2015.07.15

【噂ではなく事実】
本田哲郎神父は未信者にも御聖体を与えている
1. 本人の明言

※ これからの一連の記事は、基本的に、私が前記のNHKの放送のことを知る前に書いていたものです。書いている時にそのような放送があると知ったものですから、私は「!」と思ったものです。

いつかも言いましたが、私という人間は「物事をはっきりさせたい症候群」です。私は、責任ある立場にある神父様方が、本田哲郎神父について、彼が何をしているかについて、「噂ではそんなことを聞いたこともあるが、よく知らない」と言うのを好みません。*

* この「よく知らない」というのには二種類あります。一つはただ単純に知らないということです。これは、まぁ仕方ありません。しかしもう一つあります。それは「それを真に "確かめて" しまうと自分の立場として少々難儀なことになるので、あえて "確かめ" ないでおこう。触れないでおこう」という姿勢の結果としての「よく知らない」です。意図的・選択的な無知。一種の誤魔化し。人間心理。

それで、今後書く記事のためにも、次のものを掲げておきます。

『福音と世界』

2009年4月号

新教出版社

56~62頁

不定期連載 貧困の波

釜ヶ崎からの福音 上

本田哲郎

私がここでしたいのは──いわば皆さんと "共有" したいのは── 一つの「事実確認」です。賛成・反対以前の。

本田神父が未信者にも御聖体を与えているというのは単に「噂」でしょうか? 私は「そうではない、それは "事実" である」と申し上げます。何故なら、上の雑誌の記事の中で本田神父自身が明確に述べ、それを認めているからです。

その部分を引用します。60~61頁から。

──釜ヶ崎での毎週のミサ(礼拝)や聖体拝領(聖餐)、そして洗礼はどのようにして行っていますか?

本田 ふるさとの家では毎週、ミサを行っております。「労働者のミサ」という独自のミサです。普通の教会のミサでは、「私たち信者はお恵みをいただいて......」という排他的要素のあるものになりがちですので、文言などに若干変更を加えております。ミサでは、毎回、福音書や書簡を朗読します。また、聖変化の文言を変更してしまうと、ミサが無効になってしまうので変更はしません。そして「貧しさと差別、戦争や暴力、そして死刑によって死に追いやられた世界中のすべての人々」のために祈ります。主の祈りのあとに、聖体拝領(聖餐、パンと葡萄酒の儀式)を行います。「この神聖な体と血を受けて、誰もがいただいた神の子のいのちを、自覚して生きるものとなりますように」と祈り、聖体拝領を行います。聖体をいただくのは、その瞬間にイエスが来てくださるのではなくて、もうすでにイエスは来ていて、歴史上のイエスにおける神の受肉によって人間はみな神の子のいのちをもらっている、というのが大前提なのです。聖体をいただくのはそのことを自覚し、再確認するためです。よってオープン・コミュニオン(オープン聖餐)なのですね。それで最後に「父なる神さま、小さなパン切れに宿るキリストの体をいただいて祈ります。神の子のいのちがみんなに与えられていることを思い起こして、キリストに習って同じく低みから立つ仲間の痛みと喜びを自分のものとして、仲間も自分をも大切にすることができますように」と祈って皆を祝福し、毎週のミサは終了です。カトリックの司祭で私みたいな独特なミサを行っている人はいないでしょう。「信仰宣言」も行いますが、言葉を変えてしまっておりますので、「異端」かもしれません(笑)。
 洗礼に関して私は、「受けなくてもいいんだよ。神様の子に変わりないんだよ」ということを強調するようにしています。

記事画像(クリックで拡大)

彼のこの言葉を読んでもなお、「いや、これだけでは、彼が未信者にも御聖体を与えているかどうか、私には確信が持てない」と言う神父様は居るでしょうか? もし居るならば、そのような神父様は、カトリック聖職者とか何とかいう以前に、"日本語を読む日本人" として、どこかおかしいのではありませんか?

「オープン・コミュニオン」という言葉を使う本田神父に於いて、彼、本田神父は、確かに未信者にも御聖体を与えているのです。彼自身が言っているのですから、これは単なる「噂」ではありません。「事実」です。

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