2015.12.06

神父様方は  “しるし”  の問題に敏感なんですよね

再掲

一つの黒ミサの中で犯される多くの罪の中のたった一つだけでも、主イエズス・キリストとその聖なる御母、無原罪のマリアの虐殺者たちは皆、そのなす所を知っているからです。(…)〔それだのに〕なぜ、あの「サタンのミサ」に倣うのでしょうか?…そこには、特に御聖体に対する軽蔑と冒涜のしるしとして、立ったままと、そして、「手」で聖体拝領するのは、常となっているのです。サタンの最も大なる罪は、もはや跪くことを知らないことです。

舌の上に受ける御聖体拝領の弁護(1982年

カトリック側の三人のうちの唯一の生き残りであるエスポージト神父は今日こう語っている。「晩餐のテーブルの上座にはガンベリーニが坐った。彼は主の祈りを歌った。そして、全員が立ったままの中、彼はパンを取り、それを裂き、『メイソンはイエズス会と共にパンを裂く』と言いながら、カプリーレ神父にそれを与えた。私達は全員、その同じ儀式を互いに交わし合い、喜ばしき兄弟愛を分かち合った」

Racconta oggi padre Esposito, l'unico di questi tre ancora in vita: «Per la cena a capotavola c'era il Gamberini, che intonò il Padre nostro, poi, stando tutti ancora in piedi, prese un pane, lo spezzò e lo offrì al padre Caprile dicendo: "Il massone spezza il pane col gesuita". Tutti ci scambiammo il medesimo rito, condividendo una gioiosa fraternità».

(machine translation)  Father Esposito, the only one still alive of the three, says today: “For dinner at the head of the table there was Gamberini, who sang the Lord's prayer, then, all still standing, he took bread, and broke it, and offered it to Father Caprile saying: 'Mason breaks bread with the Jesuit.' We all exchanged the same rite, sharing a joyful brotherhood.”

その頃、カトリックとフリーメイソンの会合

神父様方は  “しるし”  の問題に敏感なんですよね?

「罪の概念は中世の哲学が聖書の内容を悲観的に解釈したものである、という考えを徐々に刷り込むことによって」

フリーメイソンの雑誌『Humanisme』1968年11月/12月号 より

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