2015.11.22

「アフリカ人だっていつも踊っているわけじゃない」
by アリンゼ枢機卿

ソットコルノラ神父 2」の最後で「この話はまた後で広げます」と言ってあったので。

 

この写真は
 2007年

*** 翻訳 ***

Adoremus Bulletin

2003年10月
典礼についての質問に枢機卿が答える
〔一部のみ翻訳〕

典礼についての広汎な質問が、Apostolate for Family

Consecration の後援によって7月に持たれた会議の中

で、フランシス・アリンゼ枢機卿によって答えられた。

(…)

問: 典礼に於けるダンスはあなたのオフィス〔典礼秘跡省〕によってミサのために承認されているのしょうか?

Has liturgical dance been approved for Masses by your office?

ミサの中でダンスをすることについては、それを承認する如何なる文書も典礼秘跡省から出ていません。

There has never been a document from our Congregation for Divine Worship and Discipline of the Sacraments saying that dance is approved in the Mass.

ダンスの問題は難しくてデリケートです。しかし、「ラテン教会の伝統の中にはダンスはなかった」と知ることはよいことです。それはここ十年、或いは二十年のうちに人々が導入したものです。いつの時代もそうだったわけではありません。それは今、野火のように広がっています。程度の差はありますが、全大陸と言っていいでしょう。私自身の大陸、アフリカに於いては、それは広がり続けています。アジアでも広がっています。

The question of dance is difficult and delicate. However, it is good to know that the tradition of the Latin Church has not known the dance. It is something that people are introducing in the last ten years -- or twenty years. It was not always so. Now it is spreading like wildfire, one can say, in all the continents -- some more than others. In my own continent, Africa, it is spreading. In Asia, it is spreading.

現在、一部の司祭と信徒たちは、ミサはダンスなしでは決して完成しないと考えています。ここが問題です。私たちは第一義的には神を礼拝するためにミサに行くのです。私たちが「垂直方向」と呼ぶもののために。共に楽しむために行くのではありません。それはミサの目的ではありません。楽しむためには教区ホールがあります。

Now, some priests and lay people think that Mass is never complete without dance. The difficulty is this: we come to Mass primarily to adore God -- what we call the vertical dimension. We do not come to Mass to entertain one another. That's not the purpose of Mass. The parish hall is for that.

だから、私たちを楽しませたいと思う人は誰でも、ミサが終わった後で、私たちを教区ホールに連れて行き、そしてそこでダンスをすればいいのです。私たちはそれに拍手します。しかしミサに関しては、私たちは拍手するために行くのではありません。私たちは人々を見るためにミサに行くのではありませんし、人々を誉めるために行くのでもありません。私たちは神を礼拝したいのです、神に感謝を捧げたいのです、神に私たちの罪の赦しを乞いたいのです、そして私たちに必要なものを神に願いたいのです。

So all those that want to entertain us -- after Mass, let us go to the parish hall and then you can dance. And then we clap. But when we come to Mass we don't come to clap. We don't come to watch people, to admire people. We want to adore God, to thank Him, to ask Him pardon for our sins, and to ask Him for what we need.

誤解しないで下さい。と云うのは、私が或る場所で以上のようなことを言った時、或る人がこう言ったからです、「あなたはアフリカの司教様ですよね。あなた方アフリカ人はいつも踊っています。なのに、何故あなたは『私たちは踊らない』と言うのですか?」と。

Don't misunderstand me, because when I said this at one place somebody said to me: "you are an African bishop. You Africans are always dancing. Why do you say we don't dance?"

ちょっと待って下さい、私たちアフリカ人だって、いつも踊っているわけじゃありません!(笑)

A moment -- we Africans are not always dancing! [laughter]

また、奉納行列で進んで来る人たちも色々です。彼らは捧げ物を運んできます、喜びを感じながら。その時、彼らの体は右に左にと動きます。神への捧げ物を運ぶ、それは良いことです、本当に。そして、聖歌隊の幾人かは歌います。彼らの体の動きは小さなものです、誰もそれを非難しそうにありません。そして、彼らが戻る時、体の動きは小さなものです。そこに問題はありません。

Moreover, there is a difference between those who come in procession at Offertory; they bring their gifts, with joy. There is a movement of the body right and left. They bring their gifts to God. That is good, really. And some of the choir, they sing. They have a little bit of movement. Nobody is going to condemn that. And when you are going out again, a little movement, it's all right.

しかし、あなたが派手にやる時、つまり、バレリーナを呼ぶとかのことですが、私はあなたに、それは一体何なのですかと訊きたいのです。あなたが導入しようとしているそれは一体何なのかと。人々がミサの中で踊り終わった時、そしてダンスグループが踊り終わった時、そして人々が拍手する時・・・あなたにはそれが何を意味しているか分からないのでしょうか。それは「私たちはそれを楽しんだ」ということを意味しているのです。その時、私たちは楽しむために来たということになります。もう一度言います。だから、何かがおかしいのです。人々が拍手する時はいつでも、何かがおかしいのです、それ自体として。彼らが拍手する時・・・ダンスがなされ、彼らが拍手する時。

But when you introduce wholesale, say, a ballerina, then I want to ask you what is it all about. What exactly are you arranging? When the people finish dancing in the Mass and then when the dance group finishes and people clap -- don't you see what it means? It means we have enjoyed it. We come for enjoyment. Repeat. So, there is something wrong. Whenever the people clap -- there is something wrong -- immediately. When they clap -- a dance is done and they clap.

人々の心を神に上げるほど見事なダンスというのもあるかも知れません。その時、人々は祈り、神を礼拝します。そして、ダンスが終わった時、彼らはまだ祈りの中に包まれています。しかし、あなたが今まで目にして来たダンスはそのような種類のものでしたか? と云うわけで、これは簡単なことではありません。

It is possible that there could be a dance that is so exquisite that it raises people's minds to God, and they are praying and adoring God and when the dance is finished they are still wrapped up in prayer. But is that the type of dance you have seen? You see. It is not easy.

現在ミサの中で行なわれているダンスの大部分は、かつては教区ホールでされなければならないものでした。そして、それらのダンスのうちの或る種のものは、教区ホールでやることさえふさわしくありません。

Most dances that are staged during Mass should have been done in the parish hall. And some of them are not even suitable for the parish hall.

私は或る場所で見たのです、何処かは言いませんが。彼らがミサの中でダンスをした時、それは不快なものでした。それは道徳神学と慎ましさを破るものでした。それを手配した人たち・・・彼らはバケツ一杯分の聖水で自分の頭を洗うべきだったでしょう!(笑)

I saw in one place -- I will not tell you where -- where they staged a dance during Mass, and that dance was offensive. It broke the rules of moral theology and modesty. Those who arranged it -- they should have had their heads washed with a bucket of holy water! [laughter]

なぜ神の民をこれほど苦しめますか。私たちは既に十分な問題を持っているのではありませんか? 日曜日だけ、1時間、彼らは神を礼拝しに来ます。そして、あなたはと云えば、ダンスを持って来るのです! あなたは我々のところに他のものを持って来ることができないほど貧しいのですか? 恥を知れ! これが、私がそれについて思っていることです。

Why make the people of God suffer so much? Haven't we enough problems already? Only Sunday, one hour, they come to adore God. And you bring a dance! Are you so poor you have nothing else to bring us? Shame on you! That's how I feel about it.

人はこう言うかも知れません、「しかし、教皇様があなたの国を訪問なさった時、人々は踊ったではありませんか」と。しかし、待って下さい、教皇様がそれを手配しましたか? お気の毒な教皇様。彼は来ますが、準備をするのは人々なのです。彼は、人々がどんなものを準備しているか知りません。そして、誰かが風変りなものを準備するのです。教皇様はそれに責任がありますか? このようなことが、ダンスが現在承認されていることを意味しますか? 彼らは典礼秘跡省のテーブルに何か提出しましたか? もし彼らがそうしていたら、私たちは却下したことでしょう! もしダンスがしたいなら、どこか別の場所でやればいいのです。

Somebody can say, "but the pope visited this county and the people danced". A moment: Did the pope arrange it? Poor Holy Father -- he comes, the people arranged. He does not know what they arranged. And somebody introduces something funny -- is the pope responsible for that? Does that mean it is now approved? Did they put in on the table of the Congregation for Divine Worship? We would throw it out! If people want to dance, they know where to go.

*** 翻訳  終 ***

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フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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