2014.12.08

『メモリアーレ・ドミニ』自体がインチキな文脈を持つ
Part 1

 少し前、「手による聖体拝領: 各国は『メモリアーレ・ドミニ』の文言を踏み倒して進んだ」と題した一連の記事を書きました。しかし、既に少なくない人達が気づいているように、『メモリアーレ・ドミニ』自体も全体としてインチキな文脈を持つのであります。

 以下に、EWTNにある英訳からの『メモリアーレ・ドミニ』の試訳を掲げます。原文のラテン語をほとんど参照せず、英訳だけに頼ったような翻訳には問題があるでしょう。そしてそもそも、私の貧弱な英語力が問題です。しかしそれでも、ラテン語から訳したと思われるフマネ・ヴィテ研究所の訳も参考にさせてもらいましたから、そんなに大きくは外れていないのではないかと思います。(しかし、後でチョコチョコ修正するかも知れません)

典礼聖省

i

以下に続く指針は、更に周到で注意深い検討に付されるべく各司教協議会に送られるが、聖座の判断と基本的な立場を明示するために発表される。[訳注1]

指針

聖体授与の方法

De modo Sanctam Communionem ministrandi

1 教会は、主の記念(Memoriale Domini)を祝う時、正にその儀式そのものによって、キリストに対する信仰と崇拝とを──主がその犠牲の内に現存され、聖なる食卓に与る者たちに食物として与えられることを──確認する。

2 それ故、感謝の祭儀が最大の尊厳と有益性をもって祝われ分かち合われることは、教会にとって極めて重要な関心事である。教会は、これまで発展しながら我々の時代まで続いて来た伝統を──教会の慣行と教会の生活の中に入り込んでいるその富を──無傷に保存する。歴史の記録を繙けば、感謝の祭儀と聖体拝領は様々な形態で執り行われて来たことが分かる。現代に於いても、感謝の祭儀の典礼は、多くの重要な仕方で変更されて来た。それは、現代人の霊的・心理的必要に一層よく応じるためであった。更に、秘跡への一般信徒の参加を定める規定に於いて一つの変更がなされた。すなわち両形態(パンとぶどう酒)の聖体拝領の再導入である。それはかつてはラテン教会では通常のものであったが、その後次第に廃れたものである。その廃れた状態はトレント公会議の頃には常態になっていた。トレント公会議は、当時の状況に鑑みて、教義的教えをもってそれを禁止したのである。1

3 それらの変更により、感謝の会食とキリストの委託の忠実な実行は、よりはっきりとした、より生き生きとした印となった。しかし同時に、ここ数年、聖体の秘跡を通じての感謝の祭儀へのより完全な分かち合いという観点から、あちこちに、拝領者の手に聖体を与えるという、信者自身が自分の手でそれを口に運ぶという、古代の方法へ帰りたいという望みが起こった。

4 実際、若干の共同体、また若干の場所では、この方法が聖座の事前の承認なしに、また時には、ふさわしい準備を信者にさせようともせずに、導入された。

5 古代の方式というものが、信者自らが自らの手の中にこの聖なる食物を取り、口に運ぶことを許すものであったことは、もちろん事実である。また、ミサの生贄が捧げられた場所からそれを持ち帰ることを許すものであったことも、事実である。それは主として、彼らの信仰の故に死に直面した時に、最後の聖体として用いるためであった。

6 しかしながら、教会の規定と教父たちの言葉は、この聖なる秘跡に対して最大の尊敬が捧げられていたことを、また人々が最大の慎重さをもって行動していたことを、極めて明白に証言している。例えば、「先ずそれを礼拝してでなければ誰もその肉〔聖体〕を食してはならない」2 。また、その拝領につき、次のようにも警告されている。「…それを受けよ。そのどのような部分も失わないよう気をつけよ」3 、「なぜなら、それはキリストの御体だからである」4 。

7 更に、キリストの御体と御血の管理と取り扱いは、司祭、あるいはその目的のために特別に任命された者に託された。「司祭が祈りを朗唱し、全ての人が讃美の声を上げる時、我らが助祭と呼ぶ人達が参加者全員に感謝の的であるパンとぶどう酒を与える。そして彼らはそれを欠席者たちに届ける」5 。

8 しかし間もなく、欠席者に聖体を届ける仕事は司祭だけのものになった。それは、秘跡に対する尊敬をより一層確実にするため、また、信者の必要によりよく応えるためであった。のちに、聖体の神秘への──その有効性への、その内にキリストが現存されることへの──理解が深まるにつれて、この秘跡に対する一層大きな尊敬が生まれ、その拝領のためには深い謙遜が要求されるべきと考えられるようになった。このようにして、聖職者が聖体を拝領者の舌の上に置くという慣行が確立されたのである。

9 世界の教会の現状を考慮すれば、聖体拝領のこの方式は保たれねばならない。単にその方式が長い歴史を持つからと云うばかりでなく、特にそれが聖体に対する信者の尊敬を表わしているからである。その慣行は、この偉大な秘跡に近づく人の尊厳をどのようにも傷つけないし、主の御体の拝領を最も実り多いものにするための必要な準備の一部ともなっている。6

10 この崇敬は、聖体拝領が「通常のパンと通常のぶどう酒」7 を分かち合うことではなく、主の御体と御血を分かち合うことであることを表わしている。それを通して神の民が過越の犠牲の効果に与ることを、また、かつて神が一度切り全ての人々のためにキリストの御血によって人間との間に結んだ新契約を再現することを、また、それが御父の御国での終末的会食の象りであることを、この崇敬がよく表わしているのである。8

11 更にまた、既に伝統的と看做されるべきこの方式は、聖体が適切な尊敬・礼儀・尊厳を以って配布されることを一層効果的に確かにする。この方式は、その内に「キリスト、神であり人である御方が、全的・完全に、実体的・永続的に居られる」9 聖体に対する冒涜の危険を取り除く。結局、この方式は、聖体の小片に至るまで配慮すべしという教会の常なる教えが不変に継続されるためのものであった。「あなたが聖体の一片を落とした時には、あたかもあなたの肢体の一部が欠けるようなものだと見なしなさい」10 。

12 それ故、少数の司教協議会と若干の司教が聖体を信者の手に授けることが彼らの管轄区で許されることを願った時、教皇は、ラテン教会の全ての司教たちにこの方式の導入が時宜に適っていると考えるかどうかを問うべきであると判断した。最も古くて尊敬に値する伝統と結び付いたこれほど重大な事柄に於ける変更は、単に規律に影響を及ぼすだけでなく、聖体授与のこの新方式から多くの危険が生じ得る。すなわち、祭壇の尊い秘跡に対する尊敬の低下の危険、冒涜の危険、そして教義の変質の危険などである。

13 このようなわけで、三つの質問が司教たちに問われた。そして、1969年3月12日までの彼らの回答は、以下のようなものであった。

1. 

伝統的な方法に加えて、手に受ける拝領方式も認められるべきであるという望みが考慮に入れられるべきと思いますか?

賛 成:

567

反 対:

1,233

条件付き賛成:

315

無効票:

20

2. 

この新方式が、司教の同意のもと、まず小さな共同体で試されることを希望しますか?

賛 成:

751

条件付き賛成:

1,215

無効票:

70

3. 

十分な準備教育を受けた後で、信者はこの新しい方式を快く受け入れると思いますか?

賛 成:

835

反 対:

1,185

無効票:

128

14 従って、これらの回答は、大多数の司教が現在の規則が変えられるべきでないと考えていること、そして、もしそれが変えられるならば、彼ら自身と多くの信徒の宗教的な感受性と文化が傷つけられるであろうと考えていることを示している。

15 従って、諸教会を「治めさせるべく聖霊が置いた」この人々〔司教たち〕11 の意見と忠言を考慮に入れ、問題の重大さと主張された論拠の力強さに鑑みた上で、教皇は、信者への聖体授与の既存の方法を変えるべきでないと判断した。

16 従って聖座は、司教・司祭・信徒たちに対して、ここにはっきりと、現在も有効であり、またここに再び確認された法を重んじ従うよう、熱心に勧める。聖座はそれらの人々に対して、現行の典礼方式について、また教会の共通の利益について、カトリック司教の大部分がした判断を考慮に入れるよう、ここに熱心に勧める。

17 反対の方法、すなわち手に聖体を置く方法が既に普及してしまっている場所に関しては、聖座は、今日その任務を果たすことが実際しばしば困難となっている司教団を助けたいとの望みから、それらの場所に特別な事情があるかどうかを注意深く判断する任務を、聖体の秘跡に関する不敬や偽りの教えを注意深く除去する任務を、そして発生し得る他のどのような悪影響をも除去する任務を、それらの司教団に託す。

18 そのようなケースに於いては、各司教協議会は、事柄を注意深く検討すべきである。そして、どのような決定を下すのであろうと、そのためには秘密投票による三分の二以上の賛成票が必要とされる。12 それらの決定は、彼らが何故そのような決定に至ったかを詳細に説明した文書と共に、ローマに送られねばならない。聖座は、それらの一つ一つのケースについて、注意深く検討するであろう。地方教会同士の連繋、また地方教会と普遍教会の連繋を考慮に入れつつ、共通の利益と全ての人の啓発のために、そして互いの善き模範が信仰と信心とを増すことを期待しつつ、検討するであろう。

19 この指針は、教皇の特別な委任によって編纂され、教皇の使徒的権威により、1969年5月28日に承認された。教皇は、司教たちは各司教協議会の会長を通じてこの事を伝えられるべし、と命じられた。

如何なる反対もこれを妨げない。

ローマにて 1969年5月29日

枢機卿ベンノ・グート 長官

アンニバーレ・ブニーニ 秘書

脚注

 1 

トレント公会議、第21総会、両形色による聖体拝領についての教義。Denz. 1726-1727.

〔管理人: 聖ピオ十世会訳で読むことができる。参照

 2 

聖アウグスティヌス『詩篇注解』98, 9.

 3 

エルサレムの聖キリロ『秘義教話』V, 21.

 4 

聖ヒッポリュトス『使徒伝承』n. 37.

 5 

聖ユスティヌス『第一弁明』65.

 6 

聖アウグスティヌス『詩篇注解』98, 9.

 7 

聖ユスティヌス『第一弁明』66.

 8 

礼部聖省『聖体祭儀指針 Instructio Eucharisticum Mysterium』(1967年)n. 3.

 9 

同上  n. 9.

10

エルサレムの聖キリロ『秘義教話』V, 21.

11

使徒行録  20章28節

12

第二バチカン公会議『教会における司教の司牧役務に関する教令』n. 38, par. 4.

訳 注

[1]

この初めの説明は、EWTNの英訳にはないけれども、使徒座公報に収められたラテン語原文の『メモリアーレ・ドミニ』にあるものです。参照: AAS 61 (1969) PDF  p. 541

引用しておけば. . .

Instructio, quae sequitur, ad Conferentias Episcopales transmissa, ut eam profundiore et attento examine perpenderent, publici iuris fit, quo evidentius omnibus pateat fundamentum et adiuncta quibus nititur ratio agendi Apostolicae Sedis.

ラテン語原文はKathpediaにもあります。

ライゼ司教様の本では英訳されています。

[A preliminary explanation]
The instruction that follows, transmitted to the Episcopal Conferences to be further analyzed by them in a more thorough and attentive examination, is published so that the reasons and circumstances on which the Holy See bases itself will be clear in a more evident manner.

次へ
日記の目次へ
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ
inserted by FC2 system