2015.01.10

日本司教団は《司祭や信徒の意見を求めずに》
聖体を手に授ける許可を申請した

古屋義之司教様

 古屋司教様時代の京都司教区は、もちろん第二バチカン公会議を疑ってはいなかっただろうけれど、まだ多くの立派な部分を残していたようです。

 ところで、昭和48年(1973年)3月4日発行『京都教区時報』第42号の「質問にこたえて ─読者からの声─ 」のコーナーには次のような言葉があります。

日本司教団は、司祭や信徒の意見を求めずに、聖体を手に授ける許可を申請した

 教区報の言葉です。普通ではありません。
 下にその記事を転載させてもらいますが、典礼問題の詳細に踏み込んだこの内容は、書いた人が司祭以上の人であること(平信徒ではないこと)を意味していると思います。私は、それは古谷司教様ではないかと思います。何故なら、『京都教区時報』の他の号を見る時、彼が “勇気ある人”(ヒルデブラント氏が嘆いたのとは反対の)だったことが分かるからです。古屋司教様は日本司教団(彼自身、その一員ではあったわけですが)のやり方に反感を持っていたのではないでしょうか。(そして、おそらく里脇枢機卿様も)

口で? 手で?

=聖体拝領の形態について=

〔質問〕前号で、司祭・修道者の服装について解説していただきました。服装は教会の内外ともに意味をもちますので、有益でした。公会議後、改められた点については教会の指導に従う者ですが、時として「混乱」が生じることも事実です。今日は、教会内の基本的なこととして聖体拝領についてお尋ねしたいと思います。

 二年余前、カトリック新聞にも写真入りでその解説がありましたが、私自身、その日のミサの聖体拝領の列の前後の方々の仕方に合わせてしまうこともあります。聞くところによると、手での拝領を強くすすめる小教区もあるそうです。また、両形態での拝領にもあずかり、その仕方もかなり「自由」だとも聞きます。以上、京都教区の方針を解説下さればと思います。(「自由」がその範囲に止まらず、かえって自由の本質と反対の方向に進むこともまた事実と思いますので。)

男性(教員・38才)
〔河原町教会所属〕

〔答〕昭和四四年五月二九日、バチカン典礼聖省が全世界の司教に実施した「聖体を手に授ける」ことについてのアンケートの結果が発表された。その質問と結果は次の通りである。

 一、従来の聖体の授け方の他に、手に授けてもよいと思うか。賛成五六七、反対一、二二三、その他三三五

 二、「手に聖体を授ける」ことを、司教の許可を得て小共同体で実験してみてもよいと思うか。賛成七五一、反対一、二一五、その他七〇

 三、適当な準備の後、この方法を実施すると、信徒は喜んで受けいれると思うか。賛成八三五、反対一、一八五その他一二八。

 この結果に基づいて「聖体を手に授ける」ことが原則として認められないことになった。ただもしどこかで特別な事情があれば、その時、例外的に許可することもあり得るということになった。

 所で、日本司教団は、この例外を認める末文に重きをおいて、司祭や信徒の意見を求めずに、日本の風土に合うという理由で、「聖体を手に授ける」許可を申請した。

 これに対し、典礼聖省は許可を与えたが、それは次のような条件のもとにである。

 その第一条件は従来のやり方が守られること、そして信徒に「聖体拝領の新しい方法は従来の慣習を排除してしまうようなしかたで、おしつけられてはならない。」(カトリック新聞四五年十月十一日号)  従って信徒は、初代教会から伝わっている伝統的な拝領の仕方、即ち口で聖体を受ける権利を持っており、もし司祭が言葉又は雰囲気でもってその権利を奪うことがあれば、信徒は、自分と他の信徒の自由を守るために、反対する義務がある。管理人注1

 「手に聖体を授ける」ことが日本の風土や慣習に合うかどうかについては賛否の意見が分かれたままであるが、カトリック新聞の信徒の「声」に、お茶の湯の時お菓子をいただくのにも懐紙を使うのに、直接御聖体をさわっては失礼で、日本人の感覚にあわない、と書いてあったことがある。

 両形態の聖体拝領については、昭和四四年「ミサ典礼書の総則」二四二番にあるように、幾つかの場合には許されている。その内信徒に関係があるのは次の場合である。

 一、成人の新信者はその洗礼に続くミサにおいて、成人の受堅者はその堅信のミサにおいて、洗礼を受けている人が教会の交わりに受け入れられるとき。

 二、新郎新婦はその結婚のミサにおいて。

 六、病人の家で法規に基づいてミサが執行されて臨終の拝領が行われる場合、居合わせるすべての人。

 十、精神錬成会に参加しているすべての人は、共同で執行されるミサにおいて。

 十二、成人受洗者の代父母、親、配偶者、信徒カテキスタは入信式のミサにおいて。

 十三、新司祭のミサに参加する親、親類、特別な恩人。

 昭和四五年、日本の司教団は典礼聖省から、右記以外の機会にも、各教区の司教の判断により、司祭が両形態を授けることができるという認可を得た。京都教区では、(ミサ総則二四二番以外)司教に認可を申しでて認可された場合にしか許されないことになっており、現時点までに、司教は一度も認可を与えたことがない。

 又、両形態の聖体拝領の儀式は「ミサ典礼書の総則」二四三〜二五二番に定められている規定に従わなければならない。そこには、両形態で授けられる場合でも、パンだけで拝領したい人の自由を守るよう強調されている。また、ホスチアを御血に浸しての拝領の儀式では、浸すのは司祭であって信者には許されていないことも規定されている。管理人注2

 最後に、あなたの手紙では触れておられないのですが、これに関連して、もう一つ混乱している件について述べておきます。

 家庭ミサについてですが、家庭ミサが許されているのは巡回教会になっている家庭においてだけで、それ以外の場合には司教の許可が必要である。

PDF

当時の典礼委員会長
長江恵[さとし]司教

参考1  参考2  参考3

 当時は「教会は民主的に開かれつつある」と謳われ始めた時代だった筈です。「信徒の積極参加」が、「信徒の重要性」が、叫ばれ始めた時代だった筈です。ところが彼らは、自分たちがどうしても譲りたくないと思った事については、信徒たちの意見はおろか司祭たちの意見さえ聞くことなく、またそれ以前に、知らせることさえせず(そうすること、そうしようとしていることを)、自分たちだけでサッサと事を運んでしまったということでしょうか。

 私は「教会は民主的であるべきだ」と思う人間ではありません参考。しかし、もし本当にそのように行なわれたものであったならば、「彼ら自身として矛盾である。いい加減である。彼らに “中央集権” を嫌う資格があるのか。偽善的である。面の皮が厚いことである。それとも御自分の姿が見えないのか」等と思う者であります。

[管理人注1]  このような箇所を読むと、保守的な信者はまたもや「聖座は私達を適切に保護している」と思うかも知れません。しかし、それは違います。何故なら、聖座が或る国に「聖体を手で受けること」を基準とすることを認めてしまうと、その国の教会では以降、新入信者に、信仰教育(カテケーシス)の中で、もはや「御聖体を跪いて受ける方法」を “教えない” からです。この “教えない” ということは、「第五列」の目から見ても満足のいくものです。

画像: 

初聖体の子供たちの手に御聖体を与える司祭
次回の記事に関係する)

[管理人注2]  古屋司教様がこの時(1973年)見ておられた『総則』は、現在の私達が見ている『総則』とは違います。現在の『総則』(PDF) は、2000年に改訂・公布された『ローマ・ミサ典礼書』規範版第3版に伴うものです。

* * *

その時代は教会で
「ゴリ押し」と「秘密裡」
が流行った時代だった

 「ゴリ押し」と「秘密裡」とは、あまりに「教会」のイメージから遠くて、思わず笑いが来るほどですが(笑ってはいけませんが)、実際そうだったのです。ヒルデブラント氏は「病気」「伝染病」という言葉を出していましたが、上で見たようなこともまた伝染病、教会の中にはびこった “暗い霊” であります。(ご本人たちは至って明るいが)

興味深いことに「メモリアーレ・ドミニ」が出版されなかった国もあり〔管理人注: 日本がそうです〕、そこの信徒たちは教皇の希望については知る由もありませんでした。(…)

〔その〕神父は、この譲歩が一九六九年五月までに乱用が確立されてしまっていた国にのみ適用されることを、一般信徒が知る必要はないと判断しました。さらに彼は教皇が司教、司祭、信徒たちに古来の習慣を守るよう強く勧めていたこと、この改革が導入する可能性がある危険について警告していたことを信徒に知らせることは賢明ではないと判断していました。

マイケル・デイヴィス 「手で受ける聖体拝領」

 日本でもまさにそうだったのです。だからマリ-ジャック神父様は浜尾司教様に次のように “感謝” したのです。

浜尾司教様が、わたしに、日本の資料をお示し下さったことに感謝しております。

舌の上に受ける御聖体拝領の弁護

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