2015.10.10

ハヤット神父様

デルコル神父様の「ご存じですか? 45 典礼について」より

この点について、1989年のおわりごろに、ハヤッ卜神父の率直な意見があります。この意見は司教団に送られても、力トリック新聞に取りあげられませんでした。そのため、コピーして全国に出まわっています。この問題と関係あるところを引用しましょう。

Fr. James Hyatt, M.M.

Fr. James Hyatt, M.M.

《ごミサとこ聖体の本当の意味を信者たちに理解させるために、「ローマ・ミサ典礼書の総則」の21に明記されているように、重要な理由がない限り、聖変化の時に信者たちにひざまずかせるべきです。しかし、日本のあちこちの教会では、信者のひざまずき台はとられてしまい、信者たちはただ座ったり、立ったりして、ごミサにあずかるだけで、聖変化の時でもひざまずきません。
 また、むかしは、信者たちは皆、ひざまずいて聖体拝領していました。現在では、聖体拝領の時ひざまずくことも立つこともゆるされています。しかし、最近、ほとんどの教会では、聖体拝領台が取り除かれており、ひざまずいて聖体拝領することはむずかしくなりました。また、信者がひざまずいて聖体拝領しようとしても、ある神父たちは怒ってひざまずいている信者にご聖体を授けることを拒否します。
 特に、日本の教会で目立つことは、神父や信者たちが聖ひつの前を通る時の行動です。「ローマ・ミサ典礼書の総則」の84によりますと、わたしたちは聖ひつの前では genuflection(右膝をついて礼拝すること)と書かれています。しかし、日本では合掌しておじぎをすることとなっています。この典礼書の総則を変更する理由として、ひざまずくことは日本の習慣ではないと言われています。確かに日本の習慣ではないかもしれませんが、ヨーロッパの習慣でもアメリカの習慣でもありません。ご聖体の前にひざまずく習慣は、「力トリック」の習慣です。すべての民族を越えた「力トリック」の大事な習慣なのです。
 おじぎをすることは人間同士のあいさつです。聖ひつの前を通る時は、ご聖体の中に現存しておられるイエズスに対して、ただ、人間同士のあいさつをするのではなく、イエズスを全能の神様として礼拝するべきです。ご聖体の前にひざまずくことはその礼拝を意味しています。日本のカトリック神父や信者たちが、ご聖体の前にひざまずかなくなることは、残念なことで、日本の力トリック教会の大きな損失だと思います。》

「ご存じですか? 45 典礼について」
pp. 30-32

管理人注

[] 私たちがよく知っている2000年版のことではありません。

或る信徒の声(当サイトとは無関係)

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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