2014.11.25

その頃、カトリックとフリーメイソンの会合

 私は、以下の事を、「これまでの話と直接の関係はない」と言おうと思う。しかし、且つ、「どこかで関連する」とも言いたいと思う。

 一つの年表を作ってみよう。

① 1962年3月

イルミナティの極秘指令」 発効

「聖体拝領のときに、跪きを止めさせよ」
「聖体を手で受けさせよ」

② 1962年10月
   ~1965年12月

第二バチカン公会議

③ 1969年4月11日

カトリックとフリーメイソンの会合
(於: イタリアのアリッチャ)

④ 1969年5月29日

教書『メモリアーレ・ドミニ』発布。

以降、「手による聖体拝領」 が爆発的に世界に広がる。

 人は ① を見て「また陰謀論か」と、「未確認情報だろう」と言うかも知れない。しかし、私はここで ③ を紹介する。

 まずは、故ルイジ・ヴィラ神父様の Chiesa viva 373号から。

1969年、アリッチャに於けるカトリックとフリーメイソンの会合。左から、アスカレッリ、ミアーノ神父、エスポージト神父、ガンベリーニ、カプリーレ神父、コンバ。

Un incontro cattolico-massonico ad Ariccia (1969). Da sinistra: Ascarelli, p. Miano, p. Esposito, Gamberini, p. Caprile, Comba.

Chiesa viva n° 373 (PDF)  p. 5

 ガンベリーニというのは、当時のイタリアのグランド・オリエント・フリーメイソンのグランド・マスターである。顔貌

 また、上の写真に収まっているエスポージト神父という人は、のちに、自分はフリーメイソンであると告白することになる。

ロザリオ・フランチェスコ・エスポージト

Rosario Francesco Esposito

ロザリオ・フランチェスコ・エスポージト(1921年9月25日 – 2007年11月23日)はイタリアの聖パウロ修道会(Pauline)の司祭だった。彼は、自分はフリーメイソンに加入していると発表し、悪評を得た。彼は、フリーメイソン加入への教会の禁止令を退け、それは「過去の事」だと言った。Wikipedia

ローマのジェズ広場にあるフリーメイソンの本部で、およそ40人が参加したセレモニーの中でそのグループに加入した。
Catholic Culture - 2007年2月19日の記事)

 一人のカトリック・ライターを紹介しよう。

サンドロ・マジステル Sandro Magister

ジャーナリスト

サンドロ・マジステルは1943年にブスト・アルシーツィオ〔Busto Arsizio、イタリア〕に生まれた。ミラノ大学で神学、哲学、歴史学を学んだ。1967年、神学修士号を取得。1974年以来、ジャーナリスト、及び L'espresso の通信員として、宗教分野、特にカトリック教会とバチカンを専門とする。イタリアの教会に於ける政治史についての本を二冊上梓。

SOURCE

 彼は、1960年代、70年代のことを「カトリックとフリーメイソンの対話の黄金期」と呼んでいる。以下、彼のブログの記事から。

Giordano Gamberini

Roberto Ascarelli

Vincenzo Miano

Rosario Esposito

それらの会合は少しばかりカルボナリ風であった。半ば公式的なそれらの会合の第一回目は、1969年4月11日、アリッチャの「師イエズス修道院」で持たれたが、そこでは、一方の側には、グランド・マスターのジョルダーノ・ガンベリーニ、その副官ロベルト・アスカレッリ、そして歴史家アウグスト・コンバが坐し、他方の側には、サレジオ会士でありバチカン「非キリスト者のための事務局」次長であるヴィンチェンツォ・ミアーノ、聖パウロ修道会のロザリオ・エスポージト、そしてイエズス会の「カトリック文明」のジョヴァンニ・カプリーレが坐した。

Lo stile degli incontri era un po' carbonaro. Al primo di quelli semiufficiali, l'11 aprile 1969, ad Ariccia nel convento del Divin Maestro, sedevano da una parte il gran maestro Gamberini, il suo aggiunto Roberto Ascarelli e lo storico Augusto Comba. E dall'altra il salesiano Vincenzo Miano, vicecapo del segretariato vaticano per i non credenti, il paolino Rosario Esposito e il gesuita della "Civiltà Cattolica" Giovanni Caprile.

カトリック側の三人のうちの唯一の生き残りであるエスポージト神父は今日こう語っている。「晩餐のテーブルの上座にはガンベリーニが坐った。彼は主の祈りを歌った。そして、全員が立ったままの中、彼はパンを取り、それを裂き、『メイソンはイエズス会と共にパンを裂く』と言いながら、カプリーレ神父にそれを与えた。私達は全員、その同じ儀式を互いに交わし合い、喜ばしき兄弟愛を分かち合った」

Racconta oggi padre Esposito, l'unico di questi tre ancora in vita: «Per la cena a capotavola c'era il Gamberini, che intonò il Padre nostro, poi, stando tutti ancora in piedi, prese un pane, lo spezzò e lo offrì al padre Caprile dicendo: "Il massone spezza il pane col gesuita". Tutti ci scambiammo il medesimo rito, condividendo una gioiosa fraternità».

(machine translation)  Father Esposito, the only one still alive of the three, says today: “For dinner at the head of the table there was Gamberini, who sang the Lord's prayer, then, all still standing, he took bread, and broke it, and offered it to Father Caprile saying: 'Mason breaks bread with the Jesuit.' We all exchanged the same rite, sharing a joyful brotherhood.”

SOURCE

 詳細は別として、その日アリッチャでそのような会合が持たれたことは、イタリアのグランド・オリエントのサイトも認めている。参照1, 参照2

 マジステル氏の記事の中には次のような名前も並んでいる。

Alfrink

Maurice Feltin

François Marty

フリーメイソンの公的リーダーたちと枢機卿の重要人物たち──アメリカのリチャード・クッシング、テレンス・クック、ジョン・コーディ、そしてジョン・ジョセフ・クロール、オーストリアのフランツ・ケーニッヒ、オランダのベルナルド・アルフリンク、フランスのモーリス・フェルタン、フランソワ・マルティ、そしてロージェ・エチェガレイ(…)など、要するに、改革派グループのほとんど全ての首長たち──との間でハンドシェイクが始まっていた。イタリアでは、アリッチャに続く会合に、ダンテ・ベルニーニ(アルバーノ)とアルベルト・アブロンディ(リヴォルノ)が参加した。

E poi erano cominciate le strette di mano pubbliche tra capi della massoneria e cardinaloni di peso: gli americani Richard Cushing, Terence Cooke, John Cody e John Joseph Krol, l'austriaco Franz König, l'olandese Bernard Alfrink, i francesi Maurice Feltin, Francois Marty e Roger Etchegaray, il cileno Raúl Silva Henriquez, i brasiliani Aloisio Lorscheider e Paulo Evaristo Arns, insomma quasi tutti i capifila dell'ala progressista conciliare. In Italia, agli incontri successivi a quello di Ariccia parteciparono i vescovi Dante Bernini, di Albano, e Alberto Ablondi, di Livorno.

SOURCE

 アルフリンクについては既に見たのである。参照

 ここに新たに見るのは「フランスのモーリス・フェルタン、フランソワ・マルティ」の両名である。この二人は『メモリアーレ・ドミニ』が発布された頃のフランス司教協議会の議長(président、会長)である。(どちらもパリの大司教になった)

モーリス・フェルタン Maurice Feltin

議長在任期間: 1964〜1969

Wikipedia  Catholic-Hierarchy

フランソワ・マルティ François Marty

議長在任期間: 1969〜1975

Wikipedia  Catholic-Hierarchy

Bishops' Conference of France

 ちょうど1969年に交代していて微妙なところだが、枢機卿に関するデータベース的な英字サイトに次のような記述がある。

(63) 9. MARTY, François
(1904-1994)

Vice-president of the Episcopal Conference of France, May 31, 1966 to May 26, 1969; president, May 26, 1969 to October 24, 1975.

フランス司教協議会副議長: 1966年5月31日〜1969年5月26日。同議長: 1969年5月26日〜1975年10月24日。

The Cardinals of the Holy Roman Church

 だから、この記事が正確ならば、「1969年6月6日付のフランス司教協議会議長宛の書簡」を受け取ったのはマルティの方である。

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