ライゼ司教様が指摘なさったポイントを整理してみましょう。
ホアン・ロドルフォ・ライゼ司教様
『メモリアーレ・ドミニ』の後、その新しい聖体拝領の方法の導入のための可能性を広げたどのような文書も聖座から出ていない。
当司教区にはこれまで乱用のどのようなケースも無かったのだから、手による聖体拝領の特別許可の適用を検討することさえ正当化できない。
現行の法令が『メモリアーレ・ドミニ』だけであるのに、あたかもそれが唯一の選択肢ででもあるかのように、そして教会によって勧められてさえいるかのように、皆が皆、手による聖体拝領を適用してしまっているこの事態は、どのように可能だったのか。
「どのように可能だったのか」と言うならば、「当時の典礼聖省のやんわりとした(すっとぼけた)共犯」によって可能だったのです。(「当時の」と言わなくてもいいかも知れませんが)
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そして、私達はこれを観察しました。
公文書を受け取っていなかったので、私はそれを特別にリクエストしました。
上の太字強調はライゼ司教様御自身によるものです。
第4版の序章ではもっと詳しく描かれます。
私は、自分が典礼秘跡省の布告文を受け取っていないことに驚きました。それで、AICA(司教たちの広報機関)にそれをリクエストしました。しかし、司教協議会の事務局長の書簡以上のものを得ることはできませんでした。
様々な公的機関に何度もリクエストした末、私は何とか──非公式の方法で──その布告文をファックスを通じて入手することができました。(…)
そして、それによって私は、その「司牧書簡」は(…)教書と分ちがたく結ばれていることに気づいたのです。
ライゼ司教様のこの御体験から、また “物の理” から言っても、私達は次のように十分に推察することができます。
(枠で囲みますが引用ではありません)
「手による聖体拝領」を導入した各司教協議会は、出来るなら、人々の目に『メモリアーレ・ドミニ』を触れさせたくない。
確かにこれが “物の道理” です。何故なら、そこにはこの文言があるのですから──「すでに導入された場所においては」。
日本の中央協議会は『各司教協議会宛の書簡』を翻訳出版しましたが、『メモリアーレ・ドミニ』についてはそうしていません。その『書簡』と『メモリアーレ・ドミニ』は「分ちがたく結ばれている」のにです。その翻訳出版された『書簡』の中で『メモリアーレ・ドミニ』は「一九六九年五月二十九日付の同封指針」として言及されているのにです。
『メモリアーレ・ドミニ』が「司教たち」に宛てられたものならば、確かに、司祭や信徒たちに公開する「義務」まではないのでしょう。しかしそれでも、若干(?)不自然な話です。
進んで公開しようとする気になる筈がありません。
そこにはその文言があるのですから。
どう説明するのですか。
いや、彼らには説明できるかも知れませんね。「書かれていない事は、排除されず、書かれたことにも例外の可能性があります」と(参照)。──これは「万能の説明」です。
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