2014.12.04

無知蒙昧の徒

『日本におけるミサ中の聖体拝領の方法に関する指針』
中央協議会お知らせ  > 本文ダウンロード (PDF)

 日本カトリック司教協議会が発行したものです。
 既に先月(2014年11月30日)発効しています。

 この指針が間もなく正式発表されるであろうと幾つかの教会のサイトが予告し始めた頃、或る人が「日本の教会が御聖体拝領の際の『立つこと』の原則化を強めそうだ」と心配し、私にメールをくれました。私は次のように返信しました。

 しかし、司教協議会は原理的には今迄と違った事は打ち出せない筈です。今迄だって、御聖体拝領の際に信者が「立っていること」は、日本の教会に於いては「原則」だったのです*。彼らはこの「原則」の「再度の確認」ができるだけでしょう。
 しかし、そのようなものは一つの「強調」であり、確かに信者にとっては「圧迫」になるでしょう。

*『総則』160番に付された「日本における適応」によって。

 で、さっそくそのような「促し」が始まったようです。
 (某掲示板から引用)

2014/11/30(日)
今日のイグナチオではミサ前に原則として立って聖体拝領を、とのアナウンスがありましたが、何人かの方は跪き、神父様はご聖体を授けていました。ご聖体を受けた人がご聖体を拝領するかどうかをチェックしている係りの人が、跪いてご聖体拝領した方が立ち上がって席に戻るとき、両手を下から上に上げて立ってご聖体拝領するように促していましたが、(…)

 (本日の表題に関係します)

 中央協議会が私達に見せている「指針」(上記PDF)の中には二つの文書が含まれています。
 一つは『指針』そのものです。そしてもう一つは、『指針』に添付された形になっている「『日本におけるミサ中の聖体拝領の方法に関する指針』について」と題された文書です。
 前者は典礼秘跡省に承認されたということです。しかし後者は、おそらく日本の信者向けのものでしょう。

 その二つの内容は、そんなに大きく隔たっているわけではありません。しかし、若干のニュアンスの違いが、私の犬的な鼻によって嗅がれました。
 それは御聖体拝領時の拝領者の身体姿勢に関してです。二つの文書の文章を比較してみましょう。

A. 日本におけるミサ中の聖体拝領の方法に関する指針

拝領のときの姿勢について
3 拝領者の姿勢については、信者は司教協議会の決定に従って、ひざまずくか立って拝領する 2) と定められている。これに基づき、日本においては、ミサが行われる場所の事情、ならびに拝領者が特別な理由により立つことができない場合を除いて、原則として立って拝領することとする。これは、一同が同じ姿勢で拝領することによって、ミサに集まった会衆の一致をしるしとして表す 3) とともに、拝領のための行列が円滑に流れるようにするためである。しかしながら、ひざまずいて聖体を受けることを望む信者に対して、そのことだけを理由に聖体授与を拒むことはできない 4) 。

2)

「ローマ・ミサ典礼書の総則」 160 参照。

3)

同42 参照。

4)

教皇庁典礼秘跡省指針『あがないの秘跡(2004年3月25日)』91(Redemptionis Sacramentum)参照。

B. 「指針」 について

拝領のときの姿勢
 日本ではミサの中では原則として立って拝領することとします 3) 。一同が同じ姿勢で拝領することによって、会衆の一致をしるしとして表すことができるからです。また、拝領の行列が円滑に流れることにもなります。ただし、ミサを行う場所(和室・病院・屋外など)や拝領者の健康状態など、特別な事情から立って拝領することができない場合は除きます。

3)

本指針3 参照。

 一見、繰り返す必要のないような、ほとんど同じ内容です。
 しかし、日本の司教様方は、或いは司教協議会の典礼委員会は、似たような内容でも、もう一度書く必要を感じたのでしょう。
 と云うのは、その二つは若干違うからです。

 一番の違いは、Aには『あがないの秘跡』の言葉「しかしながら、ひざまずいて聖体を受けることを望む信者に対して、そのことだけを理由に聖体授与を拒むことはできない」があるが、Bにはないということです。

 そして、「立って拝領すること」という日本の教会の「原則」を適用しない場合、つまり「例外」の場合に関して、Aには「特別な理由」という言葉があり、Bには「特別な事情」という言葉があります。
 Bの表現の方が、「ミサを行う場所(和室・病院・屋外など)や拝領者の健康状態など」と、〈具体性〉に富んでいます。そして、このような場合の〈具体性〉は、いわば「統制の繩」でしょう。

 即ち、私はBの言い方に、次のようなニュアンスを嗅ぎます。

その「特別な事情」の中に、「主に対するより深い崇敬の表現として跪きたい」というような理由はカウントされませんよ。

 日本の神父様方は、一体いつになったら、近年に於ける「跪いて受ける御聖体拝領」から「立って受ける聖体拝領」への変化の、そして「舌で受ける御聖体拝領」から「手で受ける聖体拝領」への変化の──この二つのセットは本当はワンセットです──裏には何があったかを知るのでしょうか。

 その裏には「御聖体の内なるキリストのまことの現存に対する信仰を蝕むことに照準を合わせている」勢力、「フリーメイソンの連合」があっただけです。

 あなた方が理由の一つとして判で押したようにいつも言う「同じ姿勢は一致のしるし」ということの恐ろしいほどの「浅薄性」は、それらの勢力にとってはまことに好都合なものです。

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