洞察力を働かせるという義務を果たす以上のことは何もしておられません」

残念なことに、聖座の公的諸文書は、また従って現行の法令 (legislation)も、人々に知られていません。このために、多くの人が、聖座がこの問題に付した法令を知らないまま、それぞれに意見を表明しています。その結果として、私達の許には、この問題に関する多くの訴えが寄せられて来ました。

〔中略〕

サンルイス、1996年12月20日

* * * * *

この本が出版されて9ヶ月経った今、私達はその中で描かれていた状況が更に悪化していることを確認できます。聖座の真の態度が知られていないばかりでなく、手に御聖体を与えることが御聖体拝領の最良の方法としてプロモートされています。他方に於いて、天主の人々の sensus Fidei(信仰の感覚)が、プロモーショナルなキャンペーンによって、当初恐れられていたより少ない頻度でその方法が適用されるようにはしたけれども。

この本を求める多くの声のために、私達は改訂版を出すことを決意しました。これらの文書を広めることが増大する非神聖化のプロセスの前で途方に暮れている多くの霊魂に利益を運ぶと確信して。今日、私達は以前にも増して、御聖体の sacrum〔神聖性〕を再び補強しなければなりません。そしてその前に、私達は、永遠であり、無限であり、聖である天主──私達とは全く異なる御者──の御前に於ける自分の無を認めなければなりません。その御方の御前では、私達はその御方を天主として、人類の救い主として、そして世界の王として礼拝し、ひれ伏さなければなりません。

御聖体の sacrum〔神聖性〕は全実体変化と分かちがたく結ばれています。御聖体の神秘は、その犠牲性と秘跡性から切り離されては、もはや神秘ではありません。非神聖化のすべてのプログラムは全実体変化を否定する傾向を持ちます。

ヨハネ・パウロ2世教皇様が『Dominicae Cenae(ドミニチェ・チェネ)』でお教えになったように、教会には御聖体の sacrum〔神聖性〕を確かなものにし強いものにするという特別の義務があります。人々が sacrumprofanum〔世俗性〕の間の区別を消す傾向のある今日では特に。幾つかの場所には、あらゆるものを非神聖化しようとする傾向があります。そのような場所では、非常にしばしば、神聖さがまがい物と置き換えられ、典礼に固有のものが文化活動と置き換えられています。

サンルイス、1997年11月27日

ホアン・ロドルフォ・ライゼ
サンルイスの司教

SOURCE

訳 注

[1]

書簡の番号も日付も記載されていませんが、文面から見て明らかに次のものでしょう。アルゼンチン司教協議会の広報機関の公式サイトから。(機械翻訳に頼っての試訳)

手あるいは口で受ける聖体拝領

使徒座の承認を伝える司教協議会の事務局長の書簡

アルゼンチン司教協議会のメンバーである大司教と司教宛

親愛なる大司教と司教である皆さん:

アルゼンチン司教協議会の会長 Antonio Quarracino 枢機卿様からの御指示により、皆様に次の価値ある便りをお伝えすることを喜ばしく思います。典礼秘跡省は、本日受け取られた布告 854/96 によって、アルゼンチン司教協議会第71回総会の手による聖体拝領の導入は採択されたとの決定を確認しました。

これにつき、アルゼンチン司教協議会の常任委員会は、来たる8月15日、聖母被昇天の祝日が、全ての司教区と高位聖職者が一致してその実践をスタートさせる日としてふさわしいと考えました。

これにより、アルゼンチン司教協議会会長は、聖体を手の上に与える方法が認可されたとする宣言は8月15日から有効となる、と声明なさいました (c. 455, 2 y 3)

〔結びの挨拶・翻訳省略〕

José Luis Mollaghan
ブエノスアイレスの補佐司教、司教協議会の事務局長

- - - -

この文書は AICA 週報 No.2068(1996年8月7日)の付録として発表された。

Agencia Informativa Católica Argentina

SOURCE

[2]

official documentation: 司教協議会の事務局長からの書簡も「公式」のものではあろうけれど、ここではそういうことではなく、アルゼンチンの司教協議会が手による聖体拝領の特別許可を得た根拠となる典礼秘跡省が出した文書のことを言うのだと思います。

[3]

ライゼ司教様の御著書から。

典礼秘跡省

Prot. 854/96

アルゼンチン司教協議会

ブエノスアイレスの大司教であられ、アルゼンチン司教協議会の会長であられる Antonio Quarracino 枢機卿猊下からの4月29日付の御書簡中のリクエストに関して; 当典礼秘跡省は、当省に属する権限に於いて、アルゼンチン司教協議会総会の教書『聖体授与の方法』の規定及び教会法第455条第2項に従いつつ信者の手にも聖体を与える実践を導入するという決定を、ここに承認し、確認します。

全ての反対の意向にもかかわらず。

典礼秘跡省の庁舎にて
1996年5月9日

Antonio M. Card. Javierre, Prefect
Gerardo M. Angelo, Archbishop Secretary

この5月9日付の書簡が6月19日に届いたということのようです。この種のものは書いてから一ヶ月ぐらい寝かせるのでしょうか。

「全ての反対の意向にもかかわらず」:『メモリアーレ・ドミニ』の中に初めてこの文句を見た時ギョッとしたものですが、単なる決まり文句のようですね。

教会法

第455条 (1)司教協議会は、普遍法に規定する場合、又は聖座が自発的若しくは司教協議会の求めに応じて特別指令をもって定める場合に限り、一般決議事項を出すことができる。
 (2)前項所定の決議事項が全体会議において有効に成立するためには、議決権を有する司教協議会の構成員の少なくとも三分の二の賛成を要する。その決議事項は、使徒座の認可を得て、適法に公布されない限り拘束力を有しない。

[4]

De modo Sanctam Communionem ministrandi.
『メモリアーレ・ドミニ』のこと。

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