2014.11.16

手による聖体拝領
各国は『メモリアーレ・ドミニ』の文言を踏み倒して進んだ Part 7

 デイヴィス氏の文章から離れて別の記事から。
 しかし、引き続きブランチェット司教様の一件について。
 Forbes氏が話していたバーナーディン大司教が登場します)

TLDM

a) 聖座は、手による聖体拝領がその国で既に確立され普及した慣習になっていることを証明することを要求していた

Bernardin

会議の議事案はバーナーディン大司教によって示された。そして彼は、管理委員会(Administrative Committee)が最初の会議で手による聖体拝領に疑問を呈したことに目をとめた。ムガヴェロ司教は議事案が承認されるべきことを提議した(興味深いことに、彼はベイサイドの御出現が無調査であることに責任のある人である)。ブランチェット司教と他の5人の司教はそれに反対し、手による聖体拝領に関する検討事項を次のように修正すべきことを書面で提議した。

I. 全米司教協議会が通常の方法〔舌による拝領〕からの特別免除を求めるべきかどうかを知るための投票を行なう前に、1969年5月29日に典礼聖省が発布した教書『聖体授与の方法(メモリアーレ・ドミニ)』が要求する通りに、反対の方法すなわち手による聖体拝領がこの国で既に普及しているかどうかについて司教たちが書面投票(a written vote)すべきである。

II. そして、議事案には、上記報告が肯定的なものであった場合に限り「手による聖体拝領」についての投票が行なわれる、という条件が付されるべきである。

管理人: 立派な動議です。そして、まともな(sane)動議です。これを潰しにかかった人達というのは余程まともでない(insane)のです。と云うか、“腹黒人” たちなのです。
(日本の神父様方、笑わないで下さい。ほんとですから。教会にはこのような現実があるのであります)

ブランチェット司教はまた、この修正案が書面投票にかけられるべきであることを提議した。5人の司教が動議を支持して後、議長はそれは行なわれるだろうと表明した。ブランチェット司教が集まった司教たちにはっきり分からせたかったのは、「教皇パウロ六世は、司教たちはまず最初に手による拝領がアメリカで既に “普及” した慣行になっているかどうか(そしてそれはそうなっていなかった)を確かめないでは、それに関する投票はできない、ということを特記なさったのだ」ということだった。(…)

 その会議はブランチェット司教様の動議を否決しませんた。では採択したのですか? 違います。そのどちらでもないようです。
 もしブランチェット司教様の動議(上の I と II)に対する賛否が問われていたなら、それには圧倒的に「理」がありますから、賛成票が多い結果になっていたかも知れません。そしてそうなれば、アメリカのカトリック界が『メモリアーレ・ドミニ』の打ち出した〈前提〉を満たしていないことが浮き彫りになります。その時、「理」が勝って、手による聖体拝領の許可申請は難しくなります。そこでバーナーディン大司教を中心とする改革主義者たちは、ブランチェット司教様の動議の出し方が議事上何らかの(私にはちょっと詳細が掴めませんが)「規則違反」だとして斥け、司教たちにそれに対する賛否の投票自体をさせなかったようです。(こういうのを、たぶん、「汚い」と言います)

 少し中略しましたが、続きです。

この時から偽装と不従順のゲームが始まった。

ブランチェット司教の動議は議事規則違反である、という主張がされたのである。挙手投票がなされ、その動議は議事規則違反である、と宣言された。この出来事を回想してブランチェット司教は次のように述べている。

ご存知のように、それ[その動議]は支持されていました。5人の司教様方によって書面で支持されていました。従って、書面投票は許されていたのです。そしてそれは、その経験豊かな議員によっても承認されていました。議長によって承認されていたのです。そしてそれは「それは議事規則違反である」とするたった一つのアピールから起きました。そして、それは発声投票 (voice vote) にはかけられませんでした。発声投票では不確定な答えが出るというので。それは挙手や起立によって投票されました。そしてそのようにして出た答えは、「出席していた司教たちの大部分は、議長はその修正案を有効であると判断するという過ちを犯した、と考えているようである」というものでした。あなたも聞いている通り、ジョン・クロル枢機卿様は、私達の国では実際のところ何が普及しているかを私達に明確に認識させたであろう動議を排除するために議会的技巧が使われた、と言っておられます。
National Catholic Register, “Bishop Blanchette: A Clear Call for Obedience,” June 12, 1977)

 また別の記事から。

New Liturgical Movement

バーナーディンのキャンペーン

では、手による聖体拝領はどのようにアメリカにやって来たのか?

Quinn

1975年に、そして再び1976年に、ジョセフ・バーナーディン大司教(米国カトリック司教協議会会長)は手による聖体拝領のために必要な三分の二の賛成票を得ることに失敗した。翌年、バーナーディンの会長としての任期満了の年、一つの最終的な試みがなされた。バーナーディンはクイン大司教(彼は米国カトリック司教協議会会長としてバーナーディンの直後の後継者となった)を手による聖体拝領のチーフ・ロビイストに任命した。手続きの進行中、或る一人の勇敢な司教が、司教たちについて調査するよう要請した。その調査とは「各司教に自身の教区で手による聖体拝領が広く行われているかどうかを尋ねる」というものだった。と云うのは、その時点でもしその実践が広く行なわれていなければ、特別許可のための第一の条件が満たされないからである。

* もちろん、手による聖体拝領がその時点でアメリカで確立された実践となっていなかったことは誰もが知っていた。

彼の要請は他の5人の司教によって書面で支持されたが、バーナーディンはその動議を「議事規則違反」として却下した。司教たちは投票した. . . しかし、またもや三分の二に届かなかった。しかし、事はそれでは終わらなかった。バーナーディンは(不法に)彼が見つけることのできるどの司教からも──今やどのような司教区にも関わっていない引退した司教たちを含め──「不在投票」を集め始めることを決心した。要するに、賛成票は三分の二に届くように工作されたのである。

 「クイン大司教」とは何処かで聞いたことのある名前だと思ったら、ムガヴェロ司教様についての同じページに出て来たのでした。参照
 (物事は “引き合う” ものであります)

 また別の記事から。

Aquinas Publishing Ltd.

(St. Catherine Review 1996年5-6月号より)

1976年、カトリックの反体制派グループ Call to Action(最近、ネブラスカで、Bruskewitz司教から非難された)が自身のアジェンダ〔遂行目標〕に「手による聖体拝領の促進」を加えた。他の公然たる反体制派グループの幾つかも既にひどく反抗的な “Do-It-Yourself 典礼” を実践しており、またそれを活発に広めていた。しかし、それらの反抗的グループ以外には、手による聖体拝領の実践は珍しいものだった。実際、少数の自称「進歩的」な教区のみが、その実践を反抗的に導入していた。そして、その実践の押し付けは反体制の聖職者と教区の盲従的指導者たちからのみ来ていたのである。

アメリカに於いては「手による聖体拝領」が “普及した実践” だなどとはとても考えられなかったに拘わらず、当時全米カトリック司教協議会の会長であったシンシナティのジョセフ・バーナーディン大司教(現在はシカゴの枢機卿)は、1975年とその翌年には失敗に終わったが、「手による聖体拝領」の導入の試みを始めた。「信者の敬虔な感情の自然な表現として手による聖体拝領は全世界的に一般的(universally popular)なものになった」と言いながら。

1977年、バーナーディン大司教の全米カトリック司教協議会の会長としての最後の年のその春、「手による聖体拝領」のためのチーフ・ロビイストに指名されていたサンフランシスコのクイン大司教も参加した会議で、司教たちの投票はまたしても必要な三分の二に届かなかった。それにも拘わらず、これまでにないことだったが、会議が終わってから、欠席していた司教たちに手紙で賛否が問われた。その後すぐに、必要な投票数が実現した。そして「議案は可決された」と宣言された。その後間もなく、「手による聖体拝領」は全米に速やかに広まった。そしてその二、三年後、その新しい実践はアメリカのあらゆる教区で規範的なものになった。

クイン大司教の著書 参照

教皇政治まで「改革」してしまおうとする “意気込み”

 会議を欠席していた司教たちに会議が終わった後に手紙で賛否を問うという方法が規則違反かどうかは私は知りません。しかし、いわゆる「目の付け所」はそんなところにあるべきではないと思います。私達はただ単純にこう問うべきだと思います──「やけに熱心じゃありませんか?」

 なぜ彼らはそのように、いわば「岩のように頑張る」ことをしたのだと思いますか?(ライゼ司教様も「執拗で不屈な」と言ってましたよね)

 アメリカに於いて当時「跪いて舌で受ける御聖体拝領」は長らく続けられて来た慣行として十分に安定的なものだったのではないですか? そもそもその新しいやり方を導入する「必要」がありましたか? そして『メモリアーレ・ドミニ』の文言「すでに導入された場所においては」もありました。それなのに何故、そんなに頑張ったのですか?

 あなたが「人間」というものについてまんざら知らなくもないならば、その疑問に対する答えはそう難しいものではない筈です。
 それは、彼らにとって「手による聖体拝領」の導入は、どうしても達成しなければならない、無理押しに押してでも通過させなければならない、一つの固い <遂行課題> だったからです。

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