2015.11.04

ソットコルノラ神父 4

宇宙的宗教の行事への参加

ソットコルノラ神父は「霊性」という言葉を口にしました。参照
もちろん、カトリック司祭であれば、それを口にするのです。

しかし、「霊性」を見る彼の目は確かでしょうか?
と云うのは、彼は2014年5月18日(日曜、主日)、或る一つの新興宗教が主催する諸宗教合同の祈祷集会に参加したからです。

その祈祷集会の名称は「Symphony of Peace Prayers(SOPP、世界平和交響曲)」と言います。そして、これを主催しているのは「白光真宏会Byakko Shinko Kai)」という新興宗教です。

それは一つの「宇宙的」な宗教です。

これはその教団の信者たちが「これをすれば宇宙根源のエネルギーを受け取ることが出来る」と信ずるところの “印[いん]” を空に向けて組んでいるところです。

SOPP2014

「我即神也」 「人類即神也」 の 印(いん

ソットコルノラ神父はこのような(どのようかは更に後述)宗教教団が主催する諸宗教合同の祈りの会に出向き、そして話者の一人として演壇から「現代世界憲章」の一節(77以降)を読み上げ、聖パウロのコリント人への第一の手紙の13章の「愛がなければ」の部分から翻案した祈りを聴衆と唱和したらしいのです。

スピーチ中の彼 < Photo Galleries 2014
ステージ上の彼
スピーチの内容
白光真宏会の現(2代目)会長・西園寺昌美氏と記念撮影
 < Photo Galleries 2014

「他宗教の人たちに聖書の言葉を唱えさせたのだから福音宣教になっただろう」などと言わないで下さい。そんな生易しいものではありません。

神智学的、アセンション的、ニューエイジ的

私は自分の若干の体験と調査から言いますが──上記の「印[いん]」のことでも分かると思いますが──その宗教は、極めて、或る種「霊的」* な宗教です。

* 真正なカトリック信仰も「霊的」という言葉を使います。昔の浦川和三郎司教様の御本などには「心霊」という言葉さえあります参照。確かにここは「言葉って難しい」と言うべきところです。しかし、ここではそこに深く踏み込みません。

そして「神智学」的な宗教です。
今で言う「アセンション(次元上昇)」的な宗教です。
つまり「ニューエイジ宗教」の “ど真ん中” に位置する宗教です。

上で「若干の体験」と書いたのは、恥ずかしながら私は、今から “んー十年前” の若かりし頃、一人の真理探求者として(そのつもりで)この教団の教えに傾倒していた一時期があったからです。教えの本を読むばかりでなく、当時千葉県の市川市にあった「本部道場」にも何度か足を運びました。しかし、ここで詳しく説明するつもりはありませんが、一言で云って、私はじきに「この宗教の背後にある霊には何か “得体の知れない” ところがある」と思うようになり、離れたのでした。(私は私が書くもう一つのウェブサイトでこの宗教について書きました)

その当時から “んー十年” を経た現在では、その宗教はますます「ニューエイジ色」を強めています。それはおそらく、その教団が国連との結び付きを強めたあたりから、そうなったものでしょう。(国連は一つの悪い「宗教」です。参照 / 参照〔外部サイト

その宗教が現在共鳴し合っている人たちを幾らか紹介しましょう。以下の人物たちの写真はどれも白光真宏会がアップしている動画から取ったものです。

① バーバラ・マークス・ハバード(Barbara Marx Hubbard)

YouTube

カトリックの神父様方に訊きたいのですが、この女性が口にしている「神聖なる意識」という言葉で、何か物事が解決すると思いますか? また、「一つになる」という言い方で。
そのような漠たる言い方で、霊的に「確実に安全」な世界が、「保証された」精神的・霊的な道が、人類に提供されると思いますか?
答えは否です。そんな漠たる言葉では何ものも「安全・確実」にはなりません。カトリック信者は、たとえ「平和」のためであれ、そんな雰囲気のものとは肩を組んではならないのです。

ちなみに、彼女は今 “ニューエイジ運動の代表的な指導者” のようですが、自著の中で次のように書いているそうです。

人類の個体の全範囲から、4分の1は超越することのために選ばれています。そして他の4分の1は破壊的で欠陥のある種です。過去に於いては後者にも自然死が許されていました。しかし今、私たちが「被造物としての人間」から「共に創造する人間」「神のような力の相続人である人間」への量子的シフトに近づくにつれ、破壊的な4分の1は社会から排除されなければなりません。あなた方は幸いにもこの行為に責任がありません。それは私たちです、私たちがそれについての責任を担っています。私たちは地球のための神の選別のプロセスを担当しています。彼が選別し、私たちが滅ぼします。私たちは蒼白き馬の騎手、死です。… 世界のために、私たちがそれをします。

Out of the full spectrum of the human personality, one-fourth is elected to transcend and one-fourth are destructive, defective seeds. In the past, they were permitted to die a natural death. Now, as we approach the quantum shift from the creature-human to the co-creative human -- the human who is an inheritor of god-like powers -- the destructive one-fourth must be eliminated from the social body. Fortunately, you are not responsible for this act. We are. We are in charge of God's selection process for planet Earth. He selects -- we destroy. We are the riders of the pale horse, Death. … We do this for the sake of the world.

Barbara Marx Hubbard, The Book of Co-Creation: An Evolutionary Interpretation of the New Tastament; Part III─The Revelations: Alternative to Armageddon, New Visions, 1980, p59.

上の英語の第一文にある「personality」という語は「人格」と訳すべきではないかと思う人があるかも知れません。私もふと、そう思ったりしました。しかし、結局のところ違うようです。英語圏の多くの人たちが彼女の上の言葉を問題にしていますし、また、彼女の別の言葉を伝える次のような記事もあるからです。

ニューエイジのリーダー、バーバラ・マークス・ハバードは、「人々は、変わるか、然らずんば死ぬかだ」と述べている。「それは選択だ」と。ハバードに同意する人たちによると、クリスチャンたちも反キリストの印を受けることができるためにもっと心を開く必要があるという。もしクリスチャンたちがグローバルなコミュニティとそのアジェンダに加わろうとしないなら、彼らは「心開かれた」ニューエイジャーたちによって殺されるだろうと。

ハバードは次のように述べている。

「この行為はガン細胞を殺すのと同じくらい恐ろしいものです。〔しかし〕それは全体の将来のためにされなければなりません。然[しか]あれかし、今始まろうとしている選別のプロセスのために準備して下さい。私たち、長老たち(elders)は、腐敗した要素、また腐敗させる要素を人類社会の中から取り除くという行為のために、量子的変容を迎えようとする正に最後の瞬間まで、忍耐強く待ちました。それはガン細胞の成長を見守るようなものです。体全体が破壊される前に何か為されなければなりません。... 破壊的な4分の1は社会から排除されなければなりません」

New Age leader, Barbara Marx Hubbard, has stated, "people will either change or die," for "that is the choice." According to those who would concur with Hubbard, Christians will need to be more open minded so they too can receive the mark of the Antichrist. If they will not join with the global community and its agenda, they will be killed by the "opened minded" New Agers. Hubbard states:

"This act is as horrible as killing a cancer cell. It must be done for the sake of the future of the whole. So be it: be prepared for the selection process which is now beginning. We, the elders, have been patiently waiting until the very last moment before the quantum transformation, to take action to cut out this corrupted and corrupting element in the body of humanity. It is like watching a cancer grow; something must be done before the whole body is destroyed... The destructive one fourth must be eliminated from the social body."

Barbara Marx Hubbard, Manual for Co-Creators of the Quantum Leap, pp. 55-57)

Good Fight Ministries

また、こんな動画も。

ほとんど狂人の妄言のようにしか聞こえませんが、居るのです、こういうのが、西洋世界には。聖書預言を下敷きにして自分たちが神の役割を担おうとする者らが、否まったく、ほとんど神にでもなったような気でいる者らが。究極の傲慢。私たちはこのようなものに「悪魔的」という形容詞を付すことに遠慮すべきでしょうか?

「elders」って誰。それは──あのジョージア・ガイドストーンに見るような心性を持った人たち。ワクチンを “善用” して “環境保護”(=人口削減)する可能性について言及したビル・ゲイツのような人たち。世界のエリートたち。世界の裏の支配者たち。フリーメイソン。イルミナティ。なんかそのへん。

また、以上のような酷い内容が仮になくてさえ──最初に引用した本の副題に注目して下さい。「An Evolutionary Interpretation of the New Testament(新約聖書の進化論的解釈)」。これだけでも私たちはこのような世界から飛び離れなければなりません。

それとも、そういう捉え方はテイヤール・ド・シャルダンにも見られるから構わない、と言うのかな? カトリック信者。
しかし、真相はむしろ逆であって、テイヤールの思想というのはそもそもニューエイジャーたちに凄く好かれるところのものなのです。悪魔由来だから。

ニューエイジの世界にはこういうのがウヨウヨ居るのです。

② ジュード・カリヴァン(Jude Currivan)YouTube

これも白光真宏会と意気投合している人です。こう見えても(?)「博士」だそうです。しかしこの人は、私が別ブログで書いたように、フリーメイソンのロッジに出向き、そこで平気でワークショップを開くことができるような人です。

③ アーヴィン・ラズロ(Ervin Laszlo)YouTube

「多様性と統一性の共存するワンネス」。カトリックの世界でもこれと似た言葉を聞いたことがありますね。「多様性における一致

「すべての人に開かれている」。いわゆる「寛[ひろ]い心」ですね。ソットコルノラ神父の「みんなのため」に似ていませんか?

やっぱり「神聖なる意識」という言葉が出て来るのですね。

ラズロ氏は白光真宏会にとって(決して私たちにとってではなく!)重要な人です。何故なら彼は白光真宏会と共に「富士宣言The Fuji Declaration)」という運動の共同発起人であるからです。

偉そうに言わせて下さい。カトリック信者は彼の一見もっともらしい主張に「一応はその通りだ」と頷くほど単純頭であってはならないと思います。何故なら、何と云っても彼は「ワールドシフト」「神聖な意識」「アカシック」などという語を使う人であるからです。上の二者と同じく、やはり神智学系の人であることは間違いありません。(そして神智学は「サタン」「ルシファー」という言葉を肯定的に使います。参照

彼の著作の一つ。

“Akashic” とあり “Cosmic Memory Field” とありますから、いわゆる「アカシックレコード」のことで間違いありません。彼の他の著作を見ても、題名だけで、彼が神智学系の人であることは明白です。

そして、私は今、彼らが「神聖なる意識」という言葉を英語でどう言っているか聞いてみたのですが、三人とも「Divine Spark」と言っているのです。Wikipedia によれば、この言葉は「グノーシス主義」とか「カバラ」とかに関係するものだということです。

結 論

長々と書いて来ましたが、私はもちろん皆さんにこのような人たちのことを紹介したくて書いたのではありません。問題は、このような「霊性」が溢れている所にカトリック司祭がノコノコ出掛けて行くことです。そう、ソットコルノラ神父は「霊性」という言葉を使います。もちろん使うのです、カトリック司祭であれば。
しかし、彼がこのような場所に出掛けて行くならば──

彼の「霊性」を見る目は「確か」ですか?

──というのが私の質問です。答えは明白な筈です。

補足

優しい人たちはソットコルノラ神父のことを弁護して、「神父様はその宗教についてよくご存知なかったのでしょう」と言うかも知れません。しかし私は、それはどうでしょうと思うのです。何故なら、この出来事は昨年(2014年)のことですが、その時、当然インターネットはありましたし、白光真宏会はずいぶん前から公式サイトを持っていますし、ソットコルノラ神父が参加した SOPP も少なくとも2013年6月から公式サイト(英語)を持っていますし(Wayback Machine 調べ)、また、ソットコルノラ神父の真命山にはパソコンがあるだろうからです(公式サイトを持っているので)。彼は、自分が参加することになる宗教的な行事について事前に少しも調べなかったと云うのでしょうか?

また、念のために言えば、上に紹介した彼ら三人の動画は、白光真宏会がラズロ氏と共に2015年に立ち上げた運動「富士宣言The Fuji Declaration)」からアップされているものです。つまり、ソットコルノラ神父が SOPP に参加した後のものです。しかし、この事で、私が不当な材料を使ってソットコルノラ神父を批判していると思わないで下さい。何故なら、私が私のもう一つのウェブサイトで書いたように、カリヴァン氏とラズロ氏などはかなり前から白光真宏会と交流を持っているからです。そうして、そんなことよりも何よりも、たとえ彼らの存在がなったとしても、人は SOPPByakko Shinko Kai のサイトを見ることで、それがニューエイジ系の宗教であることに容易に気づいていいものだからです。ソットコルノラ神父が見たかも知れない SOPP の画面: 2013年12月13日時点

私がこのシリーズの第一回目の冒頭で「『悪魔的』と言っていい伝染病」と言ったのは、特にこのことでした。それは謂わば「神智学的な伝染病」です。ソットコルノラ神父はそれに罹っていませんか? いない? ふーん。しかし、あなたは少なくともこれを認めなければなりません。ソットコルノラ神父は「神智学的な病原菌」がウジャウジャある場所に行ったのだ、そこに踏み込んだのだ、と。
重ねて言います。彼の「霊性」を見る目は「確か」ですか?

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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