2015.09.10

復習 その書簡の異常(Self-Serve Communion)

そうして、もう一度復習するならば、各国の司教協議会に「手による聖体拝領」を許した聖座からの書簡は全くもって「いい加減」という称号に値するものだということです。すなわち、その文面は1973年には訂正されることになるのですが、しかしそれ以前に各国に送られていた文面は次のようなものだったのです。

4 拝領の具体的方法については、古代教会の伝統が伝えている方針に従うのがよいでしょう。司祭または助祭が、拝領者の手に聖体を置くという伝統的な方法は、司祭と助祭の奉仕の役割をはっきり表しているからです。しかし、私たちはもっと簡単な方法を採ることもできます。それは、拝領者に聖器の中の聖体を直接取らせることです。いずれの方法を用いるにせよ、信者は自席に戻る前に聖体を拝領し終わるようにしなければなりません。また、奉仕者の役割は、「キリストのからだ」という定句によって強調され、信者はこれにアーメンと答えます。

各司教協議会宛の書簡』は当初……を提案していた  Part 1

日本が「手による聖体拝領」の許可を得たのは1970年ですから、ヨゼフ・マリ-ジャック神父様がおっしゃった通りに参照、当時の日本の司教様方もこの文面を受け取っていたのです。

しかし、この文面は全く呆れるばかりに「いい加減」です。あなたはそう思いませんか。思わないなら、私たちは何度タイムマシーンに乗って過去に戻ってやり直しても同じです。これを「変」と感じられないなら。

何故ならば──ここでひとつ「拝領者に聖器の中の聖体を直接取らせる」という方法(Self-Serve Communion)を視覚的に見てみましょう。下は、「アメリカのエキュメニカルな精神を愛する」と称する、ブラジルの「アメリンディア(Amerindia)」というカトリック・グループに於けるそれです。(因みに、ブラジル

御聖体拝領の行列
Self-Serve ですから祭壇のそばに司祭は居ません。居ても大して仕事はないことでしょう。

私たち日本人のためには「セルフサービス」という言葉の方がいいかも知れません。つまりこの情景は下のようなものと大して変わりがありません。

参考図版

ビュッフェ(Buffet): フランス語。立食のセルフサービス。

ここだけ写真を大きく頂きました。御聖体拝領は続いています。が、司祭は右端に坐っています。

この司祭は祈っているのかも知れません。そして、祈ることは「善いこと」です。しかし、腐るほど言っていますが、「善」というのは実はそう簡単ではなくて、それ単体で見られるべきではありません。参照1参照2

冒頭で見た各司教協議会宛の書簡が言っている「拝領者に聖器の中の聖体を直接取らせること」とは、すなわち上のような情景を意味するのです。そうして、そうでありながらその同じ書簡は「司祭と助祭の奉仕の役割をはっきり表わすことが大切」であるかのように言うのです。もう一度確認しましょう。

4 拝領の具体的方法については、古代教会の伝統が伝えている方針に従うのがよいでしょう。司祭または助祭が、拝領者の手に聖体を置くという伝統的な方法は、司祭と助祭の奉仕の役割をはっきり表しているからです。しかし、私たちはもっと簡単な方法を採ることもできます。それは、拝領者に聖器の中の聖体を直接取らせることです。いずれの方法を用いるにせよ、信者は自席に戻る前に聖体を拝領し終わるようにしなければなりません。また、奉仕者の役割は、「キリストのからだ」という定句によって強調され、信者はこれにアーメンと答えます。

各司教協議会宛の書簡』は当初……を提案していた  Part 1

ですから、この文章は、私に言わせれば、馬鹿な、変な、どうかしている、本当には何を「大切」に思っているか分からない、筆者の心の在処が分からない、「構造」というものがない、「整合性」というものがない、いい加減な、チャランポランな文章です。注1

ところが、この書簡を受け取った当時の日本の司教様方は、これを見てもビックリしなかったようなのです。ここに「異常」を感じることがなかったようなのです。どうしたことでしょうか。

私に言わせれば、この書簡は、「聖体における臨在はいつまで続くかという問題は “ささいなこと” 」と言った参照、ファチマの奇跡を「狂信と迷信」「捏造された恥ずべきスペクタクル」と言った参照、つまり神秘的なことは何もまともには信じられない、「全実体変化」なども「一つの言い回し」程度にしか思えない、そのような種類の者たちの手に成るものです。(だから、同じように「全実体変化」をまともには信じられない日本の神父様方も、彼らの展開する世界に取り込まれるのです。ほとんど際限なしに)

そのような者たちに於いては「聖体拝領が『食事』なら、ミサが『共に囲む食卓』なら、別にビュッフェスタイルでもいいではないか」ということになるのです。簡単に。半笑いで。

Trojan Horse

神父様方は本当に、このようなこと↑を何も──このようなことの “可能性” すら何も──お感じにならないのですか???

管理人注

[注1] だから、私は、なんでもかんでも頭から「これはフリーメイソンだ、その仕業だ」と言っているのではありません。それが誰の仕業かを問う前に、具体的に内容を指して「これこれこういうわけで、これは異常だ」と言っているのです。そうしてそれから、「こんな異常なものは神からのものではない」と言うのです。(戻る

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